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旅行記、世相独言

ハート・オブ・イングランド -バーミンガム近郊-(異文化体験24 LNG‐11の旅)

2012年07月07日 17時52分38秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

ハート・オブ・イングランド -ストラッドフォード・アポン・エイボン- 1995.7.1~7.2

 バーミンガムの「ハイアットリージェンシーホテル」

 成田からパリ経由で英国バーミンガムに着陸したのは、午後7時半。

 案の定、空港バゲージカウンターでトラブルが発生。一部の乗客がパリ・ドゴール空港で自分の荷物が積み残されて離陸してしまったのを機窓から見ており、当然荷物が出てこない。
 そんな中の一人に今回同行のT氏も含まれていた。結局、明日の便で顧客宿泊ホテルまで届けることで決着。機内用の洗面具セットを受け取りホテルにチェック・インしたのは午後9時過ぎ。

 今回の宿舎はLNG-11(第11回液化天然ガス会議)が開催される国際会議場に隣接するハイアット・リージェンシー・ホテルである。

 
(左)ブリティッシュ・エア・ウェイズで貰った案内書    (右)バーミンガム市内地図


 翌朝、荷物のまだ来ないT氏と共に、チャーター車で「ハート・オブ・イングランド(イングランド心臓部)」の小旅行に出る。

 ロイヤル・シェイクスピア劇場画廊のシェイクスピア肖像(1564-1616)

 まずは、シェークスピア生誕の地「ストラッドフォード・アポン・エイボン」に向け山のない田園風景の中を1時間のドライブ。
 シェイクスピアの家族はこの地方の旧家で、父母共にアーデンの森に小規模な土地を持つ農民層の出身である。この地で生れロンドンで活躍し晩年を名士としてこの地で過ごしたシェイクスピアは、劇「お気に召すまま」の中で、「俗塵を遠く離れたここでの我々の日々は、樹木に言葉を聞き、せせらぎに書物を見出し、小石に神の教えを読み取り、森羅万象に善を発見する」とアーデンのの森に設定された公爵の言葉に、彼自身の真情の吐露が読み取れる。

 
(左)ヘンリーストリートにある生家  (右)19C半ばに描かれた生家「不朽の天才ここに生まる」とある

 多くの人で賑わうエイボン川に面して建つロイヤル・シェークスピア劇場、ヘンリー・ストリートの生家、ギルド・チャペルとシェイクスピアが学んだグラマースクール、古いチューダー風の木骨造りの家々が16世紀の街並みをそのままに当時の暮らしを偲ばせる。

 
(左)ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの前で(後が劇場)      (右)シェークスピア像を背景に

 
(左)大勢の人で賑わうエイボン川沿いの公園 (右)左側ギルドチャペルと右側ファルコン・ホテル 手前はニュー・プレースの庭

 
 ハイストリート沿いのレストランで昼食をとり、次なる目的地「Warwick Castle」(ウォリック城)に向かう。

 
(左)イングランド一と言われる中世の名城「ウォリック城」       (右)入場チケット

 
(左)楽しめる城壁を巡るコース        (右)お城の塔から見るエイボン川と広大な田園風景

 エイボン河岸に広がる壮大な敷地にイングランド一の中世の城として名高いウォリック城にも、沢山の観光客が訪れて、城壁を巡るコースに人の列が出来ている。
 ステート・アパートメントには「1890年代の王室の週末パーティ」と銘打ったマダム・タッソーの蝋人形の展示があり、豪華な室内を垣間見ることが出来る。
 城塞の塔の上からは、エイボン川と広大な田園風景が広がっている。

 英国政府観光庁(BTA)日本事務所作成のパンフ(逆バーミンガム?)

 夕刻前、バーミンガムに戻り、国際会議場での展示ブースの作業状況をチェックする。今回もCC社の I 嬢がJGA(日本ガス協会)ブースの制作を担当してくれている。
 明日から始まるLNG-11の日本展示ブースの目玉は、実在する小規模LNGガス化工場の模型と関連技術である。

 夕刻、国際会議場の食堂に展示関係者や会議の日本語同時通訳等が一堂に会し、夫々の役割分担、ブース来訪者への接客マニュアル等の確認を行う。ロンドン在住の日本人女性コンパニオン2名、英国人女性コンパニオン3名、それに日本からの各社やJGAの説明要員達が各展示コーナーに張り付く。

 準備万端、滞りなく終了。明日の開会式を待つのみ!
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天蓋付のダブルベッド -バーミンガム-(異文化体験23 会議準備の旅2) 

2012年06月30日 17時39分36秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

天蓋付のダブルベッド -バーミンガム-  1995.4.27~4.30

 コペンハーゲンからロンドンに飛び、現地事務所お薦めのランガム・ヒルトンに1泊。
 翌朝事務所のT君と商社某女史の3人でバーミンガムに列車で移動。7月に開催されるLNG-11(第11回国際天然ガス会議)の日本側VIPのホテル選定と現地下見が目的である。

 夏にLNG11が開催されるバーミンガムの街

 バーミンガムは、産業革命を迎える18世紀までに既に世界の工場として、宝飾、銃刀器類、バックル等の製造を行い、ジェームズ・ワットをはじめ英国屈指の発明家や技術者が活躍したところ。
 自動車の発明以降、バーミンガムには様々な乗物の部品工場が立地し、19世紀には商業都市としても発展、ビクトリア女王により市に昇格し、市長も務めたジョセフ・チェンバレンのもと「世界で最もよく統治された街」として知られるようになった。


 初日の今日は、事前に候補選定されたホテルを見て廻る。

 市内中心部に位置するスワローホテル(Swallow Hotel)は、ヨーロッパスタイルの格式ある最高級ホテルで、スィートルームはやや小ぶりな4つの部屋からなっている。

 
(左)市内最高級とされるスワロー・ホテル       (右)ホテル内の調度品・雰囲気

 次に訪れたのは少し郊外の田園地帯にある6haの敷地に建つ城館風のホテル。設備も最新式で、スィートルームの寝室は天蓋のついた大きなダブルベッドとチューダー調のインテリアに囲まれた、いかにも女性に喜ばれそうな部屋である。

 
(左)バーミンガム郊外の城館風ホテル      (右)スィートルームの天蓋付きダブルベッド

 次は、これも郊外のザ・ベルフリー・ホテル。14.5haの敷地を持つゴルフコース併設のホテルである。ゴルフ場は’85、’89、’93年にライダーカップが開催された名門会員制ゴルフ場で、ホテルの部屋はコースに隣接している。ダービー、チャンピオン・シップ・ブラバゾンの2コースがある。

 
(左)名門ゴルフ場「ザ・ベルフリー」併設のホテル      (右)ライダーカップのHPより抜粋

 最後は市内に戻りホリディ・イン他、いくつかの都市型ホテルを見て周る。我々事務局は、国際会議場隣接のオフィシャルホテル「ハイアット・リージェンシー」に会議登録・予約済である。

 LNG11オフィシャルホテルの「ハイアット・リジェンシー」


 さてさて、これらのホテルを4人の正・副会長にどのように割り当てるか。
問題は、誰にしようか? 天蓋付きのダブルベッド!

 熟慮の結果、単身参加のJGA会長にはヨーロピアンスタイルの市内のホテル「スワロー・ホテル」、3副会長のうち奥様連れは二人、私の出向元の大ボスには天蓋付きのダブルベッドのある城館ホテル、行動的な奥様のもう一人の副会長にはゴルフ場併設のホテル。もう一人の副会長は代理出席になる可能性もあるとのこと故、市内の酒場に近いホテルということで、各社に連絡。
 でも嫌がるかな!天蓋付のダブルベッド、大ボスは。


 ロンドンに戻る商社某女史と夕刻別れ、スワロー・ホテルに戻ると今宵は一般料金でスィートルームを開放してくれるという。広い広いスィートルームは、単身かつ貧乏性の小生には落ち着かない。全ての部屋で煙草を吸う位が関の山。

「スワローホテル」スィートルームの一部屋(四部屋ある)


 翌午前中に、会議場、展示会場を詳細視察。ついでに高齢VIPのために和食を提供するレストランを探す。しかし、これが困ったことにない! 唯一あるのが、東南アジア人が経営する何とも奇妙なジャパニーズレストラン。鉄板焼中心に麺類もあるが、似ても似つかぬ味と目をそらせたくなる浴衣美人? まあ、全くないよりはましか。

 お昼過ぎ、ロンドン・ヒースロー行きのバスでバーミンガムを後にする。
 7月にまた来るぜ、浴衣美人さん!


(永らくTreviewのブログ評価にご協力有難うございました。お蔭様で全体で128位、旅行・イベント部門8位、海外旅行部門2位の成績を残せました。この度、NTTコミュニケーションズ提供のTreviewサービスが終了されましたので、新たな順位・評価トラックバックを決めるまで、評価タグはなしとします。)
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展示委員会とニューハウンの打合せ -コペンハーゲン-(異文化体験23 会議準備の旅1)

2012年06月23日 15時18分08秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

展示委員会とニューハウンの打合せ -コペンハーゲン-  1995.4.25~4.27

 北欧デンマーク・コペンハーゲンの街

 成田からフランクフルト経由コペンハーゲンに到着したのは、夜の9時半頃。2007年コペンハーゲンで開催される「第20回世界ガス会議」の第1回展示委員会出席のため、指定ホテル「ネプチューン」にチェックインしたのは、夜10時半を過ぎた頃。

 会議事務局指定のホテル「ネプチューン」

 翌午前中から午後にかけて街を散策し、この日コペンハーゲン入りする米国ガス協会(AGA)副理事長のN.H氏からの連絡を待つ。夕食をとりながら次回「日米ガスサミット」の開催方針を打合わせる約束である。

 デンマークの人気スポット「ニューハウン」

 夕刻前、部屋に電話が入りニューハウンのレストランにしようと決定。ニューハウンはコペンハーゲン一美しいと言われるコンゲンス・ニュートー広場の先にあり、近年まで世界中の船乗りに良く知られた港で、陽気な居酒屋が軒を並べて夜遅くまで騒々しい街だったようだが、今は昔の面影を残しつつ遊歩道が整備されレストランが軒を連ねる観光スポットになっている。かのアンデルセンもここに居を構えたことがある。港町だけに魚料理が美味しい。

 
 ニューハウンに軒を並べるレストラン、海風と潮の匂いを味わいながら街路のテーブルで。

 「日米ガスサミット」は、日米都市ガス産業の首脳が2年に一度、ガス産業の経営課題を意見交換する場で、次回の開催方針を決定するタイミングになっている。
 世界的に企業のダウンサイジングが始まっている状況下だけに、双方の費用負担を少なくし簡素な会議にするため、来年以降両国の中間のハワイで開催する提案を日本から行った。日程案を相互に持ち寄り、いくつかの案が固まったので帰国後再確認の上決定することで会談は終了。後はH氏とプライベートな話で盛り上がった。H氏が会計はAGAで持つというのでご馳走様!


 
  デンマーク郊外の国際見本市会場兼国際会議場のベラ・センター(Bella Center)

 翌朝、ホテルでデンマークの事務局が出席者をチェックし、バスで空港方面のベラ・センター(国際見本市・会議場)に向かう。世界ガス連盟(IGU)R会長、M事務局長他、お馴染みの25名からなる展示委員会が始まる。開会式場や展示会場を見学の後、展示テーマや展示手続きについて現地事務局から説明があり、各国の概略必要面積を述べ意見交換を行う。

 
(左)北欧らしい展示会場と垢抜けした展示の仕方      (右)国際会議場

 小生から事務局長に10分程度時間を欲しいと事前要請し、会議が終盤に差し掛かった所で、先の阪神・淡路大震災時の各国支援・お見舞いのお礼を述べた。
 地震発生とともに私のJGA国際部には、大阪との通信が出来ないため、各国からの大阪ガス向けお見舞いや救援部隊の派遣FAXが連日届き、中には港に工作車と支援物資を積み込んだ船を待たせているとのFAXまで届く。国際交流が進み誠に有難いものである。
 被災状況の発表に全員固唾を飲んで聞き入っている。スピーチが終了すると、チェコのO女史から協会の記事にしたいとの申し出があった。

 展示委員会メンバーの記念撮影

 それぞれ帰国便が気になりだす頃、会議は首尾よく終了。小生はこれからロンドンに。


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初秋のコモ湖とドゥモの尖塔 -ミラノ-(異文化体験20 童話の国の旅4)

2012年03月17日 15時22分55秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

初秋のコモ湖とドゥモの尖塔 -ミラノ-  1994.9.11~9.13

  夏のバカンスを終え、人影の少ないコモ湖

 日曜日、パリからミラノに移動する。6月の世界ガス会議で協力してもらったハイヤー会社を経営するファビオ氏に連絡して、リナーテ空港に車を廻して貰っていた。ミラノ北部山岳地帯の麓、湖水地方のコモ湖を目指す。

 湖畔から見るブルナーテ山のケーブルカー(右斜め)

 世界ガス会議の際に多くの知人が訪れ風光明媚な素晴らしい所だと聞いて、今回初めて訪れることにした。案内書によるとコモの町の近くからケーブルカーがあるというので、運転手に待って貰ってブルナーテの山頂まで上がる。しかし、これは間違いであった。薄曇りのせいでもあるが大した眺望も開けず、わずかに湖面が覗ける程度で失意で下山する。

           
(左)ブルナーテ山へのケーブルカーチケット   (右)山上からの景色(眺望はいまいち)

 人の形をしたコモ湖は長さ46km、最大深度420mもあり、夏は欧州の避暑地として人でごった返すようであるが、夏休みを終えたばかりの湖周辺は閑散としている。 土産物屋も店を閉じ、楽しみにしていた特産の絹のスカーフを安く手に入れることも出来そうにない。


 
(左)チェルノッビオの最高級ホテル「ビッラ・デステ」  (右)見事なイタリア式庭園
 
 ゆっくり落ち着ける所はないかと運転手に聞くと、湖の左岸の先にいい所があるというので、走ること30分ばかりで大きなホテルに着く。宿泊客専用のプライベートガーデンと湖面の上に専用プールを持っている。観光客は入れないようだが、お昼もまだなので庭園で昼食をと思い、車を乗り入れる。綺麗な花々で装飾された広大な庭園は、良く手入れされた濃緑の芝生と見事なコントラストを醸し出している。湖畔のテラスでサンドウイッチをつまみながら季節はずれの水上スキーを楽しむ人や、専用プールで過ぎ行く夏を楽しむ若者達をぼんやりと眺め、コモの一時を過ごす。
後でわかった事だが、このホテルはチェルノッビオの最高級ホテル「ビッラ・デステ」で、映画「舞踏会の手帳」の舞台ともなった16世紀(1568年)の建造で、現在国の重要文化財だそうな。

 
(左)湖上のホテルプールで行く夏を惜しむ若者達   (右)映画の舞台ともなった国の重要文化財の建造物


 3ケ月ぶりにプリンシペ・ディ・サヴォイアホテルを訪れると、ホテル・スタッフが懐かしがってくれた。夕刻、ホテルで落ち合ったU氏と共にホテルのレストランで夕食。注文したパスタ料理はいまいちであった。斜め前の席に一人の熟女が何故かこちらににこやかな目線を送ってくる。なんとも気持ち悪いものである。


 翌日、イタリア最大のガス会社スナムにM氏を訪ねると共に、腰を痛めたという巨大コングロマリットENIの総裁に昇格したL.M氏を見舞う。ミラノ世界ガス会議は10数億円の予算で運営されたが、1週間で20億円近い金を消費する国際会議。果たしてバブルのはじけた日本で今後どのようにお金を集めるのか、頭の痛い問題である。

           
(左)ミラノ・ドゥモの屋上から見る尖塔群    (右)屋上から見たエマニュエル2世アーケードの入口

 夕刻、158段の階段を避けてドゥモの屋上に裏側のエレベーターで上がる。アマデオ作の素晴らしい外被と天を突き刺す数々の尖塔や彫刻が、下から見上げただけでは分からない様々な表情で迫ってくる。白い大理石も長年の風雨や排気ガスにさらされて、薄黒く汚れている。屋上からは教会前に広がる大広場越しに、遠くロンバルデイア平原まで見渡せる。  
 都市の発展過程が一目でわかるその景色に、日本の城下町、門前町も正に同様の歴史的展開を重ねることが出来る。

 数々の歴史を見てきたドゥモ前広場


 さあ、明日からは改革開放政策を進める中国への旅が始まる。急成長を続けるアジア経済、その中で牽引車の役割を果たす巨大市場を有する中国。面白いぞ!!


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ベルサイユの休日 -パリ- (異文化体験20 童話の国の旅3)

2012年03月10日 15時50分08秒 | 異文化体験_西欧
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ベルサイユの休日 -パリ-  1994.9.9~9.11

 早朝のアンデルセンの故郷オーデンセからコペンハーゲン経由パリ到着は10時40分。同業者のパリ事務所を訪問し情報交換。午後はベルサイユ宮殿の観光、週末は同行のG氏は待望の1泊2日ロアール地方古城めぐり。小生は土曜日ゴルフ、日曜日はミラノに移動という段取り。

 ルイ14世が20年の歳月をかけて建設した200haの大宮殿

 パリの南西23kmに位置するベルサイユ宮殿。
 太陽王と言われたルイ14世がその絶頂期に20年の歳月を費やして完成させた大宮殿であり、200haとも言われる広大な庭園を有している。
 礼拝堂や正面玄関はマンサール、天井画や彫刻はルイ・ブラン、庭園はル・ノートルと言った当時の超一流芸術家、建築家達を動員した一大傑作である。

 
(左)グラン・ザパルトマンを背景に            (右)長さ75mの鏡の間

 グラン・ザパルトマン(Grands Appartements)と呼ばれる居室群は、戦争の間、平和の間、王妃の居室、戴冠式の間等々、ルイ王朝の粋をこらした華麗な造りである。
 中でも鏡の間は、長さ75m、幅10m、高さ12m、17面の鏡がはめ込まれた大空間で、初めて訪れた者を大いに感嘆させる。この部屋は、また第一次世界大戦の終結の調印式も行われている。

 ル・ノートルが創り上げた大庭園

 宮殿を取り囲む庭園は、ル・ノートルが設計したフランス式庭園の一大傑作と言われているが、彼はベルサイユ以前にイタリアで同様の庭園を設計し、それに目をつけたのがルイ14世である。イタリアの起伏に富んだ地形を巧みに取り込んだ庭園とは立地環境が異なるため、高低差をつけ、遠近法を巧みに取り込み、左右シンメトリーの一大庭園をベルサイユで見事に創り上げた。

 宮殿と反対側の庭園の端からはるか宮殿を望む

 宮殿とは正反対側の庭園の端に車を走らせ、そこからベルサイユを眺めると大運河の先に広がる林の間にはるか遠く宮殿が見える。2km以上もあるという、その空間の大きさに改めて感嘆せざるを得ない。

 大(グラン)トリアノン

 宮殿から庭園を見て右手の木立の中に、王妃の住居として建てられた大小二つの離宮がある。グラン・トリアノン(Grand Trianon)は、1687年に完成しバラ色大理石の列柱が見事。ルイ14世の寵姫マントノン夫人の居室等がある。

 
(左)小(プティ)トリアノンのファサード         (右)小トリアノン 王妃の家

 小トリアノン 王妃の村里

 プテイ・トリアノン(Petit Trianon)はルイ15世が寵姫ポンパドール夫人のために造ったもので、マリー・アントワネットも好んで住んだと言われている。プテイ・トリアノン周辺は、イギリス式庭園で田舎家もあり違った雰囲気を醸し出している。


 リドのショー(参考)最近は馬や飛行機が舞台に登場

 これだけ、しっかりベルサイユを見学すると大いに疲れる。パリに戻り、夕食後リドのショーを楽しんで今夜で同行のG氏とはお別れである。


 翌日は、パリ郊外の「APREMONT GOLF CLUB」でゴルフを楽しむ。9月半ばというのに郊外のゴルフ場はラフを落葉が埋めつくして、フェアウェイを外したボールは捜すのに一苦労。トーナメントをやっているわけでないので、ロストした辺りから適当に打つのがこちら流とか。

         
(左)「APREMONT GOLF CLUB」のスコアカード(上)とコース写真(下)  (右)コース案内 

 翌日はミラノに飛んで、月曜日はイタリアガス協会のM事務局長に会って、先刻ミラノで開催され次回日本が開催する「世界ガス会議」の会計状況をヒアリングする予定である。


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ヨーロッパ・アルプス 白銀の空中散歩 -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅8)

2011年12月29日 01時25分19秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)
2011年、最後のブログは「異文化体験18 世界ガス会議の旅」の完結編です。
来る年が皆様に良い年であるよう、祈っています。


ヨーロッパ・アルプス 白銀の空中散歩 -ミラノ- 1994.6.15~6.26
 
 全ての会議日程を終えた世界ガス会議は今日からポストコングレス・ツアーに入っている。シシリー島へのツアーに人気があるようだ。

 我々は、4月のチャレンジが吹雪に阻まれたイタリアからフランスへのゴンドラによるアルプス越えに再チャレンジ。会議で頑張ってくれた仲間3名でミラノを早めに出発。アオスタの街は4月の景色とは一変し、新緑に覆われている。

 
 モンテビアンコ(モンブラン)へのルート(今回は左手イタリア側エルブロンネルからのゴンドラで、数年前は右手フランス側シャモニーから。写真とルート図はほぼ対応しています)

            
(左)ラ・パリュ-エルブロンネル間の切符    (右)出発点ラ・パリュを眼下に高度を上げていく

 アオスタ郊外ラ・パリュ(La Palud)からモンテ・ビアンコ(Monte Biancoモンブラン)、正確にはエギーユ・デュ・ミディ展望台(Aiguille du Midi)まで往復の切符を手に、まずはロープウェイに乗り込む。4月の時は1度乗り継いだ先で悪天候と寒さでギブ・アップしたが、神が味方してくれたのか今日は雲ひとつない快晴である。

 
(左)エルブロンネルからの眺望(参考写真)  (右)エルブロンネル-エギーユ・デュ・ミデイ間の切符

 標高1370mのラ・パリュから、2173mのパヴィリオン(Pavillion)、3375mのトリノ小屋、そしてエルブロンネル(Helbronner)へとロープウェイを乗り継いでやって来るとアルプスの山々の威容が眼前に迫ってくる。ここで行き着く先の見えない4人乗り3重連のゴンドラに乗り換える。眼下にはまばゆい白銀の世界がどこまでも続いている。

  4人乗り3重連のゴンドラ

 何故か数分毎に不規則にゴンドラが停まるのは、全く見えないステーションでお客が乗り込んだためと理解するのに少し時間を要した。ゴンドラが停まり、窓から身をのり出すとそこには物音一つしない静寂の世界がある。シーンと静まりかえった静寂の中にわが身が吸い込まれそうな感じがする。真っ青な空、白銀がまばゆく陽光をはね返す。眼下の白銀の上を小さな黒い物体が動いている。良く見ると登山者が手を振っている。声を出しても偉大な自然の中に吸収されて届かない。

 
 4807m 澄み切った青空に雪煙をあげるモンテ・ビアンコ(モンブラン)の威容

 
                         白銀と青空と、そして静寂と。

 エギーユ・デュ・ミデイ(Aiguille du Midi )が近づくと、アルプスの一大パノラマが更に大きく展開する。3842m、富士山より高いエギーユ・デュ・ミディは、モンブラン、いや今回はイタリア側に敬意を表して4807mのモンテ・ビアンコを間近に見る恰好のポイントとして沢山の観光客がイタリア、フランス両方から登ってくる。

           
(左)エギーユ・デュ・ミディ展望台の構造        (右)展望台テラスとシャモニーの街並み

 エギーユ・デュ・ミディからはるか眼下にフランスからの拠点シャモニーの街の家並みが見えている。数年前はシャモニー側からロープウェイに乗ること20分でここに来たのだが、今日は雲一つない快晴でモンテ・ビアンコの雪煙が間近に見える。
更に、4478mのマッターホルン、4634mのモンテ・ローザ等々、4000m級のアルプスの山々が黒い岩肌を見せ付けている。

 
(左)3842m富士山より高い展望台、階段では息切れも   (右)シャモニーに流れるボソン氷河

 同行の2人は、エギーユ・デュ・ミディの展望台への階段を上がるのに、息を切らし気分が悪いとしばし休憩、軽い高山病である。ここから、イタリア側、フランス側それぞれに登山者が隊列を組んで降りていく姿が確認できる。
 ラ・パリュに戻ると、ベンツの運転手が「どうだった? モンテ・ビアンコは良かっただろう!」と問い掛ける。日本人の富士山同様、彼等の山なのである。

 帰途ゴンドラから見るアルプスの峰々、雲が出始めた

 ミラノに戻り、会議応援仲間で独身のO君のためにレセプションで司会をしてくれた女性をレストラン「赤坂」での食事に誘っている。美人の彼女も留学生の一人。
 その後、市内のカラオケ屋でお世話になった某商社の面々と打ち上げパーティ。本当に現地駐在でしか分からない細かい点で助けられた。

 
(左)お世話になったアローラおばさんからの贈り物   (右)ローマ建国伝説の狼と双子の幼子

 もう一人お世話になった大事な人がいる。アローラおばさんである。おばさんがお別れの時に「シルバーウルフ(銀色の狼)」の置物をプレゼントしてくれた。何でまたこのようなものを、と思っていたが、帰国後それが理解出来た!
 ローマ建国伝説の雌狼なのだ!捨てられていた双子の幼子を自らの乳で育てたという雌狼。双子はロムスルとレムス。兄のロムスルがローマを建国したというイタリアでは有名な伝説だ。

 記憶に深く刻まれたイタリア・ミラノとも明日でお別れである。

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モスキートでクロージング -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅7)

2011年12月11日 23時30分02秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

モスキートでクロージング -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 ベネツィアから帰ると、早速シャワーを浴びて正装に着替え、JGA会長名代として各国レセプションに出かける。

 
いずれもデンマーク会場で (左)IGU事務局長と懇談、   (右)ハープ奏者のレディ?と

 最初は我々と同じプリンシペ・ディ・サヴォイアホテルでのフランスのレセプション、次は城館を借切った次期会長国デンマークのレセプション、ここでは次期会長と懇談、続いてフォーシーズンホテルでの英国レセプションと巡り、ある宮殿を借切ったイタリアのレセプション会場に辿り着くと、時刻は既に午後10時。

 招待状によると着席ディナーとなっている。となれば途中で今更今晩は!という訳には行かないので、そのままホテルに戻る。今宵はロシアもどこかでやっているはず。日本のレセプションがちょっと目立った今回のミラノ大会であった。

          
(左)日本の展示ブース制作責任者のI嬢と   (右)開場前のひと時、イタリア人コンパニオンと

 一方、展示会場は終わりが近づくと各国展示関係者間で恒例の各ブース記念品の交換が盛んに行われている。日本のミニチュアの和傘は大変な人気で、それ目的の来場者も多いが、わがJGAブースの最終来場者は3600名に達した。

 展示イベント終了後の日本ブース記念撮影

 小生もデンマークの「コペンハーゲンで会いましょう」と7ケ国言語で書かれたTシャツ数枚他、各国の記念品をゲット。日本の生活提案コーナーと新技術紹介のブースには、新聞取材があり大きく紹介される等、野点を中心とする日本文化と相俟って人気を博した。

          
(左)ミラノ大会ポスターの「鞄と小さな炎を持った男」    (右)閉会式チケット

 
 (左)軍楽隊による演奏          (右)ズバンディエラトーリの参考写真(会場のものではない)

 23日、16時からオーディトリアムで閉会式が行われた。軍楽隊によるヴェルディの荘厳な演奏、イタリア独特のズバンディエラトーリと呼ばれる旗振りの妙技(フラッグショウ)。最後は大会ポスターデザインの「鞄と小さな炎を持った男」が登場、その炎が大きな炎に変わり、次期会長による次期大会への歓迎メッセージが述べられる。更に次期開催都市コペンハーゲンの映像紹介があり、4日間の会議を全て終了した。明日からは、ポスト・コングレス・ツアーが始まる。一番人気はシチリアのようだ。

 スナム・スポーツセンター・屋外でのフェアウェル・パーティ給仕所風景

 夕刻、午後8時からスナム・スポーツセンターでフェアウェル・パーティが開催された。心配された天気もどうやら持ちそうで、屋外の広大な森に覆われたスポーツセンターの所々に配置されたバーベキューセンターでお皿一杯の肉や野菜、お酒を貰い、ベンチやテーブルに仲間同士で陣取って賑やかな輪があちこちに出来ている。

 虫除けスプレーのモスキートガール?達と

 中には気の毒にも様子がわからずイブニングドレスを着てきた人や、露出度の高い衣服で参加した女性も多かったが、彼女達は薮蚊との格闘である。日本の蚊とは訳が違う。とても大きな蚊である。しかし、そこは心得たもの。イタリア側も虫刺され防止のスプレーを持った担当者が100m置きに配置されていて、ややお冠気味のレディーの露出肌にスプレーしている。

 野外コンサート、そして、その後はダンスパーティへ、

 夜の帳がおりると、広場はコンサート会場に、更にコンサートが終わるとダンス会場に変身し、何時終わるともなく続いている。案内状では予定終了時刻は24時だそうな。さすがに良く遊ぶ人種である。
 午後11時前、藪蚊にこれ以上喰われてはたまらんと、まだまだ続くパーティ会場を後にする。


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ベネツィアの休日とデートの約束 -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅6)

2011年11月28日 22時20分23秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

ベネツィアの休日とデートの約束 -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 ミラノから1時間半。ベネツィア、サンタ・ルチア駅 
 
 レセプションを成功裏に終えた翌日、JGA関係者の慰労も兼ねてベネツィア日帰り旅行を引率する。小生にとっては2度目のベネツィアである。
9時過ぎにミラノ中央駅を出発するインターシティで1時間半の旅。天気も快晴で、がら空きの1等車コンパートメントで大いにくつろぐ。

アカデミア美術館、入場チケット

 サンタ・ルチア駅から水上バスに乗り込み、まずはアカデミア美術館で下船。ジョルジョーネ、ジョヴァンニ・ベッリーニ等の14世紀からのベネツィア派絵画の巨匠の作品が展示されている。が、東洋人には西欧の宗教画は説明なくして理解が不能。
 再び水上バスでサン・マルコ広場に向かう。街中がテーマパークと化した観光都市、今日も大勢の観光客がサン・マルコ広場に集結している。

 サン・マルコ広場周辺の賑わい
  
 正午を少し回ったので、レストランでも入って昼食をと思うが、一行のK氏が何故か「夕刻6時にはホテルに戻りたい」と言う。ゆっくり昼食していれば観光が出来ない。しかたなく広場の北西角にあるテイクアウト専門のサンドウィッチ屋で歓談しながら昼食をとる。

 さすがサッカー王国、店内には様々なフラッグが。

        
 (左)2月の仮装カーニバルの様々なマスク            (右)お土産に買ったマスクの置物

 異口同音にベネツィアの景観と都市システムに驚嘆の声が皆から出てくる。3時にサンタ・ルチア駅に再集合することで若手組と年寄組に分かれて散策開始。
 快晴のサン・マルコ広場を少し散策し、ラグーンに浮かぶ大小様々な島を遠望しつつ、リアルト橋目指して路地裏散策に出発。サッカー王国だけあって、専門店にはリアル。マドリード等名だたるチームの大きなペナントや、女性のヌードをプリントした応援旗等、様々なサッカーグッズが売られている。また、2月のカルネヴァーレでお馴染みの仮面屋さんには大小色とりどりの色んな仮面が並べられており、目を楽しませてくれる。

 リアルト橋からのカナル・グランデの眺望

 ストレートに歩けば15分程度の距離であろうが、1時間ほどかかってリアルト橋に到着。橋の上からは雄大な大運河を水上バス、生活物資の運搬船、ベネツィア情緒満点のゴンドラ等が行き交い、どこからとなくゴンドラの漕ぎ手が歌うイタリア民謡が聞こえてくる。リアルト橋周辺の雰囲気を楽しんだ後、再び水上バスで約束の時間にサンタ・ルチア駅に戻る。4時間程度の滞在ではベネツィアを満喫出来なかったが、皆さん名残を惜しみつつ異口同音に今度はゆっくり来たいとおっしゃる。日帰りとは言え、素晴らしい所に案内してくれたと感謝される。

 水上バスのチケット

 帰りのインターシテイは2等車は満席状態。途中から乗り込んだ学生達は我々の1等車が空いているのでなだれ込んでくる。が、車掌に注意されコンパートメントの外の通路にたむろしている。G氏の目配せにその視線を追うと若いアベックが抱擁しながらおしゃべり。女学生のミニスカートの奥がちらちらと見え、そこに時々男の手が伸びる。やけに短かく感じる帰途であった。

 サン・マルコ広場からラグーナの眺望

 K氏が何故6時に!と言った理由がわかった。昨夜の歌姫と食事の約束が出来ていたのだ。昨夜初対面のはずなのに、隅に置けないおじさんである。
 ホテルに戻ると歌姫からメッセージが届いている。「急用が出来た、申し訳ない」との内容に、全員大いに納得。
 しかし、K氏。「ここに電話番号まで書いてあるのだから、本当に急用なのだ!!」と負け惜しみ。

 さてさて真実は如何に??


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いよいよ本番、レセプション -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅5)

2011年11月22日 16時53分19秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

いよいよ本番、レセプション -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテルのレセプション会場受付風景

 1994年6月21日、ミラノはやや曇天で一時雨の予報も。今日は午後2時からオーディトリアムでJGA会長の基調講演があり、午後5時にレセプション関係担当者はホテルロビーに全員集合!と伝えてある。
 既に専任スタッフは午後から活動を始めており、主要ホテルにJGA調達の巡回バスの運行時刻表を張りに出かけた者、一時雨の予報に傘50本を買いに行った者、レセプション会場の受付準備を行っている者等々、皆てきぱきと働いてくれている。

 オープニングはスカラ座ピックアップメンバーによる四重奏「タンゴの警句」

 夕刻、日本の都市ガス各社のお客さま対応要員が集まり出す。広々としたロビーで今夕のレセプションの段取りを彼らに伝え、JGA正副会長の顔ぶれも揃い、VIP来客用の部屋で全員少し早目の軽い夕食を取りつつ適宜待機して貰う。

 招待状は、およそ400部発送しており、日本国内で回収した出席返答は300部、来場は500名前後と予想している。我々の開会は午後7時半で、この日はドイツが8時半からスフォルツェスコ城で開催する。

 
          各国VIP達が「素晴らしいレセプションだ!」と挨拶に来てくれる
 
 午後7時15分頃から正装の招待客が顔を見せ始めた。巡回バスも数十名のお客様を乗せて次から次と到着し、受付デスク前に長蛇の列が出来そうな気配。直ちに招待状のチェックを中止させ、JGA正副会長の立礼でお客様を出迎える。

 広々としたレセプション会場も、7時45分にはお客様で一杯となった。予定を早めて早速舞台を開演させる。こちらは椅子席も用意され、「タンゴの警句」の演奏が始まると会場に一瞬静寂が戻り、すぐに途切れた会話が再開される。8時15分位まで来客は続き、豪華なホテルの食事・屋台の和食と飲み物を片手に談笑が絶えない。舞台ではじっくり聞こうというお客で椅子席も満席。NHKにも出演した日本の女性歌手の「蝶々夫人」には盛大な拍手。

 
日本から音楽の勉強にミラノに来ているミュージシャンもレセプションを盛り上げてくれる(左、赤いドレスがアローラおばさん)

 来客の顔ぶれは、IGU現会長、次期会長他各国首脳に加え、M次期事務局長やM展示委員長、C事務局補佐等が私の所にやってきて、素晴らしいレセプションだと賛辞を送ってくれる。ホテル・スタッフも額に汗しながら温かい料理や冷たい料理を取り替え、飲み物をサーブして廻ってくれている。私の立てた親指に彼らも親指を立て、お互いの労を労う。

 8時半が招待客のピークで、ドイツのレセプションに向かう人も出始め、8時45分に舞台を終演させることにした。司会の女性が一際大きな声で「皆さん、ご一緒に「ワンダフル・コペンハーゲン」を歌って、また3年後に再会しましょう!」と呼びかけ、オーケストラが演奏を始めると欧州の人々には馴染みの歌とあって大合唱が始まった。

 ミラノ・スカラ座オーケストラのピックアップメンバー達

 9時過ぎに残っている一部のお客様と共に、我々も宴会場でゆっくり食事を開始。接客係の各社の社員も大成功と喜び合う所に、舞台関係者も加わって記念撮影やら、舞台の感想やらで大いに盛り上がった。

 
       会長代行として各国レセプションにも顔を出す(次期会長国デンマークのレセプション)

 結局、700名の参加があり、トラベルウォッチのお土産物も足らなくなったようで、カップルには1つで辛抱してもらったようだ。ちなみに同じこの会場で翌日開かれたフランスのレセプションのお土産は、ミニチュアのムラーノ島ベネチアンガラス容器であった。

 フランスのレセプションのお土産


 さすがにこの日はドイツ会場に行く元気もなく、内輪で成功を乾杯!


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本番にハプニングはつきもの? -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅4)

2011年11月13日 23時19分19秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

本番にハプニングはつきもの? -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 第19回世界ガス会議 5000人の開会式風景

 午前10時、オーケストラの生演奏にあわせて、マルチビジョンにシシリー島からミラノに至るイタリアの観光名所が名画のシーンと共に映し出され、イタリアらしい雰囲気の中で第19回世界ガス会議の開会式が始まった。イタリアのM会長ご自慢の企画である。

 マルチスクリーンは日本のパイオニア製、M会長ご自慢の企画

 が、どうしたことか? マルチビジョンの映像が途中で止まってしまう。再度最初からやり直し。しかし結果は同じ。3度目は諦めてオーケストラがそのまま演奏を続行させる。と、しばらくすると日本のパイオニア製のマルチビジョンに5000人の出席者の期待が通じたのか、イタリアン・フィルムの名画シーンがオーケストラの音楽に同調して映し出された。よかった、よかった。

 
     (左)開会式チケット                   (右)座席エリア指定

 関係者席に座る小生の前には、SPに囲まれたロシアのチェルノム・イムジン首相の顔も見える。ミラノ市長の歓迎の挨拶、IGU・M会長、イタリア産業省次官、チェルノム・イムジンロシア首相のスピーチが続く。M会長がロシア首相を招聘したようで、彼の人脈と、欧州ガス市場とロシアとの緊密な関係が窺い知れる。5000名の参加者のうち、日本からは250名。欧州以外では最多参加国となった。

 開会式の後、展示会場に直行すると、既に日本ブースには日本からの視察ミッションのおじさん達が焼き鳥と冷酒で大賑わい。彼等のために用意したわけではないのだが。果たして間もなくやって来るIGU幹部の巡視に残っているやら? 運営係に注意をして、正午に始まる展示会場のテープカットに出向く。

 展示会場・日本ブース内の休憩コーナー

 日本ブースでは、常時11名の説明要員とイタリア人コンパニオン3名、和服姿の日本人コンパニオン2名、それに日本の設営会社のスタッフ数名等が運営にあたっている。設営会社の責任者 I 嬢も和服姿となって、来場のご婦人に和服を着てポラロイド写真を撮るサービスを提供しているが、これが結構うけている。

 午後からオーディトリアムで基調講演が始まり、本格的にA~Kまである各委員会のセッションもスタートする。基調講演の最初はインドネシア・プルタミナのA総裁が務める。

 フィエラ・ミラノでのガラ・ディナー(5000人が同じ食器で同じ食事を)

 夕刻20時30分から、フィエラ・ミラノのいくつものホールをぶち抜いたガラ・ディナーが開催される。その前にフォーシーズン・ホテルで米国ガス協会主催のレセプションが18時から開催されているので顔を出す。アメリカガス協会会長や事務局長らが出迎えてくれる。飲み物とカナッペだけのシンプルなレセプションであった。

 その足でガラ・ディナー会場に向かう。同じ食器、同じ食事で5000人が一堂に会する晩餐会となると日本ではとても出来そうにないが、この辺のインフラが整っている欧州はたいした物である。

 ガラ・ディナーで同席したマレーシアのVIP

 しかし、小生はそうゆっくりと出来ない。というのも、明日のレセプションに備えてスカラ座ピックアップメンバーで組織するミニオーケストラがリーダーのマンションで練習中、是非見に来てくれと言う。
 何とかメイン・ディッシュを食してから、同席のマレーシアのVIPに別れを告げてミラノ市郊外のマンションにアローラおばさんと担当のM君の3人で訪ねる。彼らとは初対面である。オープニングに採用した「タンゴの警句」という曲とフィナーレで使う次回開催国デンマークの民謡「ワンダフル・コペンハーゲン」を聞き、日本民謡も取り入れたプログラムに満足の意を表する。

 今日の開会式といい、ホテルS氏のおたふく風邪の件といい、入念に入念を重ねた準備にもハプニングはつきものである。明日のレセプションは如何あいなるや?


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