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リド島のローストチキン -ヴェネチア- 1996.04.30
昨日の午後はハウスワインのお蔭で全く観光が出来なかった。その分、今日は忙しい。ホテルのセミスィートの部屋で今日の予定を立てていざ出発。
9時のドゥカーレ宮殿開館を待つ間、サン・マルコ広場周辺を散策する。Palazzo Ducaleは総督の宮殿のこと。
ホテルの部屋で今日の予定を打合せ
(左)サンマルコ広場(Wikipediaより、1730 カナレット作) (右)修復の続くサンマルコ寺院を背景に
9世紀にエジプトから運ばれたマルコの遺体を収めるために建てられたサン・マルコ寺院は大規模修復が続いている。寺院右手のドゥカーレ宮殿も同じく9世紀に当時のヴェネチア共和国政庁として建造された。ティントレットのParadisoのある2階大評議員会議室から階段を降りると、この橋を渡った囚人は二度とこの世に戻れないと言われた有名な「溜め息の橋」に出る。
小広場の柱(サンマルコの獅子の彫像と聖テオドーロの彫像)
(左)後方は「溜め息の橋」 (右)囚人が二度とこの世に戻れないと嘆いた「溜め息の橋」の中
地下牢から再び広場に出て、鐘楼に上る。何度か崩壊したようだが、ここからの眺めは最高である。迷路のような路地を建物角の標識を頼りに再びカナル・グランデ、リアルト橋まで散策する。
鐘楼から見た寺院のクーポラ
鐘楼から見たヴェネチアの風景
425年がヴェネチア誕生の年と言われる。フン族の侵攻を避けるため本土住民が干潟に移り住んだ年だそうな。昔は首都がリド島のマラモッコにあったが、813年防衛の容易なリアルトに移し、これが今日のヴェネチアの起源と言われている。それにしても、この街の下には何百万本、いや何千万本もの松杭が打ち込まれ、これらの巨大な石造建造物を支えているとは信じがたい話である。
(左)海から見た広場とドゥカーレ宮殿(Wikipedia、1730カナレット作(右)リド島へのボートから見た広場(1730と同じ景色)
ヴェネチアンガラスで有名な島はムラーノ島であるが、今回は「ベニスに死す」の舞台リド島に行くことに。ホテルに戻ってホテル専用ボートで送って貰う。長さ12kmの細長い島である。国際リゾート地としてヴェネチア国際映画祭もここで開催される他、カジノ等がある。リド島一のホテル・エクセルシオールの長く続くプライベートビーチにはこの季節人影も見えず、風も強い。
リド島 ホテル・エクセルシオール(ヴェネツィア映画祭会場)のプライベートビーチで
町の方に歩いていくと、なにやら大きなワゴン車に人だかり。何だろうと近づくとローストチキンの販売に地元の人たちが列をなしている。見るからに美味しそうな黄金色のローストチキンが大きなオーブンの中でまわっている。皆さん、一羽丸ごと買っていくので順番待ちにも結構時間を要しているようだ。
しかし、待つだけのことはありそうな美味しそうなこんがり焼かれたチキン。我々もお腹が減ってきた頃なので、昼食はこれ!と決めて列に並ぶ。地元の人たちが、やや不思議そうに我々の方を見ている。皆さん、結構細かく注文の指示を出していることもあって、時間がかかる。前のおばさんが何か話しかけてきてくれるのだが、早口のイタリア語ではよく分からない。何度かのやり取りでどうやら日本から来た観光客だと理解してくれたようだ。
(イメージ写真です)
そうすると、このおばさん大声でチキン屋に何か言っている。チキン屋が今度は我々の方に向かって何か叫んでいる。どうも、周りの状況から「遠いところから来ているのだから先にしてあげて!」と言ってくれて、チキン屋が我々に注文を聞いていると理解できた。ハーフカット、と言っても結構な大きさだが、地元の皆さんの温かい理解と協力でほっかほっかのローストチキンを手にすることが出来た。
浜辺に腰掛けてジューシーな温かいチキンという予想外な昼食を取り、公園に出ている様々な露店を覘いてまわる内にホテルボートの迎えの時間が。
ヴェネチアの思い出を携えてホテルボートでサンタ・ルチア駅へ
ホテルに戻り預けた荷物を受け取って、今度はサンタ・ルチア駅までホテルボートで送って貰う。ヴェネチアからはインターシテイで花の都フィレンツェへ。
リド島のローストチキン -ヴェネチア- 1996.04.30
昨日の午後はハウスワインのお蔭で全く観光が出来なかった。その分、今日は忙しい。ホテルのセミスィートの部屋で今日の予定を立てていざ出発。
9時のドゥカーレ宮殿開館を待つ間、サン・マルコ広場周辺を散策する。Palazzo Ducaleは総督の宮殿のこと。
ホテルの部屋で今日の予定を打合せ
(左)サンマルコ広場(Wikipediaより、1730 カナレット作) (右)修復の続くサンマルコ寺院を背景に
9世紀にエジプトから運ばれたマルコの遺体を収めるために建てられたサン・マルコ寺院は大規模修復が続いている。寺院右手のドゥカーレ宮殿も同じく9世紀に当時のヴェネチア共和国政庁として建造された。ティントレットのParadisoのある2階大評議員会議室から階段を降りると、この橋を渡った囚人は二度とこの世に戻れないと言われた有名な「溜め息の橋」に出る。
小広場の柱(サンマルコの獅子の彫像と聖テオドーロの彫像)
(左)後方は「溜め息の橋」 (右)囚人が二度とこの世に戻れないと嘆いた「溜め息の橋」の中
地下牢から再び広場に出て、鐘楼に上る。何度か崩壊したようだが、ここからの眺めは最高である。迷路のような路地を建物角の標識を頼りに再びカナル・グランデ、リアルト橋まで散策する。
鐘楼から見た寺院のクーポラ
鐘楼から見たヴェネチアの風景
425年がヴェネチア誕生の年と言われる。フン族の侵攻を避けるため本土住民が干潟に移り住んだ年だそうな。昔は首都がリド島のマラモッコにあったが、813年防衛の容易なリアルトに移し、これが今日のヴェネチアの起源と言われている。それにしても、この街の下には何百万本、いや何千万本もの松杭が打ち込まれ、これらの巨大な石造建造物を支えているとは信じがたい話である。
(左)海から見た広場とドゥカーレ宮殿(Wikipedia、1730カナレット作(右)リド島へのボートから見た広場(1730と同じ景色)
ヴェネチアンガラスで有名な島はムラーノ島であるが、今回は「ベニスに死す」の舞台リド島に行くことに。ホテルに戻ってホテル専用ボートで送って貰う。長さ12kmの細長い島である。国際リゾート地としてヴェネチア国際映画祭もここで開催される他、カジノ等がある。リド島一のホテル・エクセルシオールの長く続くプライベートビーチにはこの季節人影も見えず、風も強い。
リド島 ホテル・エクセルシオール(ヴェネツィア映画祭会場)のプライベートビーチで
町の方に歩いていくと、なにやら大きなワゴン車に人だかり。何だろうと近づくとローストチキンの販売に地元の人たちが列をなしている。見るからに美味しそうな黄金色のローストチキンが大きなオーブンの中でまわっている。皆さん、一羽丸ごと買っていくので順番待ちにも結構時間を要しているようだ。
しかし、待つだけのことはありそうな美味しそうなこんがり焼かれたチキン。我々もお腹が減ってきた頃なので、昼食はこれ!と決めて列に並ぶ。地元の人たちが、やや不思議そうに我々の方を見ている。皆さん、結構細かく注文の指示を出していることもあって、時間がかかる。前のおばさんが何か話しかけてきてくれるのだが、早口のイタリア語ではよく分からない。何度かのやり取りでどうやら日本から来た観光客だと理解してくれたようだ。
(イメージ写真です)
そうすると、このおばさん大声でチキン屋に何か言っている。チキン屋が今度は我々の方に向かって何か叫んでいる。どうも、周りの状況から「遠いところから来ているのだから先にしてあげて!」と言ってくれて、チキン屋が我々に注文を聞いていると理解できた。ハーフカット、と言っても結構な大きさだが、地元の皆さんの温かい理解と協力でほっかほっかのローストチキンを手にすることが出来た。
浜辺に腰掛けてジューシーな温かいチキンという予想外な昼食を取り、公園に出ている様々な露店を覘いてまわる内にホテルボートの迎えの時間が。
ヴェネチアの思い出を携えてホテルボートでサンタ・ルチア駅へ
ホテルに戻り預けた荷物を受け取って、今度はサンタ・ルチア駅までホテルボートで送って貰う。ヴェネチアからはインターシテイで花の都フィレンツェへ。