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旅行記、世相独言

ウォーターベッドとマッサージ -バンコク-(異文化体験42 微笑の国の旅8)

2014年08月02日 14時39分40秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)


ウォーターベッドとマッサージ -バンコク-     2009.09.09


 6時半にホテルを出発。さすがにこの時間では渋滞が慢性化しているバンコク市内もスイスイ進む。1時間程度は必要との予想であったがゴルフ場までは40分足らずで到着。
「パインハースト・ゴルフ・アンド・カントリークラブ(PINEHURST GOLF & COUNTRY CLUB)」。西・北・南27ホールを有するゴルフ場である。

    
     (左・中)PINEHURST GOLF & COUNTRY CLUBのクラブハウスとカート         (右)クラブハウス・エントランス

 一昨日、ホテルのデスクで予約に随分手間取ったが、料金はグリーンフィ1800、キャデイフィ250、貸しクラブ700、送迎リムジン770(2300/3人)、キャデイチップ200で、合計一人当たり3720バーツ、約10000円ほどである。
 ここも日本でのネット予約料金は、グリーンフィ+キャデイフィ+送迎パックで2700バーツ、これに貸しクラブ+キャデイチップ900バーツをプラスすると3600バーツ。
 値段は、むしろネット予約の方が少し安く、ネゴの多大な浪費時間を考えるとお得であろう。

                   
(左)西、北、南の3コース 27ホールのゴルフ場 コースレイアウト      (中・右)南コース&西コースのスコアカード

 さて、ゴルフは昨夜来の雨で心配したが、明け方には止んでくれて何とかプレイ出来そうである。キャデイはと言うと、さすが首都のキャデイさん、チェンマイとは違って美形のスリムな若いキャデイである。一人姐御風のキャデイがいるが、年長の小生が自然と引き受ける形になる。貸しクラブも新品ではないかと思われるほど真新しいクラブ。選択する余地もなく既にスタンバイされている。

   
(左)ロッカールーム          (中)ハウスキャディ(チェンマイよりは格段に若い)    (右)ラウンドのイメージ写真

 水をしっかり吸ったフェアウェイは鮮やかな濃い緑色。数ホール進んだところで、打球がやや右にそれて池の傍のフェアウェイに止まった。ボールに近づくと、まるでウォーターベッドの上にいるような、トランポリンの上を歩くようなフワフワした感じ。

  
(左)南コース3番ホール(フェアウェイはウォータベッド状態) (中)3人でカートなし徒歩によるプレイ  (右)西コース9番ホール

 多分、下が粘土層でその上に土を入れて芝を張っているのであろう。底地と芝の間に水が溜まり、何とも奇妙な歩行感である。大ダフリでもしようものなら、風船が破裂するがごとく泥水の洗礼が待ち構えているのではないかと心配が先にたつ。 ボールだけをクリーンに確実に打つ技術は持ち合わせていない。ええい!なるようになれ!とスイングすると、少しばかりの泥の洗礼で最悪の結果は免れた。プレイ終了までにこのような箇所に何ヶ所か出くわしたが、正にウォーターベッド上でのゴルフプレイであった。
 いよいよ最終の一つ手前、WESTコース8番ホールはこのゴルフ場の名物ホールだそうで、「SKY T-off グラウンド」からのティーショット。
平坦なバンコクのゴルフ場、高低差をつけようとする試みだろうが、関西のゴルフ場育ちの我々にとってはあまり意味をなさない代物。

  
(左)WEST8番ホールのSKY T-offグラウンド                (中・右) クラブハウスから見た西コース9番ホール


 プレイ終了後は、市内に戻ってお買物と昼食、最後のマッサージと結構忙しい。

 タイ・シルクの店「ジム・トンプソン」本店

 タイのお土産と言えばシルクかスズ製品。国際的ブランドとしてジム・トンプソンのタイシルクが有名である。スリウォン通りの本店で、奥様向けポーチ等の小物を購入後、バーガーキングで簡単な昼食、ホテルで午後5時の集合を約してひとまず解散する。

 (←左)クレセントバッグ   (右→)店内 


 小生はゴルフの疲れをタイの古式マッサージで癒そうと、スクムウィット通りのNana駅とAsok駅の間に位置する「キング・アンド・アイ・スパ・アンド・マッサージ」に向う。

 キング・アンド・アイ・スパ・アンド・マッサージ

何のことはない、地球の歩き方お薦めのマッサージ店という理由だけである。ロイヤルタイマッサージ 2時間1000バーツというのを選択。能書きによると「体の構造、生理学を学んだマッサージ師によって施術される筋肉の疾患に対する治療のようなマッサージ。主に親指と手の平全体を使って、重い懲りなどの部位を丁寧に揉み解していきます。当館100名のマッサージ師のうち6名のみが可能なマッサージ」とある。

                
(左)「キング・アンド・アイ・スパ・アンド・マッサージ」の入り口               (右)マッサージ・ルーム

 この古式マッサージをしてくれたのは小柄な小太りの若い女性だが、手の平、こぶし、指等々、ハンドパワー総動員で丁寧につぼをマッサージしてくれる。結構しんどい仕事だと思う。店自体は地球の歩き方の紹介文ほど綺麗な所ではなく、はるかにチェンマイのマッサージ店の方が安価でゴージャスであった。

 マッサージ終了後、陽も高いうちから早くも妖しげな雰囲気を漂わせるNana駅周辺のバー街を抜け、ホテルに戻るとほぼ同時に相方達も戻ってきた。預けた荷物にお土産類をパッケージし、少し早いが大渋滞に巻き込まれないうちに空港に向う。


  バンコク・スワンナプーム国際空港

 バンコク・スワンナプーム国際空港。タイ航空のチェックインカウンターは1割位ではなかろうか。残りは他の航空会社が乗り入れて、正に東南アジアの熾烈なハブ空港競争の一翼を担っている。タイの雰囲気を醸し出す様々なデコレーションが出国人のカメラの背景となっている。

                
                     (左・右)タイの思い出づくりに一役買うデコレーション

 「おかまさん」も働くフードコートで夕食を済ませ、復路は日本航空とのコードシェア便、タイ航空622便、22時40分発関空行きに乗り込む。結構、満席状態で翌9月10日午前6時10分に関空到着。 

 日本のどこかに600バーツで2時間マッサージをしてくれる店はないものか?




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巨大都市の胃袋と夜 -バンコク-(異文化体験42 微笑の国の旅7)

2014年07月27日 14時20分26秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

巨大都市の胃袋と夜 -バンコク-   2009.09.07-09.08

 タイの人口はおよそ6200万人。首都バンコクは統計上その約13%の820万人だそうだが、出稼ぎ等住民登録していない人達が多く、軽く1000万人を超える巨大都市だ。
 外食が多いバンコク市民を支えるのがフードコート、レストラン、食堂、おかず屋台、屋台といった店々。

 バンコク初日は、ワット・プラケオと王宮見物後、ホテルに戻り1時間半に及ぶゴルフの段取りを終え、BTSでナーナー駅から3つ先のサヤーム駅に向かう。

  超大型ショッピングセンター、「サヤーム・パラゴン」

 サヤーム・スクェア周辺は正に東京の渋谷・原宿、大阪の心斎橋界隈に匹敵する若者の街。その一画に2005年暮れ超大型ショッピングセンター、サヤーム・パラゴンが完成し、1階に巨大なフードコートが出現した。白を基調に明るくて清潔感溢れるところが若者の支持を得て、夕刻ともなれば連日大入り満員である。

                          
(左)センミー・ナーム&タオクー・ソン・クルアン             (右)ケーン・カーオ・パット(料理名は不正確かも)

 我々はAsian Cuisineのコーナーで食事を選択。小生はミートボールの入ったセンミー(米から作った麺)・ナーム(スープありの汁ソバ)90バーツと、タオクー・ソン・クルアン(揚げ豆腐の野菜炒め煮)80バーツを注文。税・サ込みで丁度200バーツ。比較的あっさり系だが、ボリューム満点で満腹。
 相方の一人はケーン(カレー系)カーオ・パット(タイ風チャーハン)に汗を拭き拭き挑戦。小生は、朝食が付いていないのでフードコートで焼きたてのパンを買ってホテルに戻る。


 二日目はアユタヤ観光の後、ホテルでシャワーを浴びていると激しい雷雨になった。相方達は別のツアーでまだ戻っていない。様子見で30分ほどロビーで待つが、雨も止まず、相方達も戻らない。
 実質、最後の夜なのでタイ人が「スキー」と呼ぶ本場のタイスキを食べることにし、一番近いサヤームのMKに行くことにした。

            
(左)MKレストランのポイント割引券                    (右)タイスキ・イメージ(参考写真)

 15年前ほど前に女房とシンガポールを旅した際、当時の現地事務所長がタイスキの「コカ」という店に案内してくれた。その際、東京・六本木に最近出店したという話を店員から聞き、日本に戻って何度かコカに通ったし、またタイからの研修生を連れて行ったりもした。そのコカもサヤームにあるようだが、今回は一番人気というMKに行くことにした。

            
(左)満腹コースも道半ばあたり消化したところ                 (右)〆て431バーツ(食べ過ぎ)

 一品一品頼むのも邪魔臭いので、満腹コースというのを頼んだ。肉系が勝って野菜が少ない感じがしたが、何とか一人で平らげた。最後はアイスクリームまで頼んで、〆て431バーツ(日本円で1200円ほど)。少し食べ過ぎたようだ。
 結構、人の入りも多い。この価格は日本では4,5千円程度の感覚かと思われるが、タイの所得水準もかなり改善されつつあると言うことだろうか。
 タイスキの両雄、「コカ」と「MK」ではタレの味が異なり、MKの方がやや甘口のような気がする。個人的にはコカの味が好きだ。

            
(左)バンコクでのホテル最寄り駅「NANA駅」             (右)バンコクでの確かな足 BTS(1999年開業のスカイトレイン)

 まだ降り止まぬ雨の中、サヤーム駅構内のヤマザキ屋でパンを買ってBTSでナーナー駅に戻る。何とも優しい感じの親しみを覚える駅である。というのも、我が家のポメラニアンの名が正にナナ。


    
     (左・中・右)「ナナ・プラザ」 中庭を囲む3階建てのビル。ゴーゴーバーがびっしり。中庭はカウンター・バー。

 駅のスクムウィット通りからソイ4に曲がってホテル方向にほんの少し歩くと、ナナ・プラザがある。3階建てのビルと中庭にゴーゴーバーがひしめき合って立地し、通りにも怪しげなお姐さん達がたむろしている。
 行く時も帰りも露出度の高い服を着た同じお姐さんからウィンク・手招きされたが、大柄な背丈や全体の感じからして多分おかまさんであろう。おかまさんがこれほど人権を得て暮らす国も珍しい。

 この中にも「おかまさん」がいるかも・・・

 夜目、遠目、笠の内と言うが、正に夜ともなれば区別はなかなかつかない。通りに面したオープン・バーにも、双方が物色し会う男女、もしかしたら男々達?で賑わっている。男は圧倒的に西欧人が多い。安く遊べるということだろう。賑やかな駅前周辺である。

 それにしても、夜遅くまで降り続く雨に明日のゴルフは大丈夫であろうか?

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世界文化遺産 古都アユタヤ (異文化体験42 微笑の国の旅6)

2014年07月21日 22時53分55秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)


世界文化遺産 古都アユタヤ -アユタヤ- 2009.09.08


 アユタヤ、正式にはプラ・ナコーン・スィー・アユタヤ県は、タイの歴史の中で417年という最も長い時代の都として栄えた古都である。 建国は1350年、バンコクの北80km、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の都市である。
 アユタヤ朝はウートーン、スパンナプーム、スコータイ、プラサートトーン、バーンプルールワンの5王朝からなり、度重なるビルマとの戦争で、1767年ついに陥落、建造物は徹底的に破壊された。
 それまでのアユタヤは海のシルクロードの東南アジアにおける最も栄えた港市・都市の一つとして遠くペルシャやヨーロッパ諸国とも外交・交易関係を樹立していた。

 中世・最盛期のアユタヤ。多くの仏塔も描かれている


 朝、6時半のホテルピックアップの車が来ない。安物のツアーだからやばいと心配していると30分遅れでピックアップの車が到着。カオサンに着くと、それぞれ行き先の異なる車が待機している。アユタヤ行きは小生が一番最後のようで、15名ほどの同行者は待ちくたびれた様子。カオサン出発は、結局8時頃となった。

 A&R Travel社のツアー料金表

             
(左・右)ワット・プー・カオ・トーン(81段の急な階段、仏塔の黄金色は色褪せ、周囲には水田が)

 最初に立ち寄ったのは「ワット・プー・カオ・トーン」。黄金の山という意味だそうな。
 ここで説明・ガイド役のおじさんが加わる。両側にはねた口ひげを持った丸顔の中国系タイ人のようだ。ワット・プー・カオ・トーンは1387年の建立で、高さ80mのチェディ(仏塔)が黄金に輝いている。81段の急な階段を昇ると、のどかな水田地帯が広がり、王宮跡までは南東方向に2km。
 

 アユタヤ遺跡の地図

  
                                   (左・中・右)アユタヤの様々な寺院遺跡


 アユタヤには、膨大な遺跡・寺院群があり、今回のツアーでも全てに立ち寄ったわけではない。今回立ち寄った中で小生流3大遺跡を選択すると、
(1) 「プラ・スィー・サンペット寺院」
(2) 「マハー・タート寺院」
(3) 「ローカヤスターラーム寺院」というところか。

 「プラ・スィー・サンペット寺院」は、ウートーン王朝時代に建立された王室の守護寺院。1500年には高さ16m、171Kgの黄金に覆われた仏像が建造されたが、ビルマ軍により跡形もなく破壊され、残っているのはアユタヤ中期に建てられた3人の王のセイロン様式のチェディ(仏塔)。

             
(左)3つの仏塔が連なるプラ・スィー・サンペット寺院     (中)焼失時の仏像        (右)現在の仏像 


 「マハー・タート寺院」は、仏頭が木の根に取り込まれた姿が印象的な寺院。44mの仏塔があったがビルマ軍に破壊された。寺院内の仏像もことごとく打ち首状態で残っている。

         
     (左・中)木の根に取り込まれた仏頭                        (右)頭を斬り落とされた仏様が至る所に・・・


 「ローカヤスターラーム寺院」は、長さ28m、高さ8mの巨大な寝釈迦がある寺院。アユタヤ時代の末期頃の作らしいが詳細不明。台座は蓮の花の形になっており、数度の改修・復元工事が行われた。

                  
                       (左・右)長さ28mの巨大な寝釈迦像

 今回行けなかったが、アユタヤには16世紀から17世紀にかけて、日本やヨーロッパから沢山の商人が集まり、時の王はこれら外国人に居留地を作ることを認めたので日本人町も出来た。ご朱印船貿易が華やかなりし頃で、最盛期には3000人規模とも言われている。日本人町の頭領山田長政は、傭兵隊長や地方長官まで重用されたようだ。

 16~17世紀、3千人の日本人で栄えた日本人町遺跡


 観光拠点アユタヤにもエレファント・キャンプがあり、象乗りが出来る。ほんの数百メートル、数分乗るだけだが、2人乗りで一人500バーツ。象使いが足で操りながら歌を披露、結構な高さがあるのと歩くたびに左右の揺れが大きい。

   
 (左)象たちも昼食の時間? (中)象に乗った目線は田舎道を走る2階建てバスの様  (右)前の象の女性と撮り合いっこ


 ツアー客の中にスペイン人のグループがいる。チェンマイへの帰路、彼らは「バーン・パイン離宮」に立ち寄るらしく、直帰するグループと立ち寄りグループに分かれた。小生は急ぐ旅でないので立ち寄るグループに。

 「バーン・パイン離宮」(資料より)

 アユタヤの南20km、チャオプラヤー川の中州に歴代王が夏の離宮としたのがバーン・パイン離宮。小生は中には入らずに、スペイン人達を待つ間、川を渡るのに一役買っているゴンドラや離宮のバックヤードを見学。およそ1時間ほど離宮周辺を散策する。

              
(左)川を渡る裸のミニケーブルカー(対岸建物の上で人が操作)   (右)かつての繁栄を支えたチャオプラヤ川

 帰路、運転手の青年に頼んで足の便の悪いカオサンではなく、BTSのサラディーン駅近くで降ろして貰ったが、例の渋滞で時既に5時。ホテルに戻ったのは6時であった。雲行きが怪しい。シャワーを浴びていると、閃光と雷の音。大粒の雨が降り出した。
  
 そう! 9月はまだ雨季なのだ。


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極彩色の王宮と寺院と -バンコク-(異文化体験42 微笑の国の旅5)

2014年07月16日 22時05分58秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)
 
極彩色の王宮と寺院と -バンコク-     2009.09.07

 午前8時半にチェンマイ・プラザホテルをチェックアウトし、Mr.Mのタクシーで空港へ。
 月曜日の朝ということもあってか、10時発バンコク行きジャンボジェット777-400は満席である。11時20分バンコク・スワンナプーム国際空港着。機窓から見る2006年開港の空港は大きくて様々なエアラインが乗り入れ、活気がありそうだ。
 駐機場から何と800mほど歩かされて荷物を受け取り、ターミナルビルの外へ。若い国の飛行場だ。

 広大かつ沢山のエアラインが乗り入れるバンコク空港

 メーター・タクシーでBTS(1999年開業のスカイトレイン)Nana駅近くのホテル「Ibis Nana」へ向う。バンコクへの人口集中で交通渋滞は聞きしに勝る激しさだ。今回滞在するホテルはNana駅から著名なゴーゴーバーの密集エリアを通って10分ほど歩いた所にある真新しいビジネス風ホテル。

    
(左)まだ新しいホテル「Ibis Nana」 (中・右)最寄り駅は、BTSのNana駅(我が家のポメラニアンと同名、親しみを覚える駅だ)

 ホテル・チェックイン後、早速、翌日の観光の申し込みのため「カオサン通り」に向う。「カオサン通り」は、世界に名だたるバック・パッカーの聖域で、安宿や激安旅行代理店等がひしめいている。

            
(左)雑多な感じのカオサン通り                   (右)A&R Travelの事務所

 その中の1軒が、A&R Travel. タイ初めての小生はアユタヤ、タイ複数回目の同行者たちはカンチャナプリー・トレッキングのツアーに夫々申し込む。朝食・昼食込みで前者は450、後者は550バーツ。アユタヤ観光は日本で申し込めば1200バーツ前後するから1/3と随分安い。ただし、英語のツアーだそうだ。朝食の代わりにホテル・ピックアップ可能とのことで、そちらをお願いした。

 時刻は既に午後2時近い。空腹を満たす必要がある。カオサン通りの近くの「竹亭」という和食レストランに向う。久々に座敷席に坐ってフィレカツ定食、160バーツを食する。
 カオサン通りは王宮に近いが、王宮とワット・プラケオの入場は午後3時までらしく、歩けば15分ほどの距離だがタクシーを奮発?し、滑り込みセーフ。

                         
(左)日本語案内書          (右)王宮とワット・プラケオ配置図

 バンコク遷都は1782年。アユタヤを滅ぼしたビルマ軍をタイから追い出し、トンプリーに新王朝を打ち立てたタークシンは、現王朝の祖ラーマⅠ世に取って代わられ、ラーマⅠ世はバンコクに遷都した。230年ほど前の話である。

 エメラルド寺院とも呼ばれるタイで最も格式の高い王室寺院「ワット・プラケオ」は、遷都の年の建立。王宮と共に外側を白亜の外壁で囲まれた22haという広大な敷地を有する。

            
(左)エメラルド寺院の本堂                   (右)エメラルド仏(実際は翡翠で彫られた66cmの仏様)

 本堂のエメラルド色の仏像は1434年チェンライで発見され、幾多の歴史を経て、今日タイ国の本尊仏として最も崇められている。
 実際は緑色をした翡翠で彫られ、ブッサボクという金箔で覆われた木彫りのタイ様式の須弥壇に安置されている66cmの小さな仏様。この仏様は撮影禁止。

 回廊にはインドの有名な叙事詩のタイ版「ラーマーキエン」の世界が黄金色で描かれており、補修作業も念入りに行われている。

 根気の要る修復作業

 日本のそれとは大いに異なる黄金色のチェディ(仏塔)や極彩色の仏教施設に驚かされる。とても1時間で見て回れる代物ではない。

                  
(左)左の黄金塔プラ・シー・ラタナー・チェディ、右の建物プラ・モンドップ      (右)半人半鳥のキンナラと後ろはヤック.

 精密に再現されているアンコール・ワットの模型

 
 高僧か、国賓級の来客か、王宮・寺院の中は軍服姿の高級将校達が椅子に腰掛けて待っている。よく事情は分からないが儀礼兵の行進もある。

             
(左)儀仗兵の行進 (王宮内には何種類かの衛兵がいる)  (右)ビクトリア様式とタイ様式の融合したチャクリー・マハ・プラサート宮殿
 

 チャクリー・マハ・プラサート宮殿は、ラーマⅤ世時の建物。ビクトリア様式とタイ様式の融合した建物で、残念ながら内部見学は丁度タイムアウト。この宮殿西側のドゥシット・マハ・プラサート宮殿はラーマⅠ世時のもの。王宮内で最も古く歴代王の戴冠式が行われている宮殿である。

                  
(左)アポーン・ピモーク館とその後はチャクリー・マハ・プラサート宮殿  (右)ドゥシット・マハ・プラサート宮殿

 1時間ほど見物して、次に訪れたのが1788年建立の「ワット・ポー」。
 タイ最初の大学として、また巨大涅槃仏のある寺として有名である。長さ46m、高さ15m。悟りを開き涅槃の境地に達した様子だそうな。足の裏には108の螺鈿細工画が施されている。

             
            (左・中)「ワット・ポー」の46mの巨大涅槃仏               (右)「ワット・ポー」極彩色の尖塔群

 既に5時近い。三島由紀夫の小説「暁の寺」の題材となったワット・アルンにも足を延ばしたいところだが、明後日の帰国日のゴルフの段取りがまだ出来ていない。
 ひとまずホテルに戻り、ツアーデスクで段取りを行うことに。ホテルのツアーデスクもあまりゴルフの段取りの経験がないらしく要を得ないが、何だかんだで結局予約が成立したのは18時30分であった。

 ああ、腹が減った!!!
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チェンマイ駆け足観光 3寺院 -チェンマイ-(異文化体験42 微笑の国の旅4)

2014年07月02日 12時40分57秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

チェンマイ駆け足観光 3寺院 -チェンマイ- 2009.09.06


 チェンマイが歴史舞台に登場したのは、1296年。ラーンナータイ王国の首都としてマンラーイ王が建設した。もともとラーンナータイ王国の首都はチェンマイより更に北のチェンライ(「マンラーイの街」という意味)であった。

 チェンマイは「新しい街」という意味で、ラーンナー王朝の首都として発展を遂げる。ラーンナー王朝は1558年にビルマにより属国化されるが、チェンマイはラーンナー地方の首都として発展。13世紀末から19世紀後半までおよそ600年間、タイ北部の中心地として栄えた。
 チェンマイには、北の「元」の侵攻を防御すること、ビン川を通じてチャオプラヤ川、更にタイ湾に通じ、中国貿易が効率的に可能といった立地特性がある。

             
(左)堀と城壁に囲まれた旧市街を中心に広がるチェンマイ         (右)旧市街を囲む掘割


 現在のチェンマイは、四方を堀に囲まれた旧市街地と、その外側の新市街地からなる。
 かつては堀の内側に城壁が続き、立派な城門が市内外を結んでいたが、今はチェンマイ門、ターペー門等、5つの門がその名残を留めている。ビン川が街の東側を流れ、下流でチャオプラヤ川に流れ込む。

   
                      堀と崩れかけの城壁がチェンマイの歴史を物語る(車窓より)

 ゴルフのプレイ後、Mr.M(入国以来世話になっているタクシーの運ちゃん)に頼んで旧市街の3つの寺院を観光する。
 寺院は運ちゃん任せ、各寺院見学10分の約束で、時間的には午後2時半から3時15分の45分間の無償サービス提供である。

 最初に案内されたのは、チェンマイで最も長い歴史を有する「ワット・チェン・マン」。
1296年の建都時に建立された寺院で、かつては宮殿でもあったようだ。2体の仏像が納められ、一つは1800年前の水晶仏、一つは大理石の仏像。

 チェンマイで最も長い歴史を有するという「ワット・チェン・マン」


 次に案内されたのは、旧市街の中央に位置する巨大仏塔の「ワット・チェディ・ルアン」。
 格式の高い寺院で、一際大きな仏塔が印象的である。1411年に建立され、高さ86mの仏塔が1545年地震で壊れたが、日本とユネスコの援助で修復されたようだ。

                      
「ワット・チェディ・ルアン」(左)地震で崩れた86mの仏塔 (中)本殿入口のドラゴン     (右)本殿の巨大黄金仏

 仏塔の横の木陰で2人の女子学生と一人の男子学生がたむろしている。大学をサボって何をしちょる!と思っていると、声をかけてくる。チェンマイの大学・社会学部の学生で、観光客に「チェンマイの中・長期滞在に関するアンケート調査」への調査協力である。可愛い子に声をかけられると断らないのが、おじさんのいい所。Mr.Mとの時間約束そっちのけで英語のアンケート調査に協力。

 チェンマイの大学生の調査に協力

 ここ、チェンマイは物価が安く、タイの中でも比較的涼しく年金生活者にとって生活しやすい外国の一つとして、沢山の日本人リタイア組のロングステイ先となっている。地元日本人向けコミュニテイ誌には不用品の物々交換のアイテムが写真入りで掲載されるなど、生活感溢れる紙面構成である。

 地元日本人向けのコミュニティ誌

 最後に訪れたのは、 「ワット・プラ・シン」。チェンマイで最も格式の高い寺である。
 1345年、時のラーンナー王が父の墓として建立。シヒン仏(獅子仏の意)を祭るようになってワット・プラ・シン(獅子仏の意)と呼ばれるようになった。

      
(左)チェンマイで最も格式の高い寺「ワット・プラ・シン」     (中)本殿に参拝           (右)本殿の仏像

            
      (左)本殿の後ろ側                       (右)プラ・シン仏を納めるライカム礼拝堂)

 日曜日ということもあって、どの寺院とも市民の参拝者が多い。信心深いタイの人々、我々が本堂で仏像をバックに写真を撮っている横で、お坊さんにお供えと共に願い事や感謝の祈りを熱心に行っている。

  参拝者相手の物売りのおばさん

 Mr.M(タクシーの運転手)に明日の空港までの送りを再度頼んで、ホテルに戻る。
さあ、明日はバンコク! どんな街だろう。 楽しみだ!


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ゴルフとプールとマッサージと -チェンマイ-(異文化体験42 微笑の国の旅3)

2014年06月25日 16時22分39秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

ゴルフとプールとマッサージと -チェンマイ-       2009.09.06

 9月6日 日曜日。今日は、昨日ホテルフロントを通じて予約した「ザ・ロイヤルチェンマイ・ゴルフ・リゾート」でのゴルフである。
 5時45分に起床、ホテルバイキングの朝食後、6時45分きっかりに昨日空港からの送りや観光でお世話になっているMr.Mのタクシーがピックアップに来た。

            
                 (左・右)ホテルの朝食ブッフェは5時半頃から取ることが出来る

 「ザ・ロイヤルチェンマイ・ゴルフ・リゾート」は、チェンマイの北、車で約30分強のところにあるのどかなゴルフ場である。リゾートという位で56室のホテルが併設されているようだ。

                
 (左)ロイヤル・チェンマイゴルフ・リゾートの案内書                (右)スコア・カード 

 タイでゴルフと言うと、キャディ以外日傘や腰掛を持つ女性など、プレイヤー一人に数人の女性がついてまわると言った話を聞くが、今日そんなゴルフをする人はまずいない。中にはそのような昔風ゴルフをご接待されて、タイでは・・・といった話をする人もいるようだが。

                         
                    (左・右)見事に手入れされた美しいゴルフ場                       

 さて、私のキャディさん、少しお年を召しているようだが、頬かむりが深くてよく分からない。
 コースは平坦であるが池を配し、小さな丘を沢山配して難しくしてある。緑の濃いフェアウェイは気持ちが良いが、2ホール目にして早くも汗が噴出してくる。貸しクラブの銘柄が3人3様で年配者には辛い硬いシャフトにやや苦戦。
 キャデイもタイ語と片言の英語で的確な?アドバイスをしてくれるが、その内容は距離以外、打ってから分かる内容である。

            
  (左)少しお年を召したキャディさん                       (右)クラブハウス

 料金がいまいちよく分からない。ホテル経由で直接申し込んだ方が安いだろうと言うので今回そのようにしたが、日本での事前ネット調査と比較すると以下の通り。
               ゴルフ場での実際の支払金額      ネットでA社見積り      ネットでB社見積り
グリーンフィー+キャディフィー  2020                1220             1420
往復送迎 / 台             1200                1200            ――

 ゴルフ場での支払いは、更に貸しクラブ700バーツ、キャデイチップ200バーツ等で計2920バーツ、これにタクシー代が一人当たり400バーツ、結局一人当たり3320バーツ、約9000円強ということに。
 どうも、日本で代理店を通じてネット予約した方が安いようで、また時間の効率化にも役立つようだ。

 シャワーを浴び、カオ・ソーイと和風やきそばの昼食(前回ブログで紹介済)後、これまた13時30分きっかりにMR.Mのお迎えが来た。 
 Mr.Mに少し無理を言って、旧市街の著名な寺院を3ケ所(次回ブログで紹介予定)寄り道をしてもらって午後3時過ぎにホテルに戻る。午後5時頃に夕方の行動開始ということで、部屋でそれまで小休止。

             
(左)チェンマイ・プラザホテルのロビー         (右)ホテルのプールで一泳ぎ プールの写真上半分は足が底に着かない

 ホテルには20mほどのプールがある。日本のジムで水泳教室に通う小生、早速プールに直行する。先客は韓国の3人の若者。プールは腰高の浅い所と深くて足が届かない所に真ん中で分かれている。しばらくするとスペインの男性二人を従えたビキニのセニョリータがやって来て、プールサイドが俄然賑やかになった。女一人で雰囲気がこうも変わるものか。

 ホテルすぐ近くのナイト・バザール 様々な工芸品も売られている

 夕刻、ナイトバザールの広場で簡単な夕食後、3人3様の行動へと別れる。小生の向かったのは「レッツ・リラックス」というスパ&マッサージ店。ここ以外にバンコク、プーケット、パタヤに国内7店舗を持つお店。

            
             (左・右)「Let's Relax」のパンフより  写真に料金表とチェンマイ店の紹介

 少し高級感が漂う店構えである。トリートメント・リストの中から2時間600バーツの「Thai Herbal Massage」を選ぶ。
 担当の女性は小柄な若い女性。まず通された小部屋で足の洗浄と軽いフット・マッサージ。それが終わるとお香と癒し系音楽が流れる個室空間へ案内される。マッサージは、壺を心得た女性マッサージ師の癒し系とはほど遠い口からうなり声が漏れる程しっかりしたもの。チェンマイのマッサージはストレッチ系のマッサージで、バンコクとは異なるとか。
 2時間はあっという間に終わり、お店のロビーでお茶とクッキーが提供されてコースが終了。

 マッサージ後、お茶とクッキーのおもてなし

 ああ!身体が少し軽くなったような気分、すっきりした!

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カオ・ソーイと回転タイスキ -チェンマイ・グルメ- (異文化体験42 微笑の国の旅2)

2014年06月21日 23時46分40秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)


カオ・ソーイと回転タイスキ -チェンマイ・グルメ- 2009.09.05-06

 チェンマイの名物料理がある。カオ・ソーイ(Khao Soy)というカレー味のスープに普通の麺とその上に揚げ麺が乗った代物で、具は一般的にはチキン、その他にポーク、ビーフ、シーフード等など。ライムを搾り、付き合せの玉葱やパックカート(漬物)を入れて好みの味に整える。

         
 (左)ホテル近くの高級?カオ・ソーイ専門店(名刺)      (右)お店の店構え(空調完備の綺麗な店)


 ホテルにチェックインした後、少し早い昼食を取って観光に出かける手はずである。ホテルで聞くと少し高いがホテルの近所に「Just Khao Soy」という店があり、美味しさで評判の店だという。早速その店に行くとまだ開店準備中。確かにまだ午前10時半である。店の看板には11時開店となっている。昼間の誰もいないバザール広場辺りで時間調整してこの日の第1号のお客さんとなる。辛さにランクがあり、小生が頼んだのはビーフであまり辛くないもの。それでも適度に汗が噴出してくる。

 これが美味しさが評判のカオ・ソーイ(辛さは各種オーダー)


 初日の夜は、ホテル近くのナイトバザール見物がてら、屋台で食べる手はずで出発。ナイトバザールは、夕方になるとどこからともなく屋台が集まってきて日没近くになると、ホテルから徒歩数分のチャン・クラン通りを中心に周辺歩道に露店がひしめき合って、T-シャツ、ジーンズ、海賊版時計、民芸品等々が、裸電球の行列の下で売られている。
 さて、どこで食事をしようかとうろついていると、新業態の店を発見。

 チャン・クラン通りは夜になると両側の歩道は夜店でぎっしり埋まる

 交差点角のこれが新業態タイスキの店「SHABUSHI」 9時でもまだ待ち人の列が

 タイスキと回転寿司を合体させた新業態の店に人だかりが出来ている。明るく清潔感あふれる店に我々も興味津々。待ち時間20分程度と言うので待つことにした。しかし、20分が30分、30分が45分になれど、いっこうに順番が来ない。お客は次々とウェイティングリストに増えていく。受付デスクにへばりついて順番をチェックするが不正はなさそうだ。店員も気の毒がって「もう少し、もう少し」と言う。やっと順番が巡ってきたのは1時間後であった。

           
                    (左・右)「OISHI」社のホームページより、「SHABUSHI」

 鶏がらスープ(多分)が入った一人ずつのお鍋の前に、回転寿司のベルト同様にいろんな具材が小さなお皿に盛られて流れてくる。野菜類、ツミレ類、肉類、海鮮類等のしゃぶしゃぶ具材、麺類、握り寿司、デザート、何でもありである。店のコーナーにはてんぷら等の揚げ物、アイスクリーム、コーヒー等の飲み物類が置かれ、自由にテイク出来る。75分の時間制限で一人229バーツ(税サ別)。税サ込みで800円程度。わずか50分で腹一杯になって席を立つ。

  たらふく食べて3名で900バーツ 一人300バーツ(約900円)

 後で調べると日本人でなくタイ人が経営する美味しいをもじった「OISHI」という会社が展開する「SHABUSHI」というしゃぶしゃぶ&寿司ブッフェの業態。国内に16の店があるようだ。他にSUKISHI(すきやき&寿司ビュッフェ)、The Tepp(鉄板焼)等々の業態もあるらしい。


 翌日、チェンマイのゴルフ場でラウンド後の昼食は、カオ・ソーイと和風やきそばを食する。カオ・ソーイはやはり昨日の味が印象的、和風やきそばは結構日本でも通用する美味であった。

          
                        (左)ゴルフ場のカオ・ソーイと(右)和風やきそば 


 チェンマイ最後の夜は、ナイトバザールの中心アヌサーン市場あたりで食べようと、市場の真ん中の店に入る。
 決め手はクーラーの個室があるよという店員の一言。しかし、個室に入ってからクーラーの運転を始めるのでただちに快適感というわけにはいかない。
 正直初めての店は、味や量が分からないので、最初にあまり沢山注文しない方が良い。とりあえず定番のパイナップル入り炒飯と野菜炒めを注文してみた。しばらくして出てきた代物は量といい味といい、ここで腰を落ち着けて食べる気がしない。さっさと平らげて店を出る。

   アヌサーン市場内の食堂の看板 「クーラー個室あるよ」の呼びかけに誘われて・・・

 とりあえず胃袋は何とか充たされ、後の行動予定が3人3様なのでここで個別行動に。
 小生はゴルフプレイ後の疲れた身体をマッサージで癒すため、マッサージ店へ。マッサージの後はマッサージ店の1階にあるマクドナルドで夜食をテイクアウト。
 
 真近に閃光と雷鳴が迫ってきた。大急ぎでホテルに戻る。 

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チェンマイ観光 少数民族の村へ -チェンマイ-(異文化体験42 微笑の国の旅1) 

2014年06月17日 00時32分58秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)


チェンマイ観光 少数民族の村へ -チェンマイ-        2009.09.05


 タイは初めて訪れる国である。
 同僚から8月に誘いがありゴルフとマッサージと観光の6日間(実質5日間)のタイ旅行に出発した。
タイ航空673便(ANAとコードシェア)は関空を9月5日(土)午前0時30分に飛び立つ。バンコク到着は午前4時20分。時差は2時間。およそ6時間のフライトである。

 チェンマイ行きの102便に乗り換えるが待ち時間が何と3時間もある。最初のEチケットでは6時頃のチェンマイ便だったが直前になって7時50分の便に変更になった。安売りチケットだからしようがないか?と思いつつ、早朝のがらんとした空港で時間を過ごす。緑濃い丘陵が近いチェンマイ空港に到着したのは午前9時10分。
この時期、円高継続で海外旅行には有難く、旅行期間中の平均レートは1バーツ2.79円。

 車番92のMr.Monthianのメータータクシー

 空港からチェンマイ・プラザホテルへはメーターサービスのタクシーを利用する。No.92のタクシーの運転手はMr. Monthianという実直そうな運転手。ホテルへの道中、チェンマイ観光について運ちゃんと話をし、3ヶ所の観光スポットを午後案内してもらう話がまとまった。料金はネゴして1000バーツ。12時にホテルに迎えに来てもらうことで、ひとまずホテルにチェックインする。

             
                      (左・右) チェンマイ・プラザホテル正面玄関

             
   (左)プラザホテルの広々としたロビー                (右)室内(3500円/泊、朝食付き)

 チェンマイ・プラザホテルはナイトバザールに近い場所に立地し、結構立派なホテル。タイのホテルは結構安いので助かるが、チェンマイはバンコクに比べ更に物価が安く、このホテルもネット予約で朝食込み・ツイン3500円/泊である。午前10時のチェックインもOKであった。

 昼食後、12時きっかりにタクシー(以後Mr. Mと言おう)が迎えに来た。
最初に訪れたのは、1961年に出来た王室の避暑用宮殿プー・ピン宮殿現国王プーミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世)のお母さんが好んで滞在したとか。バラを中心に広大な美しい庭園が見ものである。

                        
                  (左・右)王室避暑宮殿「The Bhubing Palace(プー・ピン宮殿)」

            
                        (左・右)宮殿案内パンフより
 
 次に訪れたのがモン・トライバル・ビレッジ。
 プー・ピン宮殿まではさすがに綺麗な舗装道路であったが、その先はあまりメンテの出来ていないでこぼこ道が山奥に続いている。これから訪ねるモン族は、中国・雲南省から移動してきた少数民族で主としてチェンマイ・チェンライに居住し、およそ11万人いるようだ。

            
(左)民族衣装のモン族の少女達 しっかり撮影料10バーツを請求された       (右)村の景色

 タイ国内にはなんと70万人以上の少数民族がいるらしい。数百年という長い年月をかけてチベットやミャンマー、雲南省からタイなどに移動し独自の文化を守りながら生活している。ミャンマーからタイに逃避した首長族・パダウン族(カレン族の支族)、雲南省→ミャンマー→タイと移って来たアカ族、耳たぶの大きな円盤イヤリングが特徴のカヤー族、その他ミエン族、リス族等々。

               
  (左)独特のカレン族                  (右)民族博物館入場券


             
                  (左・右)民族博物館(掘立小屋のような博物館だが) 

一応、民族博物館という名称、中には生活用具類や民族衣装が砂埃にまみれて展示されている

 集落は、観光客相手の民芸品を売る店が軒を連ね、独特な黒っぽい民族衣装を織る様を見せてくれる。集落の奥には民族博物館ということらしいが、10バーツで民具や衣装を展示した家屋がある。子供達も民族衣装を着てモデル代を稼いでいる。折りしも雨季のこの時期、激しいスコールに見舞われたが20分ほどでやんだ。大型観光バスが入らない山奥なので観光客も限られるだろう。

 最後に訪れたのは、もと来た道を戻ってチェンマイの町を見下ろす標高1080mのステープ山の頂に立つワット・プラ・タート・ドイ・ステープル

            
(左)ワット・プラ・タート・ドイ・ステープルのパンフ             (右)ケーブルカー乗車券

 タイ北部の最も神聖なラーンナー様式のお寺で、土曜日とあって沢山の信心深い地元民や観光客で賑わっている。1383年にクーナ王が建立、回廊に囲まれた高さ22mのまばゆい黄金の仏塔(チェディ)が一際輝きを放っている。内部には仏舎利が納められているとか。この寺院からチェンマイ市街が一望できる。参道は2匹のナーク(蛇神)に守られた長い階段だが、麓からケーブルカーでも昇降出来る。

                     
(左)寺院のシンボル、高さ22mの黄金の仏塔(チェディ)   (右)ひっきりなしの参拝客

   
(左)撫でられて銀ピカの仏像 (中)山頂の眺望(旧市街に四角い掘割、右はイ空港) (右)2匹のナーク(蛇神)に守られた参道階段

 3ケ所の観光を終わり、市内への16kmの坂道を軽快に走り、ホテルに戻ったのは16時。
4時間の拘束でMr.Mに約束の1000バーツ、チップの50バーツを渡して、車内でネゴした明日のゴルフ場送迎の時間を再確認する。
さあ、明日はタイでのゴルフ!
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板門店の緊張緩和 -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日の旅3)

2014年02月27日 00時40分31秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

板門店の緊張緩和 -ソウル-   2004.05.25

 初日に空港に出迎えてくれたハンナラ観光の姜さんに、今日の帰国日に板門店観光が時間的に可能かどうか聞くと大丈夫だと言うので手配して貰った。
 ソフィテル・アンバサダーホテルから中央高速観光のバスが午前8時50分に出る。このツアーのパンフでは、大韓民国在郷軍人会と中央高速観光の共催ツアーのようである。

 板門店全景(パンフより)

 ソウルの北、約60kmの板門店は、1953年7月27日朝鮮戦争の停戦協定が結ばれた場所で、停戦協定で定められた軍事境界線を中心に南北に2km、全長241km(西側の漢江から東は北緯39度線の東海岸まで)の6400万坪の広大な非武装地帯(The Demilitarized Zone, DMZ)の上にある。
 板門店には、南北会談の会議場があり、その本会議場を中心に直径800mの円形エリアが共同警備区域(Joint Security Area=JSA)である。

         
(左)板門店の施設配置図                     (右)平和の家(Home of Peace)

 ソウルと平壌を結ぶ自由路を1時間ほど走ったバスは、パスポートチェックを受けて板門店への入口の統一大橋を渡り、国連の陸軍支援団キャンプ・ポニファスに着く。
 10時半に各方面からのツアーバスが集結し、ここで専用バスに乗り換える。
 南北分断の歴史等JSAのスライド・ブリーフィングを受け、見学中の一切の出来事に関知しない旨の韓国政府および国連に対する誓約書にサインをさせられる。
 その後、会談場やポプラ事件の起こった場所に立つモニュメント、第3警備所、帰らざる橋、北朝鮮のキジョン洞村の遠望等、JSAの中を見学する。

            
(左)キャンプ・ポニファス入口(キャンプ内で専用バスに乗換え)   (中・右)誓約書(何があっても知らないよ)にサイン提出


              
(左)南北会談の会議場(後の建物が北朝鮮側の板門閣 屋上に見学者の人影が) (右)南北会談会議場(何やら話し合いが)

                       
(左)会議場内(境界線上に立つ国連軍兵士との記念撮影場と化している)   (右)場内奥が北朝鮮側への出入口


 折りしも、我々のいる韓国側の「自由の家」の屋上から北朝鮮側の「板門閣」に同様の見学者達の姿が見える。
 以前ここに来たのは1988年。ポプラ事件(1976.8.18)の12年後、4人の死者を出したソ連大学生越境事件(1984.11.23)の4年後という時期であり、数度の亡命事件が間近にあったりして、緊張感がひしひし感じられ凍りついたような雰囲気があった。

   
         (左・中)ポプラ事件当時の写真(参考写真)                   (右)ポプラ事件の場所に立つモニュメント

         
(左)帰らざる橋方面の遠望(監視小屋が見える)              (右)帰らざる橋 

 それに引き換え今回のJSAの雰囲気は、まさに観光名所そのもの。見学後はキャンプ・ポニフォスに戻って食堂で何とバイキング形式の昼食、更には土産物屋まで出来ている。とは言え、38度戦をめぐる朝鮮戦争は、正確には現在まだ準戦時下にあり、この南北間の緊張緩和は何事にも変え難いものである。

 
休戦記念碑(1953年7月27日 記念碑1km先の小さな建物で休戦協定が締結、と書いてある。国連軍の各国旗)

  
        (左・中)北朝鮮の洞宣傳村方面の遠望                     (右)洞宣傳村の広告宣伝塔がうっすら見える


 ソウル市内に戻ったのは15時半頃。ミレニアム・ヒルトンに預けていた荷物を引き取って、早めに仁川国際空港に向う。仁川空港は金浦空港に比べ遠くなったので1時間半ほどかかる。

           
(左)ソウル市内 南大門                        (右)ソウル市内風景

            
(左)ソウル駅(1988年の時は釜山からセマウル号で降り立った駅) (右)漢江沿いを国会議事堂を見ながら仁川空港へ

帰路はインチョン国際空港19時05分発大韓航空721便である。広大な空港内でお土産を物色しているとすぐに出発の時間がやってくる。無事20時45分関空着。
充実した3日間のソウルの旅であった。

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漢城(HANSUNG)CCのゴルフと明洞海鮮鍋と -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日の旅2)

2014年02月20日 17時47分17秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

漢城(HANSUNG)CCのゴルフと明洞海鮮鍋と -ソウル-    2004.05.24

 ソウル2日目のゴルフ場は、HANSUNG COUNTRY CLUB(漢城カントリークラブ)という1984年開場のソウル近郊では2番目に古い27ホールを有する名門ゴルフ場である。
 午前8時40分ティーオフと聞いているので、6時半にホテルを出発する。京釜高速道路板橋ICを下りて7時40分頃に到着。少し日本語の話せる運転手の姜さん(たまたまハンナラ観光の女性案内人も姜さんだが、運転手は男性)が受付等をしてくれて、2時半に迎えに来てもらうことに。
 早速朝食を取りにレストランへ。韓国語を話せず解さない日本人だけのグループはめったに来ないのだろう。メニューも読めず解せずで困った困った。若干の英語の単語が共通語となり、やっとトーストと卵と野菜の朝食にありつけた。

 1984年開場のHANSUNG COUNTRY CLUB(漢城カントリークラブ)

    
      (左・中)漢城カントリークラブの案内パンフ       (右)ゴルフ場のモーニング  

 西、東、南の3コースで今回は西、東。フロントティで全長5888m。ヤードで6500ヤードほど。韓国では表示はメートル表示。貸しクラブは何と韓国メーカーの新品クラブ。リゾート地のゴルフ場と違って貸しクラブでプレイする人なぞ、滅多にいないのだろう。

  スコアカード(距離はm表示)  

 2バッグ1キャディで徒歩のラウンド。二人のキャディがいろいろ言ってくれるが、いまいち解するのに時間がかかり、ショットの後に「そういうことやったんや!」と。万事がこんな調子で、慣れないクラブに少し慣れてきた時には、西コースもあと1ホールを残すのみ。
 するとキャディがお昼の注文を聞いてくる。何種類か言ったが、理解出来たのがジャージャー麺。「それ!」と言うと、キャディがにっこり顔で「美味しいよ!」 西コースを上がると、東コースへの道中の小さな食事処にちゃんとジャージャー麺が用意出来ている。極めて合理的なシステムである。
 東コースも悪戦苦闘しながらもまあまあのスコアでプレイ終了。交通費込みで82万ウォン。日本と変わらない値段である。

 ホテルに戻って一休み。今宵は、まずマッサージでゴルフの疲れを取って、ガイドブックに「海鮮鍋といったらここ!」と謳う名物オモニの店 明洞オモニチプで食事をすることに。

 ビルの谷間からソウルタワーが見える

 マッサージは昨日女性ガイドの姜さんお薦めの明洞天地然に。まだ時間も早いのでホテル近くの南大門市場をぶらつきながら徒歩で明洞へ。高台のホテルから坂を下るとビルの間からソウルタワーが見える。南大門市場は相変わらずの賑わいだ。
 明洞天地然は、汗蒸幕をベースに基本コース2時間だそうだが、特別にマッサージ中心の1時間コースをやってもらう。さっぱりしたところで、お腹が空いてきた。

      
            天地然でのマッサージ(マッサージ中心の1時間コースをやってもらう)

 明洞オモニチプは、すぐ近く。綺麗な店ではないが30年前に完成させたという秘伝の鍋が大ヒット。今日も大入り満席である。海鮮鍋をベースにチジミやキムチ等々、お腹一杯食べても安い安い。

   
                                 明洞オモニチプは秘伝の海鮮鍋が名物
 

 食後は明洞のメインストリートをそぞろ歩き。なんと60cmのソフトクリームがソウルのナウいデザートらしいが、街角で30cmを買ってみた。歩きながら食べると結構食べれるものである。

最近はやりの超ロングソフトクリーム(参考写真)

「明洞衣類」という店に入って驚いた。大きな衣料店である。土産に衣類でも買って帰ろうかと思ったが、過去衣類の土産で成功したことがない。止めておこう。

 帰りは坂を登るのが大変だし、タクシーで帰ることに。

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