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旅行記、世相独言

世界遺産「水原華城」とナンタと -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日1)

2014年02月15日 23時36分07秒 | 異文化体験_アジア
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世界遺産「水原華城」とナンタと -ソウル-  2004.05.23

 韓国でゴルフをしよう!と昔の仕事仲間4人で3日間のソウル行きを計画した。直前にうち1人の身内に不幸があり3人での旅となった。
 中日のゴルフだけが予約出来ているが、後は何も決まっていない。KNTの全くフリーのパックプランである。とりあえず、関空9時40分発大韓航空722便に搭乗する。 
 ソウル仁川国際空港着は11時30分。ツアー案内書に「出迎えあり。免税店ご案内後、ホテルへご案内。夕食はプルコギ」となっている。

 出迎えてくれたのはハンナラ観光の姜さん。幸い我々以外に同乗のパックツアー客はいない。免税店経由のホテル行きは御免こうむりたい。 そこで、バスの中で早速交渉開始。「免税店はいらない。代わりにどこか案内して!」としつこく迫る我々に、「水原の華城」観光に決定。もちろん料金も交渉して65000ウォンを50000ウォンに値切る。かくしてバスの行き先が急遽変更された。

   今回のソウルの旅は「水原華城」からスタート(八達門)      

        
       水原華城周辺は、韓国ハイテク産業を支える中小企業が多い(前回業務出張で来たのもこの辺り)

 18世紀末、朝鮮王朝第22代王・正祖が父(荘献世子)の墓を楊州から水原に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いた。これが華城である。
 華城建築には、1794~1796年まで3年弱を要し延べ37万人の労力が投入されたという。城壁の延長は5.8km、中国から西洋築城技術を導入し、当時の城塞建設技術の粋を集めた東西技術の融合物である。
 また、華城は正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られた。正祖の死後、荒廃したまま放置された華城は1975年の復元工事により往時の姿を取り戻し、1997年世界文化遺産に登録された。

   
                       延長およそ6kmの城壁(遠くの池の傍の楼閣が訪花随柳亭)

        
                             水上楼閣が設けられている華虹門

      
               延長およそ6km、ゆっくり歩いて2時間弱、5月下旬の陽気に汗ばんでくる

 八達門から入場し、石材と煉瓦を多用した城壁に沿って華西門、長安門、更には水上楼閣が設けられている華虹門まで歩くが、これで約半分、初夏を思わせる陽気に身体中が汗ばんでくる。池を見下ろす優雅なたたずまいの訪花随柳亭で小休止。ほぼ2/3を周遊したところに休憩所があり、冷たいものを飲みながらホテルに戻ることにした。


        
           今回のホテルは南山公園の高台にある「ソウル・ミレニアム・ヒルトン」

 今回のホテルは、南山公園の高台にありソウル駅に近いソウル・ヒルトン。シャワーを浴びて今宵の相談をする。
 夕食後は「ナンタ」を見に行くことにし、姜さんに食事前に予約をして貰った。夕食はパック旅行に付いている「プルコギ」。食事場所は高級住宅街の中の小さな店。元ラグビーラガー選手もいる今回のメンバー、到底お腹を満足させる量ではない。早々にたいらげて、姜さんも誘って貞洞のナンタ劇場に近い焼肉屋さんに行って焼肉を堪能する。

        
                   貞洞のナンタ劇場に近い漢南洞の焼肉屋さん


 NANTA(ナンタ)は、1997年の初公演。サムルノリのリズムを素材にドラマ化した非言語劇である。大型厨房を舞台に4人(男性3、女性1の組合せ)の料理師が結婚披露宴のための料理を作る過程で各種厨房器具を使ってサムルノリを演奏するという内容。

        
    (左)ナンタ専用劇場の観劇券                     (右)ナンタのパンフレットより

        
    (左)開演前の舞台の様子                       (右)ナンタのパンフレットより    

 パワーとスピード感を持ってわかり易い、かつ喜劇的なストリーを展開するので、誰もが楽しめるショーである。特に一見キュートな、それでいて非常にパワフルな女性の技に感嘆ものであった。

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馬の配当と本場の烏龍茶 -厦門(大陸にあって台湾に一番近い町)―(異文化体験36 厦門の旅2)

2013年11月04日 21時06分39秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

馬の配当と本場の烏龍茶 -厦門(大陸にあって台湾に一番近い町)― 01.04.13~04.15


 東方(厦門)高爾夫郷村倶樂部と書いて、Orient (Xiamen) Golf & Country Club。ホテルから約20分で東方GCに到着。1998年に中国で初めてアジアPGAトーナメントが開催された由緒あるゴルフ場だ。

          
          東方(厦門)高爾夫郷村倶樂部(1998年中国初のアジアPGAトーナメント開催コース)

 スタートは9時。幸い空いている様で1.5ラウンドの予定が組まれている。我が組は3人でのラウンドとなったが、キャデイが夫々に付く。
 小生のキャデイは男の子。英語が少し話せるようなのでゴルフをするのかと聞くと「少し」と答える。プロの名前を知っている所をみると結構TVを見ているようだ。他の2人は若い女性であるが、プレイする本人達以上にキャデイ達が熱くなって応援する。
 どうもキャデイ達の間で我々プレイヤーに対する賭けが成立しているようだ。小生がバーデイチャンスにつけると、グリーン上でパッテイングラインを事細かに(合っていない場合が多いのだが)教えようとする。外そうものなら大変である。
 結局1.5ラウンドで私のキャデイ君は少し儲けたようだ。走った馬に対する配当のない賭けであった。

          
                    濱北舒友海鮮大酒楼(大きな水槽に様々な海鮮素材が出番を持っている) 

    海鮮料理店の若いウェイトレスたち


 夕刻、昨夕同様、別の海鮮料理屋(濱北舒友海鮮大酒楼)で宴席となる。 まるで水族館のような海鮮酒家である。値段も安い。

 宴席後はホテルに戻って自由行動。昨日の女性達が食後の自由時間を案内してくれるという。私の案内役の女性は昨日のTシャツ、Gパン姿とは打って変わって、ピンク色のラメの入ったノースリーブに同色のスカーフを巻いて、白のパンタロン姿とどこかのお嬢様風のいでたちである。

  厦門国際会議場兼展示場

 厦門には「鷺島」「鷺洲」という別名があり、かつて白鷺が生息していたようだ。白鷺洲公園一帯はダウンタウンとなっており、市政府広場周辺の建物がライトアップされ、音楽噴泉では水柱と軽やかな音楽が楽しめる。しかし、1.5ラウンドが身体に効いたのか、あまり遅くまで動き回る者も少なく、F会長と共にホテル前の果物屋で南国の果物を買い込んだ後、ホテルのラウンジで中国娘達とおしゃべりでひと時を過ごす。


 福建省は烏龍茶の主要な産地。緑茶、紅茶、烏龍茶が世界3大茶と言われる。緑茶は茶摘直後に殺青(加熱)して酸素を殺した不醗酵茶、紅茶は殺青せず萎凋(しおらせる)し、醗酵させて作る。烏龍茶はその中間で、茶摘後2日間ほど萎凋してから醗酵させ、殺青して醗酵を止めた半醗酵茶である。烏龍茶は俗称で、正式には青茶というらしい。福建省には有名な武夷山があり、天心岩の名樹の茶葉はgあたり数十万円の値がつくという。

          
 (左)世界最高級の烏龍茶を産する武夷山          (右)福建省は烏龍茶のメッカ、あるお茶屋さんの茶芸


 空港への帰路、新雲香茶芸園という鉄観音茶の老舗の店に寄る。「玉露観音(石菊茶)」「金観音」「銀観音」「ジャスミン観音(千里香)」「観音茶王」等々、「茶芸」と共にこれらのお茶の紹介、売り込みが始まる。

  コロンス島から見た厦門の町
 

 厦門は、天気の良い日には台湾本土を望むことが出来る大陸にあって台湾に一番近い都市であり、また「客家」の里、広東省梅州市にも近く、中国とは思えない綺麗な街並みや西欧風の観光資源等を有している。今後の更なる経済発展、観光発展が期待される面白い街であり、また是非訪れたい所である。

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海上の花園、地上の楽園、音楽の島 -厦門・鼓波嶼島―(異文化体験36 厦門の旅1)

2013年10月21日 23時41分26秒 | 異文化体験_アジア
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海上の花園、地上の楽園、音楽の島 -厦門・鼓波嶼島―  01.04.13~04.15


  厦門・鼓波嶼島周辺マップ


 「大きな家の門」という意味の厦門は、中国福建省第2の都市。海と緑に包まれた港町である。最期となる業界懇親会はここ厦門が選ばれた。必要なものが全て揃っているという触れ込みだが中国だけに皆さん半信半疑である。関空10時35分発の全日空直行便(357便)は12時55分に厦門(高崎国際空港)に到着する。

      
(左)厦門の空港(高崎国際空港)使用料              (右)フェリーから見た厦門の町

 厦門市は1980年に経済特区に指定され、人口は212万人。台湾に一番近い大陸の街でもある。
 コロンス島(鼓波嶼島)は厦門の西、幅700mの鷺江海峡を隔てて浮かぶ小島だが、中国有数のリゾート地として有名。1902年外国共同租界が置かれ、富豪の別荘地となった。厦門からフェリーが10分足らずで結んでいるが、フェリー乗り場前は大混雑している。観光客目当ての物売りから物乞いまでがバスを降りてフェリー乗り場までの数十mを埋め尽くしている。

  フェリーから見た鼓波嶼島

 コロンス島に上陸すると数両編成の電動カートが島巡りの足として導入されている。総面積1.8平方kmなので、ゆっくり歩き廻っても良いのだが、今回はカート巡りのようだ。

     
(左)鼓波嶼島(コロンス島)巡りの電動カート           (右)海水浴場とその背後の租界時代の別荘郡(1)

                  
(左)海水浴場とその背後の租界時代の別荘郡(2)             (右)租界時代の別荘郡

  租界時代の雰囲気のある別荘

 コロンス島には4つの海水浴場があり、租界当時のレンガ造りや白い漆喰に赤瓦といった南欧風の建物が沢山残っている。青い海と木々の緑、更にブーゲンビリア等の花々が、ここが中国であることを忘れさせる。またピアノの普及率中国全土1位というほど音楽の島としても有名で、ピアノやバイオリンの音色がどこからともなく聞こえてくる。

       
(左)コロンス島鼓浪石                      (右)鼓波嶼島(コロンス島)の最高峰

  海産物店の店頭 様々な魚介類が・・・うまそう!


 コロンス島の最高峰は海抜92m、日光岩からの眺望は素晴らしいと聞くが、我々の中で足をのばす者はいない。海岸沿いの別荘地を縫うように遊歩道が整備され、道端には海産物のお店が水槽に活きの良い魚介類を泳がせている。

 コロンス島見物を終えて、再び物売りでごったがえすフェリーターミナルを通ってHoliday Inn Crown Plaza Harbor View Xiamen(厦門假日海景大酒店)にチェックインする。

  厦門假日海景大酒店

 海に面した厦門には日本人には有難いことに海鮮料理店が沢山あり、今夕はその海鮮料理である。
 伊勢エビ、鮑、フカヒレ、貝柱等々、日本では値段を見てからオーダーするような料理が次々と出てくる。馴染みのある料理だけに食が進む。食事の後は皆でカラオケにいくことになっていると添乗員のT君が言う。彼もこの会の旅行のお世話を任されて、すっかり慣れたようだ。

 バスでカラオケ店に乗りつけ、中に入ると結構大きな部屋が無数にあって、とてつもなく大きなカラオケ屋と分かる。
 舞台を取り囲むように座ると、沢山の私服の中国娘が入って来る。パートナーを決めろという。「日本語の分かる人?」と手を挙げさせるが、自信ありそうに挙げる子は少ない。中国では筆談で何とか意思疎通が出来るので、ルックスで決めることに。手を挙げていたTシャツにGパンというラフなスタイルの若い娘をご指名したが、やはり日本語はダメであった。
 カラオケとダンスが延々と続き、10時頃にお開きに。外に出ると前の果物屋で女性達が果物を買うと言う。温暖な土地柄だけにいろんな果物があり、琵琶やマンゴー等、袋一杯買っても日本円で1000円足らずなので買ってあげることに。自宅への良いお土産になるようだ。


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ガスだけに完全燃焼! -済州島-(異文化体験35 完全燃焼の旅)

2013年09月22日 15時00分47秒 | 異文化体験_アジア
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ガスだけに完全燃焼! -済州島(韓国)- 00.10.09~10.11


  済州島観光マップ

 業界のゴルフ好き人間達と一緒に二度目の済州島である。大韓航空にて9時半関空を飛び立ち、11時15分済州島着。

 早速Cheju Country Club (済州CC) に直行する。幸いお天気は上々、簡単な昼食後、第1ラウンドのティ・オフ。ゴルフ好きばかりが集まっているので、今日、明日、明後日2泊3日で3ラウンドすることになっている。初日は、何とかまあまあのスコアでまわることが出来た。

  済州カントリークラブ

 今夕はまたまた韓国宴席。食事のお世話は、釜山でホテル勤務の経験があり、済州島に来て家を建て両親を呼び寄せるのが夢と言う30歳位の健気なお姐さんである。面倒見の良い世話焼き女房になりそうな女性。
 食後、島の南端に位置する新羅ホテルまでバスに揺られること約50分。チェックイン手続きを済ませ、全員プールサイドの屋台で2次会。前回、釜山のぼったくり屋台での大失敗があっただけに、ここはホテルの屋台なので安心である。海鮮うどん等で満腹状態になり、11時頃各自部屋に戻る。

       
(左)済州新羅ホテル                      (右)新羅ホテルのプールサイド

    
                                  (左・右)ホテルの部屋からの眺望


 翌日も天気は上々。今日は島の南西に位置するChung Mun Beach Golf Club (中文GC) でのプレイ。8時24分スタート。けなげに少し早めに行って練習しようと努力するも結果は報われず、昨日よりスコアを落とす羽目に。

  中文(海岸)ゴルフクラブ

 一度ホテルに戻り、今夕は全員で以前に行った焼肉屋まで遠出する。山の中にある焼肉屋だが肉の質も良く、値段も安いことから遠方からの客も多い。
 食事中に「今夜はゆっくりしたいなあ!」とぼつぼつお疲れの出た者に、「明日のゴルフも皆同じ条件でせにゃいかん!」と、なんと最長老氏がえらく元気が良い。結局、早寝を許さず皆同条件で明日のプレイをすることに。

    
(左)焼肉の美味しさで人気の「光苑」                 (右)コスパは最高! 

 最終日は、Dynasty Country Club (ダイナスティCC) という島の南東に位置するゴルフ場でのプレイ。スタートは8時42分。3連荘の最終プレイ、起床は6時ながら、さすがに運動過多に足腰が重い。今までで一番長い距離を有するゴルフ場とあって、スコアも疲れに比例して悪くなる一方。小生のみならず全員スコアを落としているのでひとまず安心。

  ダイナスティ・カントリークラブ

 済州島の新羅ホテルは、国賓級のVIPも泊る格式あるホテルである。前回来た時は免税店もあったが、1年半ほどの間に免税店は市内に移動したようだ。新羅ホテルの隣にロッテグループが巨大なホテルを建設し、こちらも結構賑わっている。
 市内の免税店で、過去イタリア出張していた頃にお気に入りの愛用靴となったモレスキーの靴を発見!。何がお気に入りかと言うと「デザインとその軽さ」。お気に入りの思わぬ買い物に大満足。韓国海苔とキムチという定番のお土産と共に帰国の途に。

 新羅ホテル隣にオープンしたロッテホテル

 空港内のレストランで出発までのひと時休憩するが、全員疲れ切った様子で口も重くなる。

 今回の旅行は我が業界で企画したが、某業界のゴルフ好き氏曰く「さすが、ガスだけに完全燃焼!! まいった!まいった!」。


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屋台でぼったくられの旅 -釜山―(異文化体験34 釜山の旅)

2013年09月16日 16時48分44秒 | 異文化体験_アジア
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屋台でぼったくられの旅 -釜山―  00.03.24~03.26


 昨年に引き続き、業界団体の懇親会は韓国への旅、ただし行き先は昨年の済州島から釜山に変更。12年ぶり、2度目の釜山である。
関空からのJAL便はお昼に着く便しかなく、また帰国も昼の便で、残念ながら現地での効率は極めて悪い。

    龍頭山公園と釜山タワー

 釜山は前回(12年前だが)来た時よりもはるかに交通事情が悪く、経済成長と共に活気に満ちている。あれほどあった風呂屋の煙突も少なくなり、住宅事情も改善されて屋内でのシャワー設備も普及したということなのだろうか。
暖かい晴天の中、国連墓地や竜頭山公園タワー等を観光後、釜山ロッテホテルにチェックイン。

 釜山ロッテホテル

 早めの夕食は韓国宴席。お世話をしてくれる女性は、3年間東京赤坂で働いていたという日本語がそこそこ喋れる女性。
食後、全員でカラオケに行くことに。済州島といい、釜山といい彼女達の手元にペイバックされる仕組みがきちっと出来上がっている。
カラオケの後は「屋台に行こう!」と誘われる。もう、お腹もお酒も十分であったが屋台にも興味があり、I君らと共にホテル横に並ぶ屋台のテントをくぐる。

 屋台村(イメージ写真)

 テント街は結構賑わっている。白い湯気がお客を誘い入れる。いか刺しや魚の刺身、温かい汁物を注文し焼酎を酌み交わす。
 それにしても彼女達の飲みっぷりは半端じゃない。勿論焼酎はストレート、あっという間に最初の焼酎が空になり、3本目の焼酎が空になったところで、「おい、もう帰るぞ!」と席を立つ。「もう、帰るの?」と不満げな彼女達を強引に急かせると、「お母さんにチップ込みで夫々1万円払って!」と平然と言う。何で1万円や!と思うものの、これは仕組まれたなと直感する。ここで揉めてもしようがない、明日はゴルフ、早くホテルに戻って暖かい風呂に入ろうと早々と退散。

 ロッテホテル正面玄関(屋台はこの横の路地)


 翌日は、都心から車で1時間ほど走った「トングゴルフ場(TONGDO)」での懇親コンペ。メートル表示の距離に少し戸惑いながらも、まあまあのスコアで競技を終える。ゴルフから戻って昨日のガイド嬢に電話を入れる。今夕は全員フリー、各人勝手に過ごしなさいとのこと。「何が食べたい?」というので、「今日は焼肉!」と言うとホテルから歩いて5分ほどの所にある焼肉屋に案内してくれた。今日の店は、ぼったくりではなさそうだ。結構うまい焼肉と冷麺を食し、ホテルの喫茶でショーの開演待ちをする。

 トングゴルフ場

 北コースのコース案内 


 ロッテホテル3階のシアターでは結構見ごたえのあるショーが連夜上演されていると聞き、今夜はそれを楽しむことにした。
ガイド嬢はまたまた屋台に行きたいと言うが、その手はもはや桑名の焼蛤。もっとも彼女達はお客の案内で何回もショーを見ていてつまらないのだろうが、お客さまはこちらである。席に案内されてしばらくするとI君らも入って来た。ガイド嬢たちの連絡網で劇場案内係に一緒の席でと言ったのだろう、同席となる。とにかく連絡網がしっかり出来ている。
 
 ショーは、韓国舞踊、中国雑技団、マジックショウ、それにセミヌードダンサーの西洋舞踏とごっちゃ煮の世界だが、最後の50人位の女性達からなる韓国古典打楽器のショーは圧巻であった。この間、ガイド嬢達はぺちゃくちゃと話をしている。そうこうするうちにショーが終演。また屋台に行こう!と言い出されてはかなわない。今夜はこれまで!と早々と部屋に退散である。

 ロッテホテル3階のシアターショー

 ちなみに、I君は昨夜の屋台の刺身があたったようで、昨夜から今日にかけて超特急状態で実に大変だったようだ。

 「屋台はいろんな面で要注意!」の釜山の旅であった。

注)釜山ロッテホテルのシアターショーは、2007年で閉演されています。
  また、ロッテホテル横の屋台には、ぼったくり屋台として有名な屋台があるそうです。ご注意を!


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故宮と鼎泰豊と理容店と -台北-(異文化体験33 歩け歩けの台北の旅2)

2013年09月08日 23時20分54秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

故宮と鼎泰豊と理容店と -台北- 99.07.11


 朝食をホテル近くの道端屋台で済ませ、故宮へ向かおうとするが、行き方が分からない。大通りで若い女性を探して?道を尋ねるが、意思疎通がいまいち。要はここから直行出来るバスはなく、一旦台北駅まで行って北門から304番バスに乗りなさいということらしい。

        
(左)ホテル近くの大通りの屋台で朝食       (右)故宮博物院への行き方を若い女性に教えて貰う(バス停にて)



 故宮博物院全景

         
(左)故宮博物院 入場チケット                       (右)故宮博物院を背景に

 中国の歴代皇帝が収集した約70万点に及ぶ秘宝を収蔵する「故宮博物院」。その生い立ちは苦難の逃避行でもあった。
 蒋介石の国民政府は博物院の所蔵品・重要文物を戦火や日本軍から守るべく、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品を北京から上海経由で南京市へ、1937年には再び運び出されて四川省の巴県・峨嵋山・楽山の3カ所に避難させた。
 第二次世界大戦後、所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国民党と共産党の内戦激化に伴い、1948年秋に国民党の中華民国政府は2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へ運んだ。
 台北市の國立故宮博物院の誕生である。従って、元々の秘宝類は台北、北京、南京の3ケ所に分散保存されている。

            
(左)博物院一番人気の「翠玉白菜」                (右)予想よりもはるかに小さい「肉形石」


 故宮博物院を堪能した我々は、「忠烈祠」に向かうバスに飛び乗った。うまく行けば1時間ごとに行われる衛兵の交代式が見れるかも。
 忠烈祠は、1969年に建造された辛亥革命や抗日戦争で亡くなった33万柱の英霊を祀っている。巨大な本殿は、北京紫禁城の「大和殿」を模したもの。その前でタイミングよく衛兵の交代式を見ることが出来たが、この衛兵達は兵役義務の若者から厳選されたエリート達だそうな。

      
                   (左・右) 「忠烈祠」衛兵の交代式



 再びバスで台北駅まで戻り、空腹を満たす。これからは、歩け!歩け!の市内観光。まずは広大な「二二八和平公園」を通り抜けて「中正記念堂」へ。蒋介石総統を偲び、11年の歳月を費やして完成させた巨大記念堂。

        
(左) 中正記念堂                          (右) 蒋介石総統の巨大ブロンズ像

  国立戯劇院と国立音楽庁


 25haという広大な敷地に青天白日を表わす青い瓦に白い大理石の壁を持つ高さ70mの記念堂がその威容を誇っている。内部にはここでも衛兵に守られた蒋介石総統の巨大ブロンズ像が圧巻である。記念堂の左右には黄色い屋根瓦の国家戯劇院と国家音楽庁の建物が調和を醸し出している。


 日本統治時代に7年の歳月を投じて完成した赤レンガの綺麗な総督府等、ぶらつく足にお疲れが。ホテルに戻ると今宵の相談が始まる。小生は明日帰国するが他の4人はもう2泊するので、今夕は小生がどうしても行きたい小籠包の「鼎泰豊」に行くことに。さすがにこれから歩いてとは誰も言わず、掟破りではあるがタクシーに分乗して鼎泰豊へ。

         
(左)小籠包の超有名店「鼎泰豊」常に行列が出来る         (右)「鼎泰豊」のお品書き

日曜日の夕刻、沢山の人垣が店の前に出来ている。20分ほど待って、ようやく2階の席に着くことが出来た。熱々の蒸篭で運ばれてきた数種類の小籠包は瞬く間に胃袋の中に。いつも屋台でしか食べない4人組は、「たまにはこんな夕食もええなあ!」と。


 食後は再びタクシーでホテル近くの龍山寺へ。夜でも熱心な信者が沢山お参りをしている。博打の神様も祭られているので、しっかりお参りをして華西街夜市をぶらつく。ここも多くの観光客で賑わっているが、若い世代は士林夜市が圧倒的に多い。とある果物屋で大量に新鮮な果物を購入してホテルに戻って酒盛りをするという。

 夜も賑わう龍山寺

 小生は最期の夜でもあり、歩き疲れた身体を癒しにマッサージに行きたいが、賛同者がいない。しからば、と以前行ったことのある足踏みマッサージ屋「帝國世界視廳理容名店」に単独行。日曜日の夜ということもあってか、お客はさほど多くない。温シップ付き120分全身マッサージコース(2000元)を選択。

 足踏みマッサージ(イメージ写真)

 担当は35歳前後の日本語堪能な小姐だが、指の力は強くて念入りなマッサージをしてくれる。
 この部屋には3ベッドあるがこの部屋のお客は小生だけ。日本語が堪能なだけに結構会話がはずむ。マッサージ、温シップが終わると今度は足踏みマッサージ。天井にぶら下がりながら適度な体重をかけて微妙につぼを刺激する。
 あっという間の2時間コースを終了し、ホテルに戻ると既に4人は夢の中。

 皆と一緒に遅めの朝食を取った後、台湾の温泉にでも行くかという4人組と別れて、タクシーで台北駅へ、さらにリムジンバスで空港へ。午後2時15分発のEG212便は午後5時50分に関西空港着。

 あの4人組は今頃温泉につかってまた屋台で夕飯でも食っているのかなあ?


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淡水と夜市 -台北-(異文化体験33 歩け歩けの台北の旅1)

2013年09月01日 22時32分11秒 | 異文化体験_アジア
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淡水と夜市 -台北- 99.07.10

 会社の同僚の一人が定年退職するので、その記念旅行も兼ねた同僚4名との台北旅行である。
小生にとっても貯まったマイルの消化が出来る良い機会なので、台北(空港)集合・解散ということで3度目の台北を楽しむ旅となった。

 フライトの時刻というのは不思議なもので、駐機場を離れた時が出発時刻。大きな空港では同時刻の出発便が多数あったりする。
小生の乗る日本アジア航空EG211便は10時20分関空発、12時台北着の便。他の4人が乗る便とは、15分程度しか発着時刻が違わないので、中正国際空港のリムジン乗り場で落ち合い、台北駅までリムジンバスで行くことにした。バスはおよそ1時間、110元(1元=3.7円程度)である。

 小生以外の同僚4名は過去何度か一緒にアジア圏を旅しており、「公共交通機関以外は一切使わない歩け歩けの屋台の旅」を実践してきているメンバーである。
 その片鱗が台北駅で早くも出た。リムジンバスを降りて、「さあ、これからホテルまで歩こう!」という次第。今回のホテルは格安ツアーの常宿で知られる「麒麟大飯店」。台北駅からは2km強の距離。

    
(左)今回の宿舎「麒麟大飯店」              (右)ホテルのシンボル「麒麟」の像が玄関前に

 ホテルにチェックインし、荷物を置いて、台湾のベニスと言われる「淡水」に行くことにした。ホテルで聞くと、ホテル近くの列車(火車)の駅「萬華火車站」から「台北火車站」に行き、MRT(台北捷運)淡水線に乗り換えるのが一番近道とのこと。

         
(左)MRT「淡水LINE」               (右)夕日の美しさを求めて淡水へ沢山の人出(Wikipediaより)

 台北駅から北へ22km、MRTで約40分、淡水駅に到着する。河口の町ではあるが、丘陵の斜面に街が広がるため駅を降りると曲がりくねった坂道を登っていく。両側にはいろんなお店が並び、夕日が川面を赤く染める夕暮れ時が素晴らしいようで、土曜日の夕刻ともなると大勢の市民で賑わっている。淡水名物に阿給という食べ物がある。肉や春雨を油揚げに詰めた蒸しもの料理で、中国語でアーゲイと読み、日本語の油揚げの発音に由来するという説がある。

  
(左)果物ジュースを売るお店        (中)淡水名物「阿給」のお店  (右)阿給=肉や春雨を油揚げに詰めた蒸しもの料理。

 ここ淡水には、1629年スペインが築いた赤レンガの「紅毛城」や同じく赤レンガの淡江中学等があり、エキゾチックな街でもある。時あたかも日本の大相撲中継が放映されており、店奥のTVに多くの人が見入っている。

         
                      (左右とも)1629年にスペインが築いた赤レンガの「紅毛城」


 お腹が空いてきた。夕日が川面を染める時間までは待てない。再びMRTに乗って夜市で賑わう士林駅に向かう。

          
(左)「士林観光夜市」の看板                      (右)Tシャツを買ったHANG TENの店

 士林は市街北部の学生街兼ベッドタウンの街。陽明戯院横の路地を入ると「士林夜市入口」の看板があるが、夜の帳が下り始めると「士林市場」を中心とする広大なエリアで台北最大の夜市が始まる。
 週末ともあって、路地という路地は人・人・人の波で身動きが取れない。高級品はないが、リーゾナブルな価格設定が購買意欲を刺激する。HANG TENの店でTシャツを数枚購入しただけで、あとはウィンドショッピングならぬ雰囲気ショッピング。
 とある屋台で空腹を思いっきり満たし、いつまでも雑踏で賑わう士林夜市を後にする。

         
(左)食べた料理の名は、その場限り、すぐに忘れる。でも美味かった!  (右)MRT「士林駅」で。ややお疲れ気味


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韓国式マッサージに眼鏡は必要? -済州島-(異文化体験32 執念の済州島の旅2)

2013年08月24日 23時02分54秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

韓国式マッサージに眼鏡は必要? -済州島- 99.03.26~03.28

 吾羅カントリークラブ (ホテルと同一系列の経営)

 二日目は吾羅カントリークラブでのゴルフ。スタート時間は8時20分からの4組。貸しクラブは一流メーカーのクラブである。
 生憎の空模様で傘が必要かなと思うが、韓国では傘は自前で準備するものらしく、仕方なく売店で購入。キャディのチップも各個人が直接支払うようだ。済州島には5つくらいゴルフ場があり、必ずしも日本人ばかりでもなさそうである。
 お昼過ぎにはラウンドを終了し、昼食後、一度ホテルに戻る。

 夕食までの間、Iさんお薦めのホテル近くの韓国式マッサージに出かける。およそ1万円程度の料金を支払い、ガウンに着替えて浴場に行く。
 垢すりマッサージの順番が来るまで入浴。風呂場の片隅に垢すりコーナーがあり、全裸でベッドに横たわると、男のマッサージ師が塩を含んだタオル状のもので垢すりをしてくれるが、これはややなおざり程度の垢すりであった。

 イメージ写真 

 再びガウンに着替えると案内係がマッサージの部屋の前に案内してくれる。
 目の前で先客がマッサージを受けている。しかし、これが結構きついようで時々唸り声が聞こえる。マッサージ嬢もピンク色のワンピースの仕事着でかなり大胆なポーズで仕事をしている。
 風呂に入ったので眼鏡はロッカーの中に置いてきている。こりゃ、待っている間、目の保養になるわい!と、眼鏡を取りに戻ろうとするが迷路のような場内、悲しいかなロッカールームに容易に辿り着けない。
 案内係りにロッカールームを聞くと「マッサージに眼鏡はいらないよ!お客さん」と愛想のない魂胆を見抜かれたような返事。

 イメージ写真

 仕方なく待合場に戻ると先客は体格の良い韓国の若者と判明。それでも結構唸り声を上げているところを見ると、相当きついマッサージのようだ。馬乗りになったマッサージ嬢が、素足の太腿に伸びる若者の手をピシャリと叩いたり、見ているだけでも結構面白いものである。

 小生の番が来て、ベッドに上がると片言の日本語で「痛くないですか?」と聞いて来るが、手を緩める気配は全くない。マッサージの間、時々手がマッサージ嬢の素肌に触れるので甘い誘惑に耐える一方で、きつ~いマッサージにも耐えなければならない。
 およそ、1時間のマッサージであったが、身体が軽くなり、爽快な気分である。
 一日何人の客をマッサージするのか知らないが、マッサージ嬢の重労働にも感心させられる。

 夕食は、車で小一時間走った山間の焼肉屋で、韓国焼肉を賞味する。たらふく食べても3000円程度と聞いて、こりゃ、安い!


 最終日は、島の南部の観光。
 木石苑は文字通り天然木や石を使った芸術作品の公園、

 木石苑 

 大侑狩獵場では、各自初めてのライフル射撃を試みるが、的が定まらず結果はいまいち。

 大侑狩獵場でライフル射撃

 昼食は、射撃場近くの雉の肉を使ったしゃぶしゃぶ鍋で有名な店。

 昼食は雉シャブ、あっさり系のお肉

 食後は、山房窟寺、天帝淵瀑帝、お化け道路等を観光して、新羅ホテルの新羅免税店でショッピング。
 
    
(左)天帝淵瀑                     (右)通称、お化け道路(上り斜面と思しきが実は下り斜面)  

 近くに中文ゴルフ場もあることから、新羅ホテルの新羅免税店にはゴルフ用品の専門店がある。
 ゴルフシューズの新製品が入口に並べられており、免税品ということで結構安い。丁度足にフィットするものがあったので、旅の記念に購入。

 その後、お決まりの韓国海苔とキムチ専門店でかさ張る買物をして、韓国の南国におさらばの旅であった。

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入国拒否から1年、執念の済州島 -済州島-(異文化体験32 執念の済州島1)

2013年08月18日 10時59分53秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

入国拒否から1年、執念の済州島 -済州島- 99.03.26~03.28


 事の発端は、昨年の業界団体の懇親旅行。行き先は済州島である。残念ながら参加出来ずオフィスで執務中の小生のもとに、旅行代理店から「えらいことですねん!」と電話が入った。飛行機でも落ちたかと一瞬どきりとしたが、「Fさんが入国出来ません!」との声に、「何故?」と思わず聞き返す。「期限切れです!」「???」。

 まず最初に、Fさん本人がパスポートの期限、MARCH(3月)とMAY(5月)を勘違いしていたこと。次に旅行代理店が、それに気づかず手続きを行ったこと。更に更に、日本の出国審査官が期限切れを見落として出国させてしまったこと。これらのミスが同時に発生し、Fさんは済州島(Cheju)に辿り着きながら入国出来なかったのである。

 さすがに、韓国の入国審査官も気の毒がり、本国まで問い合わせをしてくれたようだが、答えはNO。貴賓室に通され、帰りの便を待つ間に、韓国側も気を使い、免税のお土産店に行きませんか?と言ってくれたようだが、本人の憤りは収まらない。
 結局、名古屋空港に向かう便に乗り、旅行代理店の深謝の出迎えを受けた次第。

 という訳で、今年の懇親旅行は勿論!済州島である。今回は当然あの旅行代理店は外され、別の代理店が取り扱う。

 済州島は、かつては韓国における新婚旅行のメッカ。それ程に寒さ厳しい本土と違って温帯海洋性気候がもたらす温暖な土地で、常駐人口は53万人。秦の始皇帝に不老草の存在を紹介し、採取を命じられた「徐福」伝説が伝わる島である。

   
高(Ko)、梁(Yang)、Puという苗字と関係する三姓穴    民族自然史博物館           不老草ゆかりの竜頭岩

 チェズ(Cheju)空港に到着後、済州市内で早速本場の石焼ビビンバの昼食。その後、済州市周辺の観光に出かける。徐福に同行した500名の童男童女が住み着いたと言われる済州島、そのせいか高(Ko)、梁(Yang)、Puという苗字が多く、これと関係のある三姓穴という洞や、民族博物館、海に面した不老草ゆかりの竜頭岩等を観光して、グランドホテルにチェックインする。

 済州グランドホテル

 夜は、韓国風の建物の料亭で伎生付きの宴会。お世話をしてくれるチマチョゴリ姿の女性達が、ぞろぞろ入ってくる。韓国料理が卓上に最初から全て並べられるところは、日本の懐石と大きく違うところ。

 韓国宴席の料理イメージ

 食後は、市内のカラオケ屋で何故か日本歌謡のオンパレード。お世話をしてくれている女性に韓国茶を飲みたいと言うと、ホテル近くの茶房に案内してくれる。韓国茶を飲ませる喫茶店は、店内は薄暗く好い香が漂っている。様々な茶器が並べられ、茶種も多く様々なブレンドがあるようだ。とりあえず健康志向のものをブレンドしてもらう。中国式の飲み方で、香を楽しみつつ、こういう喫茶店もいいなあと思った次第。

 韓国茶房の一例、薄暗い木の香漂う店、様々な茶器・・・

 Sさんというお世話係りの女性との会話は、何故か美容整形。韓国の女性は美容整形をする人が多いようだが、その影で失敗等で泣く女性も多いとSさんの話。

 さあ!明日は、ゴルフ。楽しみだ!


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熱帯雨林に世界一のノッポビル -クアラルンプールー (異文化体験29 熱帯雨林の国の旅)

2013年04月06日 11時36分38秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

熱帯雨林に世界一のノッポビル -クアラルンプールー 96.05.11~05.15
 
 夜の帳が降りた空港ターミナルビルを一歩外に出ると、ムッとする湿った熱気と東南アジア特有の何とも形容しがたい匂いが襲ってくる。
 JGA(日本ガス協会)最期の出張になるであろう今回の旅は、クアラルンプールで開催されるGASEX会議の事務局会議への出席である。この会議は、アジア・オセアニアのGAS関連情報のEXchangeを行う会議(GASEX)で、マレーシアは国営企業のペトロナスが加盟している。

 
              (左・右)近代高層ビル群、KLタワー等躍進するクアラルンプール

 しかし、その裏には再開発を待つ旧市街地が・・・

 1963年に誕生した若い国マレーシアは、今や経済成長の真っ只中にある。その象徴とも言えるのが世界一ノッポ(452m)のツインタワー(ペトロナスタワー)の建設である。

                   
(左)1998年竣工したツインタワー(参考写真、Wikipedia)(右)訪問時、建設途上の452m世界一のノッポビル
 
 日本のT社はこのビル界隈へのエネルギー供給を行う熱供給会社を設立し、その供給システムの突貫工事が行われている。ほぼ全容を見せつつあるノッポタワーは熱帯雨林の国に相応しいかどうかは別として、世界が大きく変わろうとしている象徴でもある。

 熱供給の事業は厳しいようだが、コージェネレーションシステムのガスタービンや発電機等が、国際調達により日本国内での機材調達よりもはるかに安く調達出来たようで、調達ノウハウが事業進出で得たメリットの一つのようだ。

 圧縮天然ガスボンベ積載の大型トラックによるマザーステーション

 マレーシアは、また国内輸送部門に豊富な天然ガスを使っている。圧縮された天然ガスボンベを数百本積んだ大型トレーラをマザーステーションにして、天然ガスの充填所が国内主要箇所に整備されつつあり、世界有数の天然ガス自動車の普及国になりつつある。

           
             (左・右)NGV(天然ガス自動車)への天然ガス充填所と充填風景

 イスラム様式の一際優美なクアラルンプール駅周辺は、マレー人、中国人、インド人等様々な人種が行き交う繁華街で、観光で訪れたブルーモスクは高さ73mの尖塔と巨大なドームを有している。また国家記念碑には7人のマレーシア戦士を表した巨大なブロンズ像がある。

          
 (左)郊外(シャー・アラム)のブルーモスク(2,400人収容)      (右)国家記念碑、同僚のO氏と

 GASEX事務局会議は、ペトロナスのA副社長が議長を務め、次回開催国・韓国(韓国ガス連盟KGU)のK事務局長は「初めての国際会議の開催担当」となったので、真剣にそのプログラム等について意見交換が行われ、無事終了した。
 小柄な、しかし一見傲慢な風に見えるA副社長も私の任期があと2ケ月と知って、3年間の労苦を労らってくれた。

 4日目は、T社現地事務所の幹部とゴルフを楽しむ。早朝のプレイで、かつ脱水症状を引き起こさないために沢山の水やジュース類をカートに積み込む。セルフの電動カートはフェアウエイまで乗り入れることが出来るので、プレイは楽ちんかと思ったが、一度ラフに入ったボールはラフが深いため捜すことが極めて困難、とても打ち出すことが出来ないとあって、その近くから打つことを薦められる。

    
   (左)街の中心繁華街                (右)チャイナタウン付近の賑わい

 
   (左)小生の苦手な「果物の王様ドリアン」   (右)街を走るかわいいピンクのバス
  

 夜行便で帰る前に、T社現地事務所の皆さんがお別れ会を開いてくれた。タイスキ鍋を囲みながら、高温多湿の熱帯雨林の国の行く末を時間間際まで語り合う。

  
(左)タイスキ鍋を囲みながら、この国の行く末を議論   (右)どんどん建設される新しい施設

   
         (左・右)スルタン・アブデュル・サマド・ビルディングの昼と夜


 日本ガス協会(JGA)最期の出張は深夜のフライトで幕を閉じた。

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