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旅行記、世相独言

嘘のような本当の話、耳から何が・・-台北-(異文化体験27 日韓台ラウンドテーブルの旅2)

2013年01月07日 17時08分26秒 | 異文化体験_アジア
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嘘のような本当の話、耳から何が・・-台北― 1995.11.16~11.19

台北 大台北区ガス本社ビル

 日韓台ラウンドテーブル2日目の朝は、大台北区ガスの施設見学。昼食後は楽しみにしている国立故宮博物院が待っている。

       
(左)故宮博物院文物参観券 50元          (右)故宮の精華50選(ガイドブック)

 1924年清朝最期の皇帝溥儀が皇宮を後にし、翌1925年国慶節(10月10日)に清朝宮殿跡は国立故宮博物院(北京)として開放された。しかし、1931年日本軍が中国東北地方に侵攻すると政府は故宮の歴代の優れた文物精華を南方に移し、抗日戦に勝利すると文物は南京に運び込まれた。しかし、今度は共産党の反乱で1948年末選び抜かれた4000箱近くの重要な文物が台湾に移送され、しばらく台中に保管された後、1965年現在の地に移され、実に32年間に渡る放浪の旅を終えたことになる。

 歴代王朝に伝わる文物を持つ者こそ中国正当政府との主張も

 故宮博物院 

 収蔵品は、新石器時代の圭や壁と呼ばれる玉器、秦時代以前の銘文を持つ青銅器、唐代から清代にいたる名家の書画、宋版の善本図書、清代末期の公文書、歴代官窯の陶磁器や珍玩等々、中国歴代皇帝が収集し、受け継がれてきた質量ともに世界有数のコレクションである。

 「翠玉白菜」白菜は純白無垢、螽斯は多産の象徴

 そんな中でも一際気に入ったのが清の時代の「翠玉白菜」。「量材就質(材料に応じて物を創り出す)」の設計原理で見事な翠と白の玉を白菜に造形し、かつ葉の先端に2匹のキリギリスかイナゴをとどめた一品である。


  小籠包の「鼎泰豊」 店の表には常に行列が

 夕食は台湾ガス協会お薦めのいつも行列の出来る小籠包の店「鼎泰豊(テインタイフォン)」で超人気の小籠包を堪能する。協会の顔で待ち時間なく入れてもらえたのはラッキー。店の前は待つ人で溢れている。

  「Windsor Bur Barber Shop」

 その後、3人で「美容院」に行くことにした。いわゆるマッサージ屋である。今も「もう一つ別種の美容院」があるようだが、治安が悪くなっていろんな被害が出ているらしく、協会が止めておいた方が良いと言う。

 台湾式マッサージは、足踏み式マッサージである。一応フルコースをお願いすることにした。約1万円のコースである。3人部屋に通されて、マッサージ着を着用しそれぞれベッドに横たわる。一通り足踏みマッサージを受け、次のオイルマッサージでは蒸したタオルを何枚も顔や身体にのせ、その間に爪切り専門の女性がネイルケアをしてくれる。

       
 (左)台湾式足踏みマッサージ           (右)本格的な耳掃除   (左・右 いずれも参考写真)

 更に次は耳掃除専門の女性。隣のベッドのT君が、何やら悩ましい声を発している。特別のマッサージでも受けているのかと思うような悩ましげな声である。タオルが邪魔をして想像の世界でその声を耳にしているのだが、「ああ!」とか「う~ん」とか、どうなっているの?と大いに気にかかる。
 そうこうする内に耳掃除専門の女性の「キャー!」という喚声が部屋中に響き渡る。すかさずT君が「あ~あ、気持ち好い!!!」。
 と同時に、マッサージのお姐さん達や耳掃除のお姐さん達の「きゃっきゃ」言った感嘆の声が聞こえる。

 蒸しタオルが取られて何事ぞ!と横を見ると、何と何と、パチンコ球を少し小さめにした見事な「耳糞」がそこにあるではないか。よくもまあ、こんな耳糞を耳穴にためて、それでよく聞こえたものだと感心すること、しきり。
 耳掃除のお姐さん達も長い職歴の中でこんなのは初めての出来事とか。「記念に持って帰る?」の問いにさすがのT君もノーサンキュウ。

 ひょっとしたら、この店の、いや故宮博物院のお宝コレクションの一つになっているかも。
 3泊4日の短い台北の旅の最大のトピックスでもある。

台北の名寺「龍山寺」1737年建立 夜遅くは近寄らない方が

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目と目で乾杯!上げ底は駄目よ -台北―(異文化体験27 日韓台ラウンドテーブルの旅1) 

2012年12月28日 16時21分10秒 | 異文化体験_アジア
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目と目で乾杯!上げ底は駄目よ -台北― 1995.11.16~11.18

 台北のランドマーク的ホテル「圓山大飯店」 工事火災で焼失


 台湾への旅は羽田から中華航空機が飛んでいるので、至極便利である。日韓台ラウンドテーブルは、文字通り3ケ国の都市ガス関係者が一同に会し、都市ガスの製造・供給・利用面に関する情報交換を行う場で、今回が3回目である。
 空港で中華民国公用ガス事業協会副秘書長の出迎えを受け、会場兼宿舎となる晶華飯店(Grand Formosa Regent)に向かう。

          
 (左)今回の宿舎兼会議場「晶華飯店」      (右)晶華飯店のエントランス

 チェック・イン後、ホテルで明日からの会議の簡単なスケジュール説明を受け、お腹の調子の悪い1名をホテルに残して、3名で夕刻の街に出る。おりしも夕方のラッシュアワー時、道路はオートバイの洪水状態。ホテル近くを1時間ほど散策し、とある屋台で汁麺と各自1品ずつ取って腹を満たす。

 翌朝9時からラウンドテーブル開始。日本からの参加者4名に対し、韓国、台湾からは夫々10名近い参加者である。今回のテーマは「保安の確保」。
 日本では阪神大震災、韓国では地下鉄工事現場での爆発事故、台湾では国内輸送幹線での漏洩事故と、各国で大きな災害・事故が発生しており、その内容報告と対策議論が行われ、夕刻4時に初日の会議を終了。


 夕刻6時からは、VIPルームでの晩餐会。小生の右隣には、台湾ガス協会会長(中国国民党中央評議委員、民衆日報発行人他、多数の肩書きをお持ちの方)、左隣は台湾最大の都市ガス会社、大台北区ガスの元總経理(以前ご夫妻で来日時に面識のある方)。お二人とは旧知の間柄で、かつ大台北区ガスと小生の出向元の会社が友好関係にあるが故の私の席なのであろう。

 晩餐会(左が協会長、右が元総経理)、乾杯論議

 私が前回の中国内陸部出張時の乾杯による急性アルコール中毒の話を始めると、「中国式乾杯」が俄然話題になった。

 乾杯の正式なマナーを大台北区ガスの副總経理が演じて見せてくれる。
 まず酒は祝いの席では白酒、透明なグラス(上げ底でなく、中のお酒が見えるように)を用い、相手を指名し「**に乾杯しましょう!」と呼びかける。
 呼び掛けられるとお互い盃を持って立ち上がり、相手の目を見ながら軽く一礼、「乾杯!」と言って盃を乾し、再び相手の目を見ながら、盃をひっくり返してお互い軽く一礼、着席ということらしい。

 台湾も最近欧米各国との商取引が増加し、この中国式乾杯が簡略化されつつあると言う。欧米人にとってもこの慣習は馴染めないようだ。
 このため、最近では台北でのほとんどの宴席は「随意」方式になっているが、台湾内陸部に行くとまだまだ中国式乾杯は根強く残っており、正直言って台北人にとってもこの乾杯セレモニーを好む人は少ないようだ。
 内陸部へ特に商談等で業務出張する場合、社員同士が譲り合う場面が社内に見られるというのも分かるような気がする。

 今宵は乾杯1回、後は随意、随意でやれやれ!


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北京ミニ・ミニ観光 - 北京 - (異文化体験26 中国内陸部の旅8)

2012年12月20日 15時53分32秒 | 異文化体験_アジア
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北京ミニミニ観光 -北京― 1995.11.10

 西安8:15発のWH2123便は、万里の長城を機窓に見せながら北京に9:55到着。15:10の帰国便(JAL782)まで直ちに市内観光に出発する予定である。
 
 が、が、が、どうも手違いが生じてバスがチャーターされていないようだ。帰国便との関係で遅くとも13時半過ぎには空港に戻ってこなければならない。

 団長と小生以外のメンバーは北京を知らない。皆さん楽しみにしている北京観光である。添乗の王さん、必死に北京の関係先に連絡し待つこと1時間。やっと急遽チャーターしたバスが到着した。



 時既に11時。一路天安門広場に向け出発したものの、紫禁城に入る時間もなく、天安門広場の広さだけを実感して、直ちに空港に戻るという、正にミニミニ観光となった。



 発展著しい中国沿岸部に対し、まだまだ出遅れている中国内陸部の現状をつぶさに視察したが、内陸部の政府や人々の大いなる不満が果たして今後の中国発展の秩序維持にどのように影響するのか、計り知れないものを感じた次第である。

 以上、8回に亘って中国内陸部の旅を旅ログしました。次回から、日・韓・台3国会議の旅を旅ログします。
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2200年前の地下大軍団 - 西安 - (異文化体験26 中国内陸部の旅7)

2012年12月14日 17時55分13秒 | 異文化体験_アジア
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2200年前の地下大軍団 -西安ー 1995.11.07~11.10

 西安の解説書「絲綢之路的起點」=シルクロードの起点

 紀元前1134年、周に築かれた都は以来11王朝の都として1000年以上栄え、唐代には「長安」と名を変え、シルクロードの東の起点として栄えた都、「西安」。

 華清池は、唐代玄宗皇帝が楊貴妃を伴って毎年越冬した温泉。「春寒くして浴を賜う華清池温泉水滑らかにして凝脂に注ぐ」と白楽天が詠んだ場所。それほど大きくない池を取り囲んで建物が配され、楊貴妃が使ったとされる湯殿も復元されている。

 楊貴妃がどこかから現れそうな早朝の華清池


 朝、皆に散々冷やかされたF君も二日酔い状態ではあるが、元気な姿で参加している。
 華清池から兵馬俑坑への途中に秦始皇帝陵がある。西安市の東30kmにある何の変哲もない高さ47mの丘であるが、実は盛り土だそうで、史記には想像を絶する地下宮殿があったと記されている。

 バスの車窓から見た始皇帝陵墓

 始皇帝陵南東約2kmの所に秦始皇帝兵馬俑坑博物館がある。始皇帝は生前に陵墓を造営し、それを守る兵馬俑坑を建設した。俑とは死者を葬る時に添える土偶の意味である。
 20年前の1974年、地元の農民が井戸を掘っている時に地下に埋もれた一大歴史遺産が発見された。発見された1号坑は最も大きなもので、東西230m、南北62m、深さ4.5~6.5mの所に6000体の陶塑の衛士と軍馬が東を向いて眠っていた。

   
  (左)秦始皇帝兵馬俑博物館                 (右)兵馬俑の解説書(人民中国出版社)

 2200年前の地下大軍団 秦始皇帝の兵馬俑(人民中国出版社)

  2200年前の武人と記念撮影(博物館入口にて)

 現在3号坑まで確認されているようだが、1.8mくらいある兵士の衣装、表情、髪型等、どれ一つ同じものはないと言う。およそ千点の金銀の装飾具をつけた、今にも走り出しそうな4頭だての青銅製の馬車。始皇帝の駿馬は史書に7頭の名が伝えられている。この銅製の車馬は、当時万里を馳駆した馬車と駿馬をモデルにしたものなのであろう。
 このような高度の技術を有する中国の文明に驚嘆せざるを得ない。

 
           (左)1号銅車馬                 (右)2号銅車馬   

    博物館前の土産物売り場


 市内に戻り、大雁塔で有名な大慈恩寺に立ち寄る。大雁塔は、寺の住持であり三蔵法師で有名な玄奘がはるかシルクロードを経てインドから持ち帰った経典を納めるために建造された。7層64mの塔の最上部からは西安の街が一望出来る。

  西日に映える大雁塔
  
 晩秋の太陽が西に傾き、薄暗くなり始めたシルクロードの東の都は、1周12kmの城壁で取り囲まれている。唐の長安城の皇城を基礎に明代に造られた城壁で、4つの城門とそれぞれに角楼を備えている。人影のないそのうちの一つに昇ってみる。西日に映える無人の角楼、家路に急ぐ人々の流れ、2000年の時の流れが回り灯篭のように空想の中に展開される。そして、視界の中には近代中国の躍進の波がこの内陸部の古都にまで及んでいる。
 
  夕暮れの城壁に建つ何か物悲しさを感じる角楼

 今夕は、調査団の解散式。市内のレストランで中国内陸部の3大都市訪問の様々な印象を語り合い、白酒抜きの身内の宴が盛り上がった頃、レストラン内で新作チャイナドレスのファッションショーが行われるという。
 こりゃ、ついてるね!と一同すっかりおじさんになって、ショーの始まるのを待つ。ピンク、赤、白、黄、緑5色のドレスを身に纏ったモデルが我々の前でファッションショーを繰り広げる。大きく割れた背中とスリットの間に見え隠れするすらりと伸びた脚に目線が釘付けに。全体的にスリムな中国娘にあって容姿端麗なモデルが通り過ぎる度に甘い香水の香が中国最後の夜を癒してくれる。

 何故かレストランでのファッションショー

 成長著しい沿岸部と未だ遅れている内陸部、経済格差はそう簡単に埋まりそうにない。今は全体として順調に経済成長が続き、皆が生活レベルの向上感を味わっているため、さほど問題が表面化しないだろうが、経済が停滞しだすとこの内々格差が国内事情に悪さをしなければ良いが……..。

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白酒宴席にはご用心! -西安― (異文化体験26 中国内陸部の旅6)

2012年12月03日 23時43分38秒 | 異文化体験_アジア
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白酒宴席にはご用心! -西安― 1995.11.07~11.10 
  <誰よ、この人にお酒飲ましたのは!>


 「西安の案内書」 

 重慶発16:40のWH241便で18:40に西安着。
日本の美人女将が営む日本料理店「東中野」という店で久々の日本料理に、昼間の蛇鍋料理を味わった胃袋もさぞ安心したことだろう。

   
(左)拍手と共に着陸した「西安」空港 (右)西安の日本料理店「東中野」蛇鍋から解放された胃に久々の和食


 華南と言われる四川省成都、重慶から華北の陜西省の省都「西安」へは険しい泰嶺山脈が横たわっている。西安の西・甘粛省蘭州には団長K氏の会社が技術交流を行っている都市ガス会社がある。
 ここ、西安でのお宿は「長安城保大酒店」。

 
          「西安」でのお宿「長安城保大酒店」(左:外観、右:ロビー)

  西安・街の朝の風景

 8日、9時半に西安市天然氣公司を訪問、更に11時に西安市煤氣公司を訪問する。
 天然氣公司は正に天然ガスを供給する会社で周辺ガス田からの天然ガスを西安市に供給している。ここでも日本の資本と技術に対する熱い眼差しを感じ取ると共に、既に欧米資本の進出検討がなされており、したたかな中国商人気質を垣間見るのである。

  西安市煤氣公司を表敬訪問

 西安煤氣公司は石炭ガスを西安市に供給しており、地域によって天然ガス、石炭ガス、更に液化石油ガス(LPG)の3種類のガスが供給されている。いずこの都市もガスの値段は安く、国や地方都市から補助金が出ている。しかし、近代化が進む中でエネルギー消費も拡大し、それに伴い補助金額も増加の一途で、いずれ地方財政を圧迫するのは必至との見方が多い。

  会議風景 名刺交換しない出席者(共産党員)が2人いる


 お昼は例によって市内レストランで歓迎の宴。今日は作戦を立て、年寄組みのテーブルと若者組のテーブルに分かれて座る。それでも結局白酒を7杯も飲むことに。比較的おとなしい年長組みのテーブルに反し、若者組のテーブルは大いに盛り上がって、乾杯の嵐が吹いている。大丈夫かなあ?と心配をする。

  お昼から乾杯!乾杯!乾杯! 
この日は7回杯を乾した。白酒の器は透明ガラス製。上げ底でないことを見せるため。

 はっきり言ってこちらの人も本当はこの風習は好きではないらしい。やれ体調を壊しているからジュースで、と最初からジュースに決め込む人も多い。中途半端が一番いけないようだ。少し飲んで後は軽い飲み物ということが許されない。まだまだ俺の酒が飲めぬのか!という風習が、内陸部ほど根強く残っている。
 さすがに沿岸部は西側諸国との様々な関係構築の中で西側の風習も取り込まれているが、「内陸部に行くと大変よ」と上海ガスが言っていたのを思い出す。

                     
様々な白酒(パイチュー) (左)白酒の代表格 マオタイ酒   (右)白酒の廉価版

 昼食後、全員赤い顔で煤氣公司の工場見学を終えたあたりで、事務局のF君の様子がおかしい。
 とりあえず一度ホテルに戻ることにしたが、その途中で手足が真っ白、首を苦しいと掻き毟る、手足をばたつかせる等、今にも死ぬのではないかと思われる程、のた打ち回る有様である。
 大急ぎでホテルに戻り、フロントで直ちに救急車の手配を依頼する。が、しかし何と全て出払っており手配不可能との返事。となれば仕方がない。チャーターしているバスで、現地通訳と3人で外国人・政府高官用の病院に救急運搬する。

 抱きかかえて医務室に運び込むと女性の医師が診察し、解毒剤らしき注射をする。「しばらく寝かせておけば治るだろう」と言う女性医師の言葉を聞いて、小生の疲れがどっと沸いてくる。「それにしても、この人にアルコールを飲ませたのは貴方?、この人はコップ1杯のビールも駄目よ! 気をつけて!」ときつく叱られる。

 西安市中心医院(参考写真)

 1時間以上経って、「もう連れて帰っても大丈夫」との医師の言葉を得て、再びホテルに連れ戻す。本人の部屋のベッドに寝かすも意識が薄れているため、背広を脱がし下着姿にして毛布を掛けてやる。やれやれ!と思うと、今度は小生も酔いと疲れがどっと出て、隣のベッドに横たわるとそのまま眠ってしまった。正直、小生も7杯くらい乾杯をやったので、アルデヒド分解酵素を持ち合わせない小生は、このことがなければ多分ダウンしていたであろう。

 陝西省人民医院(参考写真)

 物音で目を覚ますとF君が顔を洗っている。何と時刻は既に夜の8時。やれ、やれである。恐縮するF君の様子にもう大丈夫と思うとやたらと空腹を感ずる。自室に戻ってルームサービスを取る。

 それにしても、飲み過ぎに支払った治療費は日本円で5000円ほど。現地の人の数か月分のお金である。


 ついでに白酒宴席に関する日本での面白い話。日本で開催された歓迎宴席でのこと。
松井さんも出席者の一人。中国人客と乾杯やお話をするのだが、松井さんは彼らのいない所で何か気に入らぬ様子。松井の松はsong、井はjingと中国語で発音する。
Songjingさんは、ソンチンさんなのだが、何故か「ソチン」に聞こえる。何と失礼な奴だ!とご立腹。男性にしかわからない話しかも。

 長い長いとんでもない西安の一日であった。

 

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霧、それともスモッグ - 重慶 - (異文化体験26 中国内陸部の旅5)

2012年11月26日 22時11分00秒 | 異文化体験_アジア
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霧、それともスモッグ -重慶― 1995.11.06~11.07

 「重慶」の観光案内書と地図

 成都18:20発、重慶行SZ(中国西南航空)4409便が西側機材であることを確認し、40分ほどのフライトを楽しむ。内陸部ではまだ飛行機に乗る人が少ないのであろう、無事着陸すると拍手喝采である。

  西側機材を確認して成都から重慶へ

 飛行場から市内に至る道路は街灯もなく真っ暗である。そんな中を車が我物顔で猛スピードで走る。多分、交通事故も多いのだろう、今も路肩に事故直後と思われる車と自転車を大勢の人だかりが取り囲んでいる。急速な経済発展で電力供給も追いついていないようで、幹線道路の両脇の民家からも灯りが洩れてこず漆黒の暗闇が続く。そんな中、バスは本日の宿舎「重慶揚子江假日飯店」に到着。

 
(左)長江と嘉陵江が合流する山の斜面に位置する重慶   (右)高台に建つ「重慶揚子江假日飯店」

 重慶は四川省第1位の人口を有し、長江と嘉陵江が合流する山の斜面に位置する工業都市である。昔から水運が発達し、現在は「三峡下り」の出発点ともなっている。
 河港の波止場には地上の駅からケーブルカーに乗って急峻な坂を降りて行く。少し場違いな感じの水中翼船の姿も見える。

  三峡下りの出発点でもある河港の波止場への急峻な坂

  急峻な坂の交通手段のケーブルカー

  スモッグの中に水中翼船の姿も。地元民は霧と言う。 


 街や川面そのものはどんよりしたスモッグに覆われているが、地元の人たちは霧だと言い張る。しかし、どう見てもこれはスモッグである。さしずめ中国のロンドンといったところか。さすがに、坂が多いため自転車の洪水をほとんど見ない。
 トロリーバスも走っており、路上で運転手が時々外れる電気ポール(パンタグラフ)を屋根の上に登って直している。また、内陸部の都市との交通の要所ともなっており、大型路線バスの屋根には大きな荷物が所狭しと積み込まれている。

 昔懐かしいトロリーバス
 所々でパンタグラフが外れて運転手が屋根の上で修復している姿を見る 


 重慶燃氣有限責任公司を訪問する。沿岸部と内陸部の経済格差を反映して会社の施設やガス設備にはかなりの格差がある。ここでも中央政府に対する不満が感じ取れ、日本のガス業界の資本が期待されている。
 先方の出席者の中に紹介を受けない人民服姿の男性が最後まで無言で同席している。後で中国共産党の役人と分かった次第。

 
               (左、右)背景の建物は「重慶人民大礼堂」

 LPGを原料とする工場見学の後は、大口顧客の見学。用意してくれたのは自動車工場。もとは軍の兵器工場だが、改革解放政策で自動車工場に変身。
 しかし、どこかで見たことのある車が生産されている。そう、SUZUKIのアルトだ。説明によると日本のスズキと合弁で技術指導の下、軽自動車の生産が始まったが、今は彼ら独自で西ドイツの技術も導入し生産しているとのこと。協力したスズキはどうも合弁を解消したようで、技術ノウハウだけが中国に残り、アルトのコピー自動車がラインから次々と吐き出されている。
事の仔細は分からないが、中国ビジネスの難しさ、怖さが垣間見れる。

  重慶開放記念碑と重慶百貨店

その後は例によって熱烈歓迎の昼食会。昨日のこともあり、「乾杯」!を3回ほど受けて、後は極力「随意」に許して貰って切り抜ける。
 何せ、「目線が会うと乾杯!となる可能性が大であり、極力喋りまくることが乾杯を避けうる道」とノウハウ取得した次第である。

     
     お昼はなんとも食欲の進まない「蛇鍋」での歓待(参考写真)

 ただし、歓迎昼食の鍋は「蛇料理」。食わぬわけにいかず、蛇のぶつ切り初体験である。目をつぶって食したので、どういった形のものであったかは記憶にあらず。

 坂の多い重慶の夜景

 午後、車窓から市内観光の後、楽しみにしていたいにしえの都「西安」に向けいざ出発。
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四川の怪味(ゴワイウェイ) - 上海&成都 - (異文化体験26 中国内陸部の旅4)

2012年11月21日 20時35分20秒 | 異文化体験_アジア

(写真はクリックで拡大します)

四川の怪味(ゴワイウェイ) -上海、成都― 1995.11.05~11.06

 中国内陸部・ガス事情調査団の活動が始まった。K団長以下地方のガス会社のメンバーで構成される9名の調査団である。

 5日は日曜日にもかかわらず上海煤気公司が快く浦東工場見学を受け入れてくれた。想像もつかない浦東大開発のエネルギーインフラとなる工場である。現在は石炭ガスが中心であるが、近い将来、黄海沖の海底ガス田から天然ガス、LNGを導入する予定とのこと。上海の大計画にはいささか度肝を抜かれた人も多いようだ。

 浦東大開発のエネルギー供給拠点 上海煤気公司浦東工場

  浦東地区と旧市街地を結ぶ南浦大橋
 着々と建設が進む高速道路、地下鉄等の都市インフラ


 午後15:50上海発成都行きSZ4502便の飛行機は、西側の飛行機。中国ではまだ旧ソ連等の東側の飛行機が飛んでいる。JTBには必ず西側飛行機の便を使うよう指示していたが、この目で確かめるまでは何の機材が使われるか分からない。19:05四川省の省都成都に到着し、宿舎の錦江賓館にチェックインする頃には暗くなっている。このホテルは国賓級も泊まる成都では最高級ホテルとか。

       
(左)成都のホテル「錦江賓館」(ジンジャンホテル)       (右)ホテルのルーム・キイ

成都にはまだ高層ビルは少なく、おなじみの自転車洪水が。

 機内食が出るわけでもなく腹ペコ状態の我々、早速ホテルのレストランで遅めの夕食。通訳で日本から同行の王さんは、日本在住5年で奥さんが日本人。王さんが是非本場の麻婆豆腐を賞味あれと勧めるので、やや年配者の多い団ではあるが皆さん好奇心旺盛で是非是非ということに。王さんが厨房と掛け合う。というのも通常日本人観光客には黙っていれば日本人向け味付けがなされるからのようだ。揚げ魚の辛子味噌あんかけ、魚の浮袋の鶏スープ煮等と共にいよいよ麻婆豆腐が出てくる。通常、赤味のある麻婆豆腐がやたらと赤黒い。言われなければ気がつかない。恐る恐るレンゲで手元に取り、口に運ぶと並みの辛さではない。食事が終わる頃には全員汗を何度も拭いながら、でも結構旨味のある味にご満足であった。

  奥のお皿が麻婆豆腐


 翌朝、成都煤氣總公司を訪問。周辺小規模ガス田からの天然ガスへの切替を進めていると言う。将来は西アジアやカスピ海周辺からの天然ガス導入に大いに関心を持っており、日本からの外資導入を熱望している。一方で国家財源が北京、上海等に偏投資されていることへの不満が大きいと感じられた。

 
(左)成都煤氣總公司 (右)会議場には必ず名刺交換しない数名の正体不明の人間が。共産党員だという。

 市内のレストランで昼食歓迎を受ける。上海ガスで内陸部に行ったら「白酒と乾杯にはご用心!」と聞いてきたが、郷に入っては郷に従え。5回までは乾杯を受けたが、もうだめ!随意、随意で押し通す。乾杯は文字通り盃を乾すということで、全部飲みましたと盃を逆さまにして相手に示す。随意は好きなだけ飲めばよい。白酒はトウモロコシやコーリャンの蒸留酒でアルコール度数50~60度。祝いの酒として宴席には必ず用意される。

     
(左)乾杯時は盃を逆さまにして相手に見せる (右)乾杯!を避けるためには極力目線をあわさないこと

  お店のウェイトレスさんたち

 午後は大口顧客、一般家庭顧客のガス設備の見学を事前にお願いし、ちゃんと用意されていた点は感心させられる。皆、赤い顔をして視察。
 大口顧客は我々の泊ったホテルの厨房。コックに操られた中華鍋がひっきりなしに火を吹き上げる。何種類もの調味料が何度も何度も鍋に叩き込まれ、悲鳴をあげながらハーモナイズする。こうして生れる複雑多彩な味の頂点とも言われるのが「怪味(ゴワイウェイ)」。
 
 四川料理が辛いと言う常識は半分正解で半分間違い。辛さでヒーヒー言いながら次の箸を出さずにはいられない旨味がある。厨房にはコークスとフイゴの大きな釜戸が残っている。四川の味の生みの親である。長年の人間の英知と火が生み出した味は、最近の電磁誘導の調理器では生み出せないもの。素材と調味料のハーモナイズが生み出す味にこだわる人は、火が不可欠のようだ。

  一般家庭(集合住宅)の厨房風景

 見学後、出発までの1時間少々は自由行動。ホテルロビーの椅子に腰掛けるとお昼のお酒が眠気を誘う。

 ホテルロビーで この後急速に眠気が襲う

 四川省の省都成都は三国時代の蜀の都で武侯祠や杜甫の旧居址「杜甫草堂」、古代水利施設等観光施設も多い。

 成都の観光施設一覧

 誰かが肩を揺するので目を覚ますと何と出発と言う。どうも1時間近くホテルロビーで寝ていた次第。

 夢の中での成都見物を終え、いざ出発!重慶へ。

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よみがえる魔都の夜 - 上海 - (異文化体験26 中国内陸部の旅3)

2012年11月10日 23時35分33秒 | 異文化体験_アジア
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よみがえる魔都の夜 -上海― 1995.10.31~11.05

  
                  豫園の入場チケット(裏面には英語で案内が)

 ガス・チャイナ展示会の昼食時を狙って交代でミニ上海観光を実施。
 3日は、「豫園」に出かける。ここはいつも大勢の人たちで賑わっている。湖心亭で昼食。麺を注文したいのだが麺メニューには蛇や蛙等の怪しげな文字もあり、出てくるものとのイメージが一致しない。
 小生が注文したものは中にゼラチン質の肉塊が。店員に聞くが要を得ない。亀のジェスチャーで、結局すっぽんの類と判明。

 
 (左)いつも人で賑わう「豫園」 「湖心亭」を背景に     (右)「豫園」 庭園の建物の瓦


 3日の夜は、本日上海入りし5日から始まる「中国内陸部ガス事情調査団」の面々と、夕刻、外灘近くのレストランで一行の無事な旅を祈って調査団の発足式を行う。


 4日は、これまたお昼時を狙って玉仏寺に。ここも昨年訪れたお寺である。清代1882年建造の禅寺である。玉仏楼に安置される高さ1.9mの釈迦如来坐像と臥仏堂にある長さ1.2mの釈迦涅槃像で有名なお寺である。

  玉仏寺 料金改定で15元に

  玉仏寺 釈迦如来坐像を背景に

 昼食はI嬢が見つけたおいしい餃子屋へ。上海美食街の端に位置する「長安餃子楼」がお目当ての店。蒸し餃子中心の22種類のメニューに何を注文しようかと迷う。フカヒレ入りの魚翅蒸餃子、鮑入り芙蓉鮑魚餃子、ほうれん草入り蒸餃子等々、見る見るテーブルの上に蒸篭の山が出来る。人の行列が出来る理由を納得しながら餃子に堪能した昼食であった。

    
 (左)上海美食街の「長安餃子楼」いつも大入り満員 (右)蒸し餃子中心に22種類の餃子がある


 ガス・チャイナは5日まで開催されるが、小生が5日から出発する調査団に引率者として加わるため、4日夜に展示会関係者9名を南京路のレストランに招いて慰労会。
 老舗の有名な広東料理店で夜遅くまで賑わっている。金牌乳猪小盆という香ばしいパリパリの仔豚の皮が名物の一つとか。
 明るい店内で一際目に引くのがガラス張りの厨房。ローストされた鶏や豚が出番を待っている。
 宴も終わり、通訳の女子大生を家に送りがてら外灘の夜景を車窓にタクシーを走らせ、ホテルに戻る。

  展示関係者の慰労会 南京路広東料理店にて

  名物料理は金牌乳猪小盆 連日大入り満員のレストラン

 展示企画会社の I 嬢は確かこの日あたりが誕生日のはず。部屋に戻って誕生祝のメッセージをボーイに届けさせる。ホテル・ラウンジで上海最後の夜を一人で明日以降の調査団の予定について思いを馳せていると、一人の女性が近づいて来る。すらっとした長身に黒いレザーのホットパンツ姿。いつもGパンで走り回っている男勝りの女性とはまるで違う I 嬢が隣に腰をおろす。風呂上りなのか、黒髪の匂いが漂ってくる。

 「覚えていてくださったんですねえ、感激! 部屋に電話したら出られないんで、ひょっとしてと思って来ました」と I 嬢。 何はともあれ乾杯! 間もなく丁度か三十路近くの彼女。好奇心旺盛で、物怖じせず何にでも興味津々。北京の時もフランスのTVクルーと親しくなり、彼女の部屋まで押しかけてくる間柄になったとか。イベント関係の仕事をする女性は男性とのお付き合いもうまく立ち回らないといけない。彼女はその辺の天性の物を持っているように見受けられる。

 少し先のラブチェアに先程から気になる光景が展開されている。西洋人と中国女性とのカップルがかなりきわどい行為を行っている。我々以外に殆ど客のいない薄暗いラウンジ。中国女性は完全に恍惚の世界に入って、男性に身を任せている。我々の目もそれに釘付け状態。「凄いね!」と小声で囁きながら、益々エスカレートするお二人を横目に、「さあ、もう遅い。明日の展示会最終日をよろしく!」と部屋に戻る。

 初日の和平飯店での予感が再びよみがえる魔都の夜である。
 
  外灘の銅像を真似て。さあ、明日から内陸部へ。

 


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上海煤気創業130周年、拍手はどこで?-上海-(異文化体験26 中国内陸部の旅2)

2012年11月03日 21時12分02秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

上海煤気創業130周年、拍手はどこで?-上海- 1995.10.31~11.05
 
 「Gas China」の会場、上海展覧中心

 11月1日、上海城市煤気(上海都市ガス)誕生130周年の祭典が内外の招待客を集めて盛大に挙行された。

 上海煤気公司総経理の挨拶の後、江澤民国家主席、朱鎔基副首相等からの祝電、黄菊上海市長、国家建設部長等が登壇して熱っぽい祝辞を述べる中に、外国企業を代表して小生出向元の大ボスも登壇。
 中国人の演説は、声の抑揚、強弱が明確であり、アピールすべきところは、一段と声が大きく、高くなり、適度な間がある。聴衆もそれを踏まえてここぞという所で盛大な拍手を送る。

 上海城市煤気 誕生130周年記念式典の様子

 ところが、である。大ボスの日本語のスピーチは社内の訓示同様淡々と展開されるが故に、どこで拍手したら良いのか聴衆が戸惑っている。小生の近隣に座して聞き入っている招待客や上海ガスの社員もここか?、ここか?と顔を見合わせるが、間断なく話が続くために首をかしげる有様。ここは、大ボスの部下でもある小生が手をたたかないと、とここぞという所で拍手を先導する。

 創業130周年の上海ガスと90周年の大阪ガス。兄貴分という表現でスピーチされた大ボスは淡々とスピーチを終え降壇され、やれやれと一安心。
 祝典の後、2日間に亘りホテル宴会場で内外の技術報告会が開催された。


 ガス・チャイナ’95の開会式前の様子

 一方、ガス・チャイナ‘95は11月2日、展示会場で音楽隊の演奏をバックに、チャイナドレスのコンパニオン数名がアシストする中、主催者挨拶とテープカットが行われ、4日間の展示会が開会された。

 
(左)日本の都市ガス会社ブースの運営スタッフ        (左)一番人気はやはりガス炊飯器

 日本ガス協会(JGA)、東京・大阪・東邦・西部の各ガス会社共催の日本ブースは、安全対策を装備した様々なガス機器、地図情報システム、地中ガス管のレーダー探査装置等を出展。女子大生のナレーションも集客に寄与し、大いに賑わっている。中にはレーダー探査装置を「いくらだ? 即欲しい!」と迫る者。よく聞くと未舗装の砂利道だと言う。そのような環境では使えないと言うと、とにかく持って帰りたいと熱っぽく迫ってくる。パンフレット類も出せばあっという間になくなる。中国の知識欲は旺盛である。

 中国語ナレーションを担当してくれた女子学生

 上海煤気公司は、家庭用250万戸の顧客を有し、導管で供給する顧客が185万戸、LPGが65万戸である。多角化にも積極的で民間企業という色が強く出ており、公共色の強い北京煤気公司とは大きく異なる。北京、上海の対抗意識は、日本の東京、大阪のそれに似ており、ガス会社の性格も良く似ているように思える。

 近くの劇場で開催された「文芸晩会」

 
   中国雑技団や古典舞踊、寸劇等で1時間半の「文芸晩会」はあっという間に終了

 2日、夕刻よりガス・チャイナ‘95主催者がホテルでレセプションを開催。一方、上海ガスの130周年記念式典も近くの劇場を借切って、文芸晩会を開催。ただし、こちらは上海ガスの招待客のみ。ガス・チャイナ・レセプションで簡単な夕食を済ませた後、劇場に向かう。中国雑技団や古典舞踊、寸劇等が披露され、欧米の招待客にとっては異国情緒豊かな1時間半ほどのショーはあっという間に終わった。

 大阪ガスの100周年は2005年。丁度、小生60歳の年である。
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魔都の夜 - 上海 - (異文化体験26 中国内陸部の旅1)

2012年10月26日 22時21分32秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

 躍進著しい中国における都市ガス事業は急送に拡大しつつある。新たな技術・事業ノウハウを求めてわが国にも協力要請がある。
 しかし、面子を重んじる彼らは決して頭を下げるわけではない。彼らの表現を借りれば「日本にビジネスチャンスの場を提供してあげる」。


 前回の北京に対抗して今回は上海が都市ガス関連技術展示会(ガス・チャイナ’95)を開催するのでそれへの出展要請があり参加協力すると共に、あまり良く知られていない中国内陸部三都市(成都、西安、重慶)の都市ガス事情を調査するのが、今回の出張の目的である。

魔都の夜 -上海― 1995.10.31~11.05

 南京西路の上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)

 JL791便でお昼に上海空港に到着すると、創業130周年記念式典に併せガス・チャイナ‘95を企画した上海ガスの3人の外事課員の出迎えを受ける。彼らとは1年ぶりの再会である。上海での宿舎は、南京西路に位置しガス・チャイナの会場の上海展覧中心に隣接する上海錦滄文華大酒店(マンダリン・ホテル)である。

  今回が第4回目のガス・チャイナ

 ガス・チャイナのJGA(日本ガス協会)ブースは、昨年の北京同様C社の I 嬢が先発準備してくれているはずである。早速、準備状況のチェックを兼ねて会場視察を行う。相変わらずGパン姿の I 嬢がてきぱきと指示を出して、JGAブースがほぼ完成の域に達している。

 英語を話せる中国人女子学生を雇って、展示会期間中ナレーションを担当してもらうことになっているが、その女子学生も会場に姿を見せ、練習に余念がない。JGAブースに各社の応援説明員に集ってもらって、明日のオープニングの諸打ち合わせを行う。

 夕刻は、我々で前夜祭をやろうということになり、I 嬢が外灘に近い南京路のお店を予約。JGAのF君は今回が初出張。8人でテーブルを囲み本場中華料理でお腹を満たす。

  日本展示会場の運営スタッフと会食後。 

 食後は、外灘を散策。長江の支流である黄浦江、その黄浦公園に沿って伸びる中山東一路の約1.5km一帯はかつて「バンド」と呼ばれ、上海が魔都と呼ばれた1920年代の租界時代の見事な建築群が残っている。

 1992年に遊歩道が整備され、今や上海の観光スポットとなっているが、一際目につくのが中央にドームを持ち、正面に列柱を配したかつての香港上海銀行、現上海市人民政府の建物である。大勢の市民や観光客がライトアップされたこれらの建物群の美しさを背景にそぞろ歩きを楽しんでいる。

  綺麗に整備された夜の外灘。市民の憩いの場でもある。
 
 不動産投機で財を築いたサッスーン一族の本社ビルで、魔都時代キャセイホテルとして君臨した「和平飯店」もバンドの一角を占め、現在も外灘のシンボル的存在である。

 「和平飯店」の1階にある「和平飯店バー」はジャズのライブハウスとして観光客の人気を集めている。店内には中国人、日本人、西欧人と種々雑多な人種が、5人の中国人のおじさん達が奏でる音色とテクニックに往事を忍ばせるライブを楽しんでいる

  「和平飯店」の名物ライブ

 我々も店の客となりライブを楽しんでいると、日本の曲の演奏でサービスしてくれる。そのうち、ステージ前の狭い空間で黒いシースルーのパンタロンスーツに身を包んだ若い女性とおばさんの2人の女性が踊り始めた。若い方の女性は、何ともセクシーな肉感的な女性である。どう見てもプロのダンサーではない。しばしば視線が合う。

  ステージ前でにわかに踊りだした2人組み

 45分ほど居たであろうか、店を出ようと出口に向かうと2人組みのこの女性達も店を出るところ。黒服の女性、間近で見ると吸い込まれそうな美人、「ダンスがお上手ですね」と英語で話しかけると、「叔母と観光に来たのよ」と流暢な英語での返事。

  シースルーの黒服美人と。

 これから何か期待出来そうな魔都、上海の夜である。


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