アップルワインと塩の町 -フランクフルト- 1981.1.25~26
ヨーロッパの異文化体験はフランクフルトから始まる。
18時間余りのフライトから開放され、中央駅に程近いパークホテルに落ち着いた時には、いささか気の緩みもあってか、風邪を引いたように感じられ食欲がない。何はともあれ夕食をと近くの徒歩でいけるレストランに自ら食欲を掻き立てて同行する。
中央駅に近いパークホテル
異文化との遭遇、その一は何と言ってもオニオンスープ。何が出てくるか分からないメニューとの相談の中で、自分のイメージ出来るメニューを見つけた時のうれしさ。誰しも身に覚えのあることではなかろうか。特に風邪気味の身体には脂っこいものはとりあえずパスしたい気持ちで一杯。
しかし、なんだこれは! オニオンスープとはコンソメ風のスープにあの甘味のある蕩けるようなオニオンが入っていて、チーズを少しちりばめたもの。それが私の知る所のオニオンスープである。にもかかわらず、これは何だ!そう、チュイングガム。まさにそうとしか言い様のないチーズの溶鉱炉。濃厚なチーズがガムのように口の中でいつまでも存在する。もう二度とこんなものは食しないぞ。
市内を流れるマイン川、両岸には残雪が残っている
内陸の都市の厳冬。雪が街を覆い、マイン河は凍結し凍てついた風が心身ともに凍らせる、そのようなイメージがこの街を訪れるまでに私が脳裏に描いていた風景であった。しかし、現実は少し違っていたことを知るのは翌日の朝のことである。
誰もが悩まされる時差で眠れず、日曜の朝の散歩を思いついた。ホテルを出てCOMMERZ BANKの建物の方へ少し歩くとゲーテ像にお目にかかれるはずである。
ゲーテ像
フロントで貰った地図を見ながらそんなことを考えていると、ツルッ、ツルッと足もとがよく滑る。歩道には多分数日前に降ったのであろう雪がうっすらと残っている。日本を出る時、足元まで気付かず平底の靴を履いてきてしまったが、それにしても平衡感覚まで鈍ってしまったかと思いきや、アッと言う間もなく尻餅をついてしまった。イテテ!並みの痛さではない。おかしいな、雪が凍った痛さとは訳が違う。よくよく調べるとなんと塩で固めてあるではないか。車の通る車道ならいざ知らず、ここは人様が通る歩道ではないか。一人ぶつぶつ言いながら、何とか無事、ゲーテ様とご対面とあいなった。
Eshenheimer Turm (1426年の建造、城壁の北塔)
シーズンオフの日曜日、観光バスは幸いにも一便だけ午前中に出るという。昼食付きで37DM。しかも7ケ国通訳付きとか。中央駅に近いバスターミナルに行くとアメリカ人の家族が二組のみ。旧市内を周って、かの文豪ゲーテが生まれてから大学入学まで過ごしたゲーテハウスに向う。4階には「若きヴェルテルの悩み」等を執筆した部屋が昔の面影そのままに残されている。それにしても、車内の7ヶ国語テープ案内は第2次世界大戦の時の様子を執拗に解説している。日本ではもはや観光案内では考えられないことになっているが。
ゲーテハウス 右:執筆部屋(4階)
(左)ゲーテ博物館とゲーテハウスの文字案内 (右)2階の音楽室にて
さあ、いざ昼食時間である。アップルワインで有名なザクセンハウゼンの「アドルフ・ワグナー」というレストランに案内される。ここにしかないという名物アップルワインを勧められたが、これが絶品。アルコールにさほど強くない私にとって昨夜のオニオンスープの失敗を一掃し、甘味のあるまろやかなこのワインはいささか舌の荒れた私の口の中で一服の清涼剤のように広がり、今もってドイツの味として生きている。
(左)厳冬期のお昼のザクセンハウゼンの居酒屋街 (右)レストラン「Adolf-Wagner」
(左)歴史を感じる店内の様子 (右)名物のアップルワイン