(写真はクリックで拡大します)
奈良まほろばウォーク2 曼珠沙華の寺 佛隆寺
山辺の道を歩いた後、車中で弁当を食しながら宇陀郡榛原町に移動、大型バスが入れない高井地区で下車する。上がっていた雨が歩きだすと再び降り出した。ここから佛隆寺までは片道2kmのなだらかな上り道。
(左)西国番外札所「大和のかくれ古刹 佛隆寺」の由来書 (右)高井地区の石碑
佛隆寺は西暦850年弘法大師の高弟堅恵大徳が室生寺の南大門として建立、開祖堅恵大徳が唐の徳宗皇帝より茶臼と茶の種子を拝受し、山内に茶園を造った。これが我国茶樹栽培の始まりとも言われている。茶臼は寺宝として今も見ることができる。
日本のお茶の始まりを示す石碑
その他、9世紀半ばに構築された宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所)や、鎌倉時代の十三重の石塔、県天然記念物の大桜(樹齢約1000年)等があり、寺の住職から本尊十一面観世音菩薩に始まる以上のような説明を受ける。
(左)宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所) (右)鎌倉時代の十三重の石塔
小さな秋を見つける今回の日帰り旅行、ここへ来た最大の目的は佛隆寺は大和三指の石段の両側に咲く曼珠沙華(彼岸花)が有名で、その真っ赤な群生を見ようというもの。
今年は暑かったからねえ!と言っている石段両側の早咲き曼珠沙華(彼岸花)
境内に咲くピンクの曼珠沙華
その結果は、上の写真の如くで住職曰く10日ほど早かったようだ。一目10万本といわれる曼珠沙華は「さあ!これから咲くぞ!」と言っているようであった。
ご参考までに、例年ならこんな景色が・・・・・。
(ちなみに旅行日は9月16日でした。)
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奈良まほろばウォーク2 曼珠沙華の寺 佛隆寺
山辺の道を歩いた後、車中で弁当を食しながら宇陀郡榛原町に移動、大型バスが入れない高井地区で下車する。上がっていた雨が歩きだすと再び降り出した。ここから佛隆寺までは片道2kmのなだらかな上り道。
(左)西国番外札所「大和のかくれ古刹 佛隆寺」の由来書 (右)高井地区の石碑
佛隆寺は西暦850年弘法大師の高弟堅恵大徳が室生寺の南大門として建立、開祖堅恵大徳が唐の徳宗皇帝より茶臼と茶の種子を拝受し、山内に茶園を造った。これが我国茶樹栽培の始まりとも言われている。茶臼は寺宝として今も見ることができる。
日本のお茶の始まりを示す石碑
その他、9世紀半ばに構築された宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所)や、鎌倉時代の十三重の石塔、県天然記念物の大桜(樹齢約1000年)等があり、寺の住職から本尊十一面観世音菩薩に始まる以上のような説明を受ける。
(左)宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所) (右)鎌倉時代の十三重の石塔
小さな秋を見つける今回の日帰り旅行、ここへ来た最大の目的は佛隆寺は大和三指の石段の両側に咲く曼珠沙華(彼岸花)が有名で、その真っ赤な群生を見ようというもの。
今年は暑かったからねえ!と言っている石段両側の早咲き曼珠沙華(彼岸花)
境内に咲くピンクの曼珠沙華
その結果は、上の写真の如くで住職曰く10日ほど早かったようだ。一目10万本といわれる曼珠沙華は「さあ!これから咲くぞ!」と言っているようであった。
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