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旅行記、世相独言

奈良まほろばウォーク2 曼珠沙華の寺 佛隆寺

2010年09月22日 11時10分00秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

奈良まほろばウォーク2 曼珠沙華の寺 佛隆寺


 山辺の道を歩いた後、車中で弁当を食しながら宇陀郡榛原町に移動、大型バスが入れない高井地区で下車する。上がっていた雨が歩きだすと再び降り出した。ここから佛隆寺までは片道2kmのなだらかな上り道。

  
(左)西国番外札所「大和のかくれ古刹 佛隆寺」の由来書  (右)高井地区の石碑

 佛隆寺は西暦850年弘法大師の高弟堅恵大徳が室生寺の南大門として建立、開祖堅恵大徳が唐の徳宗皇帝より茶臼と茶の種子を拝受し、山内に茶園を造った。これが我国茶樹栽培の始まりとも言われている。茶臼は寺宝として今も見ることができる。

 日本のお茶の始まりを示す石碑

 その他、9世紀半ばに構築された宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所)や、鎌倉時代の十三重の石塔、県天然記念物の大桜(樹齢約1000年)等があり、寺の住職から本尊十一面観世音菩薩に始まる以上のような説明を受ける。

 
(左)宝形屋根の石室(国宝、堅恵大徳の入定所)  (右)鎌倉時代の十三重の石塔


 小さな秋を見つける今回の日帰り旅行、ここへ来た最大の目的は佛隆寺は大和三指の石段の両側に咲く曼珠沙華(彼岸花)が有名で、その真っ赤な群生を見ようというもの。

 
   今年は暑かったからねえ!と言っている石段両側の早咲き曼珠沙華(彼岸花)

 境内に咲くピンクの曼珠沙華


 その結果は、上の写真の如くで住職曰く10日ほど早かったようだ。一目10万本といわれる曼珠沙華は「さあ!これから咲くぞ!」と言っているようであった。

 ご参考までに、例年ならこんな景色が・・・・・。

(ちなみに旅行日は9月16日でした。)


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奈良まほろばウォーク 1 山辺の道

2010年09月22日 11時07分45秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

奈良まほろばウォーク その1 「山辺の道」


ある旅行代理店が「山辺の道」定番コースを歩く企画をしたので参加した。
60数年も大阪にいながら山辺の道を歩くのは初めてである。
今回は石上神宮から長岳寺までの5.5km。
残念ながら酷暑続きの毎日の中にあって今日は朝から小雨模様。
しかしながら、涼しくてこれもまたいいものである。
歩いたのは、2010年9月16日でした。

 
(左)山辺の道(石上神宮~長岳寺)今回歩いたルート   (右)山辺の道(長岳寺~桜井)(三輪そうめん 山本提供)

 「いそのかみ神宮」と読む。石上は物部氏の根拠地

 神宝は「日の御楯」「七支刀(国宝)」等々

 鶏たちのお見送りを受け出発

 秋の景色を探すがなかなか見当たらず、竹林に紅葉?

 夜都岐神社

 畦道の両側にはたわわに実った稲穂が秋を告げる

 竹之内町環濠集落 中世末期自衛のため築いたもの

 ETのミイラ? いいえ、ひまわりの末路です

 この辺りいたる所に古墳があり大和古墳群を形成

 柿本人麻呂歌碑「あしひきの 山川の瀬の 響るなべに 弓月ケ岳に 雲立ち渡る」

 山辺の道は墓地の中も通る。念仏寺山門前の石像

 今回のゴール、つつじの名所「長岳寺」


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大司教の館に迫るJCB - ザルツブルグ - (異文化体験8 アルプス山麓の旅3)

2010年09月22日 11時05分08秒 | 異文化体験_西欧
(クリックで写真は拡大します)


大司教の館に迫るJCB -ザルツブルグ-  1986.09.18

 ミュンヘンから153km。楽聖モーツアルトを生んだ街ザルツブルグ。アルプスの山塊に連なる三つの丘陵に囲まれ、Salzach川の清流が街を貫いている。

アルプスの牧歌的風景を楽しむ(ミュンヘン~ザルツブルグ)

 ザルツブルグの街(ホーエンザルツブルグ城、背景はアルプスの峰々)

 委員会の作業は予定より早く昨日の午後に終えたので、今日はO氏、I氏と共に急遽車でザルツブルグへのミニ旅行を実施することに。小雨に煙るハイウェイを1時間半。アルプスの牧歌的風景を楽しみながら、オーストリア国境を越えるとそこはもうザルツブルグ。毎年7月から8月末まで開催される音楽祭(Festpiele)が終わったところで、街にはまだその余韻が漂っている。


 市内を一望出来る高台にはホーエンザルツブルグ城、別名「大司教の館」とも言う、がそびえている。1077年に着工されローマ教会の大司教が置かれた由緒あるお城である。この街で生れ25歳までここで過ごしたモーツアルトもその少年時代(幼名アマデウス)には、この館での音楽会でやんちゃぶりを発揮したようだ。


 (左)ホーエンザルツブルグ城の入場チケット    (右)右奥がゴシック式ストーブ

 大司教の儀式の間、今にもバイオリンやチェロの音が聞こえてきそうな黄金の間、囚人の部屋、1501年製の人の背丈の2倍はあろうかというゴシック式ストーブの部屋、「ザルツブルクの雄牛」と呼ばれる大オルガン等々を見ながら、この城館の見張り台に上がる。

 お城(大司教の館とも言う)から見た街並み
(街の中央を流れるSalzach川、手前が旧市街、川向うが新市街)

 折からの雨で霧の間に間に眼下のSalzach川向うの新市街や城下の旧市街に、欧州最大級のパイプオルガンを有するドーム、祝祭劇場、宮廷コンサートが行われるミラベル宮等々が見え隠れしている。晴れていれば目の前にアルプスの山々や映画Sound of Musicの舞台になった湖沼地帯が展望出来るようであるが、誠に残念である。

 
(左)街の至る所からお城が見える。欧州最大級パイプオルガンを有するドーム (右)モーツアルト生家の入場券


(左)ゲトライデ通りに面したモーツアルトの生家   (右)幼少のモーツアルト(Wolfgang-amadeus)

 ケーブルカーを利用して、旧市街地のモーツアルトの生家を訪ねる。市内で最も賑やかなゲトライデ通りに面したその家は、今は記念館として公開されている。1756年1月27日にこの家で生まれた楽聖Mozartsは、その後ウイーンを中心に活躍し、国立オペラハウスのコケラ落としでは新作「ドン・ジョバンニ」が演じられた。

   
(左)いつも賑わいを見せるゲトライデ通り  (右)急速に拡大するご存知JCBのロゴマーク

 人口10万少しのこの町にも日本人が大勢押寄せているらしい。訪問中に日本人と会うことはなかったが、店々が受け入れるカードの種類を見ているとその状況が良く分かる。欧州全体に数年前とは比較にならない程、JCBマークを貼っている店が増えているが、この小さな町でも然り。ほとんどの店が軒先やドアにJCBマークを貼り付けており、まさに大司教の館に迫るJCBである。

 夕刻にはミュンヘン・リーム空港に戻らなければならない。オーストリア・アルプスの牧歌的匂いと宮廷音楽の雰囲気を味わったわずか5時間足らずの滞在であった。

 ミュンヘン・リーム空港

 ミュンヘン空港に戻るとI氏が搭乗予定のロンドン便は離陸した後。O氏が少し後のロンドン便だったので、変更を交渉すれどもフィンエアー(フィンランドの航空会社)で欧州入りしているのでフィンエアーのエンドースが必要とか。しかし肝心の事務所がここにはないようだ。困った困った。小生のジュネーブ行きのフライトの時刻が迫ったので両氏と別れたが、後日談で結局ロンドンまでのチケットを買ったようだ。

 ジュネーブ行きの便は途中の天候が悪く1時間遅れで到着。休む間もなく再びジュネーブへ。ああ、明日のモンブランは大丈夫だろうか? どうか神様、天気にしておくれ!


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