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出雲大社へは、20年ほど前に一度参拝している。ちょうどマラソン大会が開催されている頃で、お参りの後、大山の会社の保養所に宿泊した。お恥ずかしい話だが、今回参拝して大変な間違いをしていたことに気づかされた。以前にお参りしたのはあの長さ13m、4.5トンの大注連縄のある神楽殿で、これをてっきり本殿拝殿と思って引き上げていたのだ。
ということで、今回は晩秋の大山をドライブし、松江で昼食、その後出雲大社近くの「佳雲」に宿泊、翌朝に大社に今度は間違いなく参拝するという旅を実施した次第である。
蒜山大山スカイライン 鬼女台展望台(風が強い!)
米子自動車道を蒜山ICで降りて、蒜山大山スカイラインを一路鬼女台展望駐車場へ、風が強い、大山の頂上は雲間に隠れ薄く雪化粧した山容が遠望できる。紅葉はとっくの昔に終わっているようだ。さらに対向車も後続車もいない道を鏡ヶ成から鍵掛峠に進めるが、路端には枯葉が積もり積もっていて、時折紅葉の名残を見せる木々が木立の中に垣間見える。
鍵掛峠から見る大山は、時折の晴れ間に山上は依然として雲間に隠れているが、岩肌に積もった雪に覆われた中腹から山麓にかけての山容が晩秋の麓の枯れた色彩の中に浮かび上がって見える。
三ノ沢、二の沢、一の沢を経て、以前保養所があった桝水高原にやって来ると、随分周辺の整備がなされ、きれいになっていた。ここでスカイラインとは別れ、溝口ICに向かって下り勾配を走り、再び米子自動車道で米子ICへ、更に山陰道(安来道路)で出雲方面に車を走らせる。
鍵掛峠から見る大山 昔保養所のあった桝水高原(お地蔵さんは最近設置?)
おりしも昼食時、SAで昼食をと思うが適当なSAがない。時間的にも余裕があるので松江市内で探すことに。何度か来ているお城周りで見つけたのが出雲そばの名店「神代そば」。待合の横で手打ちの様子を見ながら席の空くのを待つこと10分ほど。私は割りこそば、女房は温かい鶏そば、十割そばである。濃厚な蕎麦湯にも堪能し、宍道湖北岸を一路出雲「佳雲」へ。
出雲そばの名店 「神代(かみよ)そば」 十割そばの「割りこそば」
いにしえの宿「佳雲」は、白浜の「海舟」同様、共立メンテナンスが経営するお宿で初めての利用。サービススタイルは同じで、自由に使える複数の家族風呂、湯上り処でアイスやヨーグルトの提供、夜食としての夜泣き蕎麦の提供等々、大人の宿である。大浴場の造りが大社を連想させる檜造りで、食事も会席料理に加え「心ばかり」と称して5種の小品が選択で提供されていたが、「全部でも結構ですよ」という仲居さんの言葉に同調してしまった。
いにしえの宿「佳雲」大社へは徒歩10分ほどの距離 趣のある落ち着いた室内
今夕のお品書き 心ばかりの5品(全部いただきました)
土器盛り 蛸切飯 鱧土瓶蒸し 島根和牛と秋茄子のすき焼き 朝食
大国主大神を祀る出雲大社、国づくりの神様であり、今日では縁結びの神様として崇められている。平成28年3月に「平成の大遷宮」の御社殿御修造等の第1期事業が終了している。訪れた神在月(世間では神無月)は、ここ出雲の地に八百万の神々が集結し、男女のご縁組等について会議をされるとのことで、11月27-28日に神迎祭、神在祭が行われる。まず、稲佐の浜に神々を迎える御神火が焚かれ、3kmほどの神迎の道を神職等がお供して出雲大社に向かう。神々は境内東西の十九社で宿泊、上宮で神議される、と言われている。
宿で貰った参詣案内など 境内および周辺図
現在の御本殿は、1744年にご造営され、1952年に国宝に指定されている。古代の御本殿は3本の大木を鉄輪で束ね1本の柱とし、高さ16丈(48m)の御本殿であったと伝えられているが、平成12年境内より伝説通りの姿でご本殿の柱が発掘されたようだ。
1744年に造営された御本殿 高さ48mもあったと伝えられる古代の御本殿の柱
大社造りと呼ばれる建築様式では、御内殿(御神座)が本殿と同じ南向きでなく、西向きに鎮座されている。このため、あまり知られていないが大国主大神を真正面から拝礼するには、拝殿や八足門からでなく本殿を囲む塀の西側、宝庫のあたりから拝礼するべしと言われている。
参拝の心得として言われているのが、四つの鳥居(石・木・鉄・銅)をくぐること、そして「二礼・四拍手・一礼」の大社固有の拝礼の仕方、この二つをお忘れなく。
勢溜の大鳥居(木) 拝殿
御本殿(文庫辺りから撮影) 御本殿裏のうさぎ達
宝庫の前辺りの大国主大神拝礼場所 「御神座正面に当たるこの場所」と書いてます 大注連縄の神楽殿
最後に我が国最大級の大注連縄のある神楽殿に参拝し、ご縁横丁で出雲ぜんざい餅を買って、古代出雲歴史博物館の駐車場を後にした次第。
出雲地方では、旧暦10月の神在月にふるまわれていたのが「神在もち(小豆を煮て餅を入れた汁)」で、これが今日のぜんざいの語源と言われているが、はてはて。
今回訪問出来なかった「古代出雲博物館」 帰途、米子辺りからの晴れ渡った大山
神在月の出雲大社へ
2017.11.16-17
出雲大社へは、20年ほど前に一度参拝している。ちょうどマラソン大会が開催されている頃で、お参りの後、大山の会社の保養所に宿泊した。お恥ずかしい話だが、今回参拝して大変な間違いをしていたことに気づかされた。以前にお参りしたのはあの長さ13m、4.5トンの大注連縄のある神楽殿で、これをてっきり本殿拝殿と思って引き上げていたのだ。
ということで、今回は晩秋の大山をドライブし、松江で昼食、その後出雲大社近くの「佳雲」に宿泊、翌朝に大社に今度は間違いなく参拝するという旅を実施した次第である。
蒜山大山スカイライン 鬼女台展望台(風が強い!)
米子自動車道を蒜山ICで降りて、蒜山大山スカイラインを一路鬼女台展望駐車場へ、風が強い、大山の頂上は雲間に隠れ薄く雪化粧した山容が遠望できる。紅葉はとっくの昔に終わっているようだ。さらに対向車も後続車もいない道を鏡ヶ成から鍵掛峠に進めるが、路端には枯葉が積もり積もっていて、時折紅葉の名残を見せる木々が木立の中に垣間見える。
鍵掛峠から見る大山は、時折の晴れ間に山上は依然として雲間に隠れているが、岩肌に積もった雪に覆われた中腹から山麓にかけての山容が晩秋の麓の枯れた色彩の中に浮かび上がって見える。
三ノ沢、二の沢、一の沢を経て、以前保養所があった桝水高原にやって来ると、随分周辺の整備がなされ、きれいになっていた。ここでスカイラインとは別れ、溝口ICに向かって下り勾配を走り、再び米子自動車道で米子ICへ、更に山陰道(安来道路)で出雲方面に車を走らせる。
鍵掛峠から見る大山 昔保養所のあった桝水高原(お地蔵さんは最近設置?)
おりしも昼食時、SAで昼食をと思うが適当なSAがない。時間的にも余裕があるので松江市内で探すことに。何度か来ているお城周りで見つけたのが出雲そばの名店「神代そば」。待合の横で手打ちの様子を見ながら席の空くのを待つこと10分ほど。私は割りこそば、女房は温かい鶏そば、十割そばである。濃厚な蕎麦湯にも堪能し、宍道湖北岸を一路出雲「佳雲」へ。
出雲そばの名店 「神代(かみよ)そば」 十割そばの「割りこそば」
いにしえの宿「佳雲」は、白浜の「海舟」同様、共立メンテナンスが経営するお宿で初めての利用。サービススタイルは同じで、自由に使える複数の家族風呂、湯上り処でアイスやヨーグルトの提供、夜食としての夜泣き蕎麦の提供等々、大人の宿である。大浴場の造りが大社を連想させる檜造りで、食事も会席料理に加え「心ばかり」と称して5種の小品が選択で提供されていたが、「全部でも結構ですよ」という仲居さんの言葉に同調してしまった。
いにしえの宿「佳雲」大社へは徒歩10分ほどの距離 趣のある落ち着いた室内
今夕のお品書き 心ばかりの5品(全部いただきました)
土器盛り 蛸切飯 鱧土瓶蒸し 島根和牛と秋茄子のすき焼き 朝食
大国主大神を祀る出雲大社、国づくりの神様であり、今日では縁結びの神様として崇められている。平成28年3月に「平成の大遷宮」の御社殿御修造等の第1期事業が終了している。訪れた神在月(世間では神無月)は、ここ出雲の地に八百万の神々が集結し、男女のご縁組等について会議をされるとのことで、11月27-28日に神迎祭、神在祭が行われる。まず、稲佐の浜に神々を迎える御神火が焚かれ、3kmほどの神迎の道を神職等がお供して出雲大社に向かう。神々は境内東西の十九社で宿泊、上宮で神議される、と言われている。
宿で貰った参詣案内など 境内および周辺図
現在の御本殿は、1744年にご造営され、1952年に国宝に指定されている。古代の御本殿は3本の大木を鉄輪で束ね1本の柱とし、高さ16丈(48m)の御本殿であったと伝えられているが、平成12年境内より伝説通りの姿でご本殿の柱が発掘されたようだ。
1744年に造営された御本殿 高さ48mもあったと伝えられる古代の御本殿の柱
大社造りと呼ばれる建築様式では、御内殿(御神座)が本殿と同じ南向きでなく、西向きに鎮座されている。このため、あまり知られていないが大国主大神を真正面から拝礼するには、拝殿や八足門からでなく本殿を囲む塀の西側、宝庫のあたりから拝礼するべしと言われている。
参拝の心得として言われているのが、四つの鳥居(石・木・鉄・銅)をくぐること、そして「二礼・四拍手・一礼」の大社固有の拝礼の仕方、この二つをお忘れなく。
勢溜の大鳥居(木) 拝殿
御本殿(文庫辺りから撮影) 御本殿裏のうさぎ達
宝庫の前辺りの大国主大神拝礼場所 「御神座正面に当たるこの場所」と書いてます 大注連縄の神楽殿
最後に我が国最大級の大注連縄のある神楽殿に参拝し、ご縁横丁で出雲ぜんざい餅を買って、古代出雲歴史博物館の駐車場を後にした次第。
出雲地方では、旧暦10月の神在月にふるまわれていたのが「神在もち(小豆を煮て餅を入れた汁)」で、これが今日のぜんざいの語源と言われているが、はてはて。
今回訪問出来なかった「古代出雲博物館」 帰途、米子辺りからの晴れ渡った大山