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旅行記、世相独言

ポツダムとサンスーシー -ポツダム-(異文化体験24 中・東欧の旅5)

2012年09月18日 23時20分40秒 | 異文化体験_中・東欧
(写真はクリックで拡大します)

ポツダムとサンスーシー -ポツダム- 1995.9.29

  
 (左)プラハからベルリン駅に到着           (右)地下鉄でホテルへ

 インターコンチネンタルホテル・ベルリン

 プラハからドレスデンを経てベルリン駅に到着。市内のホテルまでは地下鉄を利用して、無事ブダペスト通りのインターコンチネンタル・ベルリンにチェックイン。

 カイザー・ヴィルヘルム記念教会

 翌朝、第2次世界大戦の戦禍を留めるカイザー・ヴィルヘルム記念教会を横目に、通訳兼案内人と共にポツダムに向かう。
 カイザー・ヴィルヘルム記念教会は、広島原爆ドームと同様に、1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊され、最低限の修復後、崩れたままの姿で保存され、大空襲の悲惨さを伝えている。


 サンスーシー宮殿と庭園

 ベルリン郊外のポツダムは、プロイセン王家がここを居城都市として創り上げてきた街。
 旧市街の西端にあって、プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけてフリードリヒ2世の命によって建てられたサンスーシー宮殿と庭園は、今なお年間200万人の観光客を集めている。ヴォルテールが一時期滞在したことでも知られている。

 サンスーシー宮殿の階段状の庭園 

  
              ロココ調の青い丸屋根を持ち、褐色の壁を持つ宮殿  

 サンスーシーとは、もともとフランス語で「心配なく余暇にふける」という意味があり、日本や中国では無憂宮とも表記するらしい。
 丸屋根のある一階建てのロココ建築のスケッチはフリードリッヒ2世が描き造らせたようだが、階段状の庭園と青い丸屋根と褐色の壁を有する建築物の外観に加え、内部の寄木細工の床で続く臨終の間、コンサートの間等々豪華な装飾の部屋は強烈な印象を与えている。

 
(左)20世紀初頭建造されたツィツィリーエンホーフ宮殿 (右)ポツダム会談の場所を背景に記念撮影

 20世紀の初め、ここにツィツィリーエンホーフ宮殿が建造された。この宮殿はその後の世界政治に残る場所となった。
 第二次世界大戦でナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日~8月2日、当宮殿に米国、英国、ソ連の3ケ国首脳が集まり、第二次世界大戦の戦後処理と日本の終戦について話し合われた。
 いわゆるポツダム会談がここで行われ、今もその部屋が保存されている。尖閣諸島にも関係する会談であった。

 
(左)保存されているポツダム会談の行われた部屋 (右)アトリー、トルーマン、スターリンの連合国首脳

 午後は、ベルリンに戻って壁崩壊後の東西ベルリンの今を視察する。


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