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バブル経済の最中、旧い都市は再開発の話で持ち切りである。「都市みらい」という建設省の外郭団体が欧州の都市再開発を調査するミッションを派遣することになり、建築・土木・不動産・都市計画・エネルギー等々の業界が参加する一大ミッションとなった。さてさて、どんな旅になることやら。
今回の調査団メンバー
ロンドンの再生や、如何に? -ロンドン- 1990.9.11~12
海外渡航者も年毎に多くなり、英国航空BA008便はほぼ満席状態で成田をテイクオフ。ロンドンまでは地上げ屋紛いのいかつい顔に立派な体格の某不動産会社のT氏と隣り合わせ。外見からは想像出来ない娘さんや愛犬の話にナイーブな心優しい一面を感じ取る。
(左)「Great Western Royal Hotel」 (右)創建時の同ホテル 1890-1900頃(Wikipediaより)
Great Western Royal Hotelでの夕食後、彼とパブに行こうということに。パディントン駅周辺は人通りはほとんどないものの、とあるパブに入るといるわいるわ、沢山の若者が! 飲み物片手におしゃべりに夢中の者、恋人と熱烈なキスの真最中のカップル等、熱気でムンムンである。やや場違いな2人であるが、数分もすれば場に溶け込めるから不思議である。
(左)ホテル近くのパブ「Pub_Great Western」 (右)英国パブの雰囲気(参考)
翌早朝、ホテル周辺を某ゼネコンのSさんと散策する。海外渡航が初めてというSさん、街の雰囲気に痛く感心された様子である。
(左)開発前の姿(造船王国の名残) (右)近代ノッポビルに生まれ変わるドックランズ
(左)いち早く整備されたDocklands Light Railway (右)今日(2010)の路線図
ドックランズは、世界都市ロンドンがその再生を期して数年前から取組んでいる大再開発PJである。旧シティに続くテームズ川下流一帯に、新しい都市機能を建設するこのPJは、現在欧州の各都市と結ぶCity Airport(竣工済み)と域内のメインアクセスであるLight Railwayがほぼ完成し、テームズ河畔では至る所で建設作業が進行中である。
中世は貴族が狩猟犬を放し飼いにしていたIsle of Dogs(犬半島)が、産業革命と共に造船のメッカとなり沢山のDock(造船のドック)に変貌し、今EC統合に向けそのリーダーシップを取ろうとする英国の威信を賭けた街づくりが槌音高く続いている。
(左)ドックランズの入口、タワーブリッジ (右)7年前タワーブリッジ横の木造レストラン
しかし、人間の興味の持ち方というものは面白いものである。今から7年前、私は今から思えばこのドックランズ再開発の一番西の端にあたるTower Bridgeに隣接するホテルで、1週間缶詰で国際ガス連盟(IGU)の仕事を行っていた。その当時、ホテルの対岸は壊れたレンガ塀の工場があり、一方ホテルの隣はボードウォークで導かれる雰囲気のある木造のレストランがあるといったアンバランスな場所で、週末の夕刻ともなると多くの市民でレストランは超満員であった。
当時は小生はエネルギー屋であり、都市開発屋ではなかったし、IGUメンバーからもドックランズの話は出ていなかったように思う。しかし、その頃から既に開発は始まっていたのである。人間、立場が変わると興味の視点も変わるものである。
昔の面影や何処 Canary_Wharfの夜警(2010Wikipedia)
この再開発で参考にすべき点は、インフラ整備の考え方と開発マネージメントであろう。街づくりの初期において軽量鉄道をいち早く導入し、街づくりを加速させる方法は、日本ではまず採用されない方法である。目先の経済合理性を追求する日本と、長期的視点からインフラ整備を重視する欧米との考え方の差がここにあるように思える。
また、サッチャー首相が開発公社に多くの権限を委譲しているが、これもまた我が国では簡単にいきそうにないことであろう。
(左)賑わい空間コベントガーデン、大道芸人も (右)バービカンセンター
「コベントガーデン」や商業・居住複合再開発区(1982年竣工)内の欧州最大の文化施設「バービカンセンター」等にも立ち寄って、私にとっての処女地、待望のポルトガルへ。
バブル経済の最中、旧い都市は再開発の話で持ち切りである。「都市みらい」という建設省の外郭団体が欧州の都市再開発を調査するミッションを派遣することになり、建築・土木・不動産・都市計画・エネルギー等々の業界が参加する一大ミッションとなった。さてさて、どんな旅になることやら。
今回の調査団メンバー
ロンドンの再生や、如何に? -ロンドン- 1990.9.11~12
海外渡航者も年毎に多くなり、英国航空BA008便はほぼ満席状態で成田をテイクオフ。ロンドンまでは地上げ屋紛いのいかつい顔に立派な体格の某不動産会社のT氏と隣り合わせ。外見からは想像出来ない娘さんや愛犬の話にナイーブな心優しい一面を感じ取る。
(左)「Great Western Royal Hotel」 (右)創建時の同ホテル 1890-1900頃(Wikipediaより)
Great Western Royal Hotelでの夕食後、彼とパブに行こうということに。パディントン駅周辺は人通りはほとんどないものの、とあるパブに入るといるわいるわ、沢山の若者が! 飲み物片手におしゃべりに夢中の者、恋人と熱烈なキスの真最中のカップル等、熱気でムンムンである。やや場違いな2人であるが、数分もすれば場に溶け込めるから不思議である。
(左)ホテル近くのパブ「Pub_Great Western」 (右)英国パブの雰囲気(参考)
翌早朝、ホテル周辺を某ゼネコンのSさんと散策する。海外渡航が初めてというSさん、街の雰囲気に痛く感心された様子である。
(左)開発前の姿(造船王国の名残) (右)近代ノッポビルに生まれ変わるドックランズ
(左)いち早く整備されたDocklands Light Railway (右)今日(2010)の路線図
ドックランズは、世界都市ロンドンがその再生を期して数年前から取組んでいる大再開発PJである。旧シティに続くテームズ川下流一帯に、新しい都市機能を建設するこのPJは、現在欧州の各都市と結ぶCity Airport(竣工済み)と域内のメインアクセスであるLight Railwayがほぼ完成し、テームズ河畔では至る所で建設作業が進行中である。
中世は貴族が狩猟犬を放し飼いにしていたIsle of Dogs(犬半島)が、産業革命と共に造船のメッカとなり沢山のDock(造船のドック)に変貌し、今EC統合に向けそのリーダーシップを取ろうとする英国の威信を賭けた街づくりが槌音高く続いている。
(左)ドックランズの入口、タワーブリッジ (右)7年前タワーブリッジ横の木造レストラン
しかし、人間の興味の持ち方というものは面白いものである。今から7年前、私は今から思えばこのドックランズ再開発の一番西の端にあたるTower Bridgeに隣接するホテルで、1週間缶詰で国際ガス連盟(IGU)の仕事を行っていた。その当時、ホテルの対岸は壊れたレンガ塀の工場があり、一方ホテルの隣はボードウォークで導かれる雰囲気のある木造のレストランがあるといったアンバランスな場所で、週末の夕刻ともなると多くの市民でレストランは超満員であった。
当時は小生はエネルギー屋であり、都市開発屋ではなかったし、IGUメンバーからもドックランズの話は出ていなかったように思う。しかし、その頃から既に開発は始まっていたのである。人間、立場が変わると興味の視点も変わるものである。
昔の面影や何処 Canary_Wharfの夜警(2010Wikipedia)
この再開発で参考にすべき点は、インフラ整備の考え方と開発マネージメントであろう。街づくりの初期において軽量鉄道をいち早く導入し、街づくりを加速させる方法は、日本ではまず採用されない方法である。目先の経済合理性を追求する日本と、長期的視点からインフラ整備を重視する欧米との考え方の差がここにあるように思える。
また、サッチャー首相が開発公社に多くの権限を委譲しているが、これもまた我が国では簡単にいきそうにないことであろう。
(左)賑わい空間コベントガーデン、大道芸人も (右)バービカンセンター
「コベントガーデン」や商業・居住複合再開発区(1982年竣工)内の欧州最大の文化施設「バービカンセンター」等にも立ち寄って、私にとっての処女地、待望のポルトガルへ。
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