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旅行記、世相独言

世界遺産「水原華城」とナンタと -ソウル-(異文化体験39 ソウルの休日1)

2014年02月15日 23時36分07秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)

世界遺産「水原華城」とナンタと -ソウル-  2004.05.23

 韓国でゴルフをしよう!と昔の仕事仲間4人で3日間のソウル行きを計画した。直前にうち1人の身内に不幸があり3人での旅となった。
 中日のゴルフだけが予約出来ているが、後は何も決まっていない。KNTの全くフリーのパックプランである。とりあえず、関空9時40分発大韓航空722便に搭乗する。 
 ソウル仁川国際空港着は11時30分。ツアー案内書に「出迎えあり。免税店ご案内後、ホテルへご案内。夕食はプルコギ」となっている。

 出迎えてくれたのはハンナラ観光の姜さん。幸い我々以外に同乗のパックツアー客はいない。免税店経由のホテル行きは御免こうむりたい。 そこで、バスの中で早速交渉開始。「免税店はいらない。代わりにどこか案内して!」としつこく迫る我々に、「水原の華城」観光に決定。もちろん料金も交渉して65000ウォンを50000ウォンに値切る。かくしてバスの行き先が急遽変更された。

   今回のソウルの旅は「水原華城」からスタート(八達門)      

        
       水原華城周辺は、韓国ハイテク産業を支える中小企業が多い(前回業務出張で来たのもこの辺り)

 18世紀末、朝鮮王朝第22代王・正祖が父(荘献世子)の墓を楊州から水原に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いた。これが華城である。
 華城建築には、1794~1796年まで3年弱を要し延べ37万人の労力が投入されたという。城壁の延長は5.8km、中国から西洋築城技術を導入し、当時の城塞建設技術の粋を集めた東西技術の融合物である。
 また、華城は正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られた。正祖の死後、荒廃したまま放置された華城は1975年の復元工事により往時の姿を取り戻し、1997年世界文化遺産に登録された。

   
                       延長およそ6kmの城壁(遠くの池の傍の楼閣が訪花随柳亭)

        
                             水上楼閣が設けられている華虹門

      
               延長およそ6km、ゆっくり歩いて2時間弱、5月下旬の陽気に汗ばんでくる

 八達門から入場し、石材と煉瓦を多用した城壁に沿って華西門、長安門、更には水上楼閣が設けられている華虹門まで歩くが、これで約半分、初夏を思わせる陽気に身体中が汗ばんでくる。池を見下ろす優雅なたたずまいの訪花随柳亭で小休止。ほぼ2/3を周遊したところに休憩所があり、冷たいものを飲みながらホテルに戻ることにした。


        
           今回のホテルは南山公園の高台にある「ソウル・ミレニアム・ヒルトン」

 今回のホテルは、南山公園の高台にありソウル駅に近いソウル・ヒルトン。シャワーを浴びて今宵の相談をする。
 夕食後は「ナンタ」を見に行くことにし、姜さんに食事前に予約をして貰った。夕食はパック旅行に付いている「プルコギ」。食事場所は高級住宅街の中の小さな店。元ラグビーラガー選手もいる今回のメンバー、到底お腹を満足させる量ではない。早々にたいらげて、姜さんも誘って貞洞のナンタ劇場に近い焼肉屋さんに行って焼肉を堪能する。

        
                   貞洞のナンタ劇場に近い漢南洞の焼肉屋さん


 NANTA(ナンタ)は、1997年の初公演。サムルノリのリズムを素材にドラマ化した非言語劇である。大型厨房を舞台に4人(男性3、女性1の組合せ)の料理師が結婚披露宴のための料理を作る過程で各種厨房器具を使ってサムルノリを演奏するという内容。

        
    (左)ナンタ専用劇場の観劇券                     (右)ナンタのパンフレットより

        
    (左)開演前の舞台の様子                       (右)ナンタのパンフレットより    

 パワーとスピード感を持ってわかり易い、かつ喜劇的なストリーを展開するので、誰もが楽しめるショーである。特に一見キュートな、それでいて非常にパワフルな女性の技に感嘆ものであった。



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