半世紀 50年
この方を覚えておられる方も、めっきり少なくなったのではないでしょうか。横井庄一さん(1915~1997)、元日本軍兵士。
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1972年1月24日、グアム島の奥地で現地住民に発見され、日本軍が玉砕した1944年8月から28年間、捕虜になることを禁じた軍令を守り、グアムのジャングルで人知れず生き延びてこられ、「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」と母国に帰還されました。
ちょうど今から50年前のことです。
この知らせは、戦後27年高度成長期真っただ中の日本国中に衝撃が走りました。私たち若者には戦争の実感を間近なものにし、死亡通知を受け取った遺族の方々にはもしやわが父、わが息子もと。(さらに1974年フィリピン・ルバング島から小野田寛郎さんが29年間の潜伏を経て帰還されました)
横井庄一さんは発見後、グアム島に初めて出来た日系ホテル「グアム第一ホテル」で10日間ほど過ごされ、2月2日に帰国されました。
我々夫婦はその3ケ月ほど後に、心の片隅に少し複雑な思いを偲ばせながらグアム第一ホテルに新婚旅行で訪れました。ビザとイエローカードを持ち、1ドル360円、円の持ち出し規制の中で。
大阪伊丹空港からパンナム機でグアム島へ、帰路は就航が始まったばかりのジャンボジェットに乗りたくて羽田経由で伊丹に戻りました。当時の伊丹空港は、ジャンボジェットが離着陸出来るだけの滑走路延長がなかったためです。
40年後の2012年9月、私は再びグアムの地に降り立ちました。タモン湾に面し当時一軒家だった日系のグアム第一ホテルは、建物は存続していましたが、経営は台湾系の企業に代わっており、タモン湾周辺には様々なホテルやDFS等の施設が林立し、昔の面影を見出すことは出来ませんでした。
朝日新聞2022年1月25日号夕刊の横井庄一さんの記事を見て、50年前を思い起こしてみました。
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元日本兵発見を伝える新聞 グアム島初の日系ホテル「グアム第一ホテル」 台湾系の経営に代わった現在のホテル
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左:50年前のタモン湾から恋人岬方面の景色 右:ホテル等が林立する現在の景色 PANAMのジャンボジェット
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