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旅行記、世相独言

世界文化遺産 古都アユタヤ (異文化体験42 微笑の国の旅6)

2014年07月21日 22時53分55秒 | 異文化体験_アジア
(写真はクリックで拡大します)


世界文化遺産 古都アユタヤ -アユタヤ- 2009.09.08


 アユタヤ、正式にはプラ・ナコーン・スィー・アユタヤ県は、タイの歴史の中で417年という最も長い時代の都として栄えた古都である。 建国は1350年、バンコクの北80km、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の都市である。
 アユタヤ朝はウートーン、スパンナプーム、スコータイ、プラサートトーン、バーンプルールワンの5王朝からなり、度重なるビルマとの戦争で、1767年ついに陥落、建造物は徹底的に破壊された。
 それまでのアユタヤは海のシルクロードの東南アジアにおける最も栄えた港市・都市の一つとして遠くペルシャやヨーロッパ諸国とも外交・交易関係を樹立していた。

 中世・最盛期のアユタヤ。多くの仏塔も描かれている


 朝、6時半のホテルピックアップの車が来ない。安物のツアーだからやばいと心配していると30分遅れでピックアップの車が到着。カオサンに着くと、それぞれ行き先の異なる車が待機している。アユタヤ行きは小生が一番最後のようで、15名ほどの同行者は待ちくたびれた様子。カオサン出発は、結局8時頃となった。

 A&R Travel社のツアー料金表

             
(左・右)ワット・プー・カオ・トーン(81段の急な階段、仏塔の黄金色は色褪せ、周囲には水田が)

 最初に立ち寄ったのは「ワット・プー・カオ・トーン」。黄金の山という意味だそうな。
 ここで説明・ガイド役のおじさんが加わる。両側にはねた口ひげを持った丸顔の中国系タイ人のようだ。ワット・プー・カオ・トーンは1387年の建立で、高さ80mのチェディ(仏塔)が黄金に輝いている。81段の急な階段を昇ると、のどかな水田地帯が広がり、王宮跡までは南東方向に2km。
 

 アユタヤ遺跡の地図

  
                                   (左・中・右)アユタヤの様々な寺院遺跡


 アユタヤには、膨大な遺跡・寺院群があり、今回のツアーでも全てに立ち寄ったわけではない。今回立ち寄った中で小生流3大遺跡を選択すると、
(1) 「プラ・スィー・サンペット寺院」
(2) 「マハー・タート寺院」
(3) 「ローカヤスターラーム寺院」というところか。

 「プラ・スィー・サンペット寺院」は、ウートーン王朝時代に建立された王室の守護寺院。1500年には高さ16m、171Kgの黄金に覆われた仏像が建造されたが、ビルマ軍により跡形もなく破壊され、残っているのはアユタヤ中期に建てられた3人の王のセイロン様式のチェディ(仏塔)。

             
(左)3つの仏塔が連なるプラ・スィー・サンペット寺院     (中)焼失時の仏像        (右)現在の仏像 


 「マハー・タート寺院」は、仏頭が木の根に取り込まれた姿が印象的な寺院。44mの仏塔があったがビルマ軍に破壊された。寺院内の仏像もことごとく打ち首状態で残っている。

         
     (左・中)木の根に取り込まれた仏頭                        (右)頭を斬り落とされた仏様が至る所に・・・


 「ローカヤスターラーム寺院」は、長さ28m、高さ8mの巨大な寝釈迦がある寺院。アユタヤ時代の末期頃の作らしいが詳細不明。台座は蓮の花の形になっており、数度の改修・復元工事が行われた。

                  
                       (左・右)長さ28mの巨大な寝釈迦像

 今回行けなかったが、アユタヤには16世紀から17世紀にかけて、日本やヨーロッパから沢山の商人が集まり、時の王はこれら外国人に居留地を作ることを認めたので日本人町も出来た。ご朱印船貿易が華やかなりし頃で、最盛期には3000人規模とも言われている。日本人町の頭領山田長政は、傭兵隊長や地方長官まで重用されたようだ。

 16~17世紀、3千人の日本人で栄えた日本人町遺跡


 観光拠点アユタヤにもエレファント・キャンプがあり、象乗りが出来る。ほんの数百メートル、数分乗るだけだが、2人乗りで一人500バーツ。象使いが足で操りながら歌を披露、結構な高さがあるのと歩くたびに左右の揺れが大きい。

   
 (左)象たちも昼食の時間? (中)象に乗った目線は田舎道を走る2階建てバスの様  (右)前の象の女性と撮り合いっこ


 ツアー客の中にスペイン人のグループがいる。チェンマイへの帰路、彼らは「バーン・パイン離宮」に立ち寄るらしく、直帰するグループと立ち寄りグループに分かれた。小生は急ぐ旅でないので立ち寄るグループに。

 「バーン・パイン離宮」(資料より)

 アユタヤの南20km、チャオプラヤー川の中州に歴代王が夏の離宮としたのがバーン・パイン離宮。小生は中には入らずに、スペイン人達を待つ間、川を渡るのに一役買っているゴンドラや離宮のバックヤードを見学。およそ1時間ほど離宮周辺を散策する。

              
(左)川を渡る裸のミニケーブルカー(対岸建物の上で人が操作)   (右)かつての繁栄を支えたチャオプラヤ川

 帰路、運転手の青年に頼んで足の便の悪いカオサンではなく、BTSのサラディーン駅近くで降ろして貰ったが、例の渋滞で時既に5時。ホテルに戻ったのは6時であった。雲行きが怪しい。シャワーを浴びていると、閃光と雷の音。大粒の雨が降り出した。
  
 そう! 9月はまだ雨季なのだ。



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