伊勢神宮 斎王と斎宮
令和元年10月24-25日
2019年11月に新天皇が即位のご報告に伊勢神宮に参られるのに先立ち、令和になって初の伊勢詣でに行ってきました。昨年2月にもお参りしましたが、伊勢神宮の近くに660年間続いた斎王の制度が色濃く残る街があることを知り、訪ねてきました。その街が日本遺産のまち「明和町」。
明和町の観光ガイドブック(しっかりとしたガイドブックです) 斎王のみやこMAP
斎王とは、天皇が即位すると未婚の内親王や女王から占いで選ばれて、宮中の初斎院や野宮で足掛け3年の潔斎生活の後、斎宮に旅立ちます。斎宮はこの伊勢神宮に仕える斎王(いつきのひめみこ)の宮殿と彼女に仕えた官人たちの役所である斎宮寮を指します。
660年間 歴代の斎王
日本書紀によると、垂任天皇の時代、皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神に奉じて伊勢の地に神宮を定めたと記されていますが、伝承的な記録が多く実態は定かでないようです。実在した最古の斎王は673年に就任し、泊瀬(はっせ)の斎宮を経て伊勢に入った天武天皇の娘「大来(おおく)皇女」で、斎王という言葉が初めて見られるのは奈良時代だそうです。
斎王歴史博物館の案内書
10世紀前半に編纂された「延喜式」(律令の施行規則)の中に「斎宮式」があり、斎宮に関する取り決めが書かれています。
斎王の務めは、天皇に成り代わり伊勢神宮の祭りに参加することで、9月の神嘗祭と6月、12月の月次祭の3回(三節祭)伊勢神宮に詣でたようです。斎宮では当然季節ごとの年中行事が行われました。
いつきのみや歴史体験館の案内書
「斎宮式」によると、新天皇の即位に伴い斎王は先に述べた3年間の潔斎生活の後、伊勢神宮で9月15-17日に行われる「神嘗祭」に合わせ旅立ちます。多くは葛野川(現在の桂川)で禊を行ない平安宮の大極殿に入り、天皇と対面します。天皇は「都の方におもむきたもうな」と声をかけ、斎王の額髪(ぬかがみ)に櫛をさします。別れのお櫛と言われる厳粛な儀式です。
群行路と帰京路
斎王の一行は、都を離れ、近江の国勢多・甲賀・垂水、伊勢の国鈴鹿・一志の五か所の頓宮(仮設の宮)で泊まりを重ね、五泊六日の旅で伊勢に赴きます。この一行は数百人からなり「群行(ぐんこう)」と称されたようです。
後嵯峨天皇即位の時の斎王は、実の娘で8歳の「良子内親王」。1038年の良子内親王の斎王としての群行は、同行貴族「藤原資房」の詳細な日記でその様子が明らかになっており、再現映像が博物館で見ることが出来ます。
天皇が亡くなると群行路とは異なる帰京路で戻ることになるようで、幼い内親王にとって斎王は父との永遠の別れを意味する場合もあったようです。
さいくう平安の杜の案内書
この斎王の都「明和町」は、平成27年「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」として日本遺産認定されました。斎宮跡史跡は東西2km、南北700mの137haが指定され、昭和45年から本格的発掘調査が継続されています。
斎宮歴史博物館 館内展示の一例(写真はフラッシュなしでOK)
いつきのみや歴史体験館 斎宮での当時の様々な生活体験をすることが出来ます(入場無料)
浅沓(あさぐつ)平安時代の男性の履物 斎宮跡歴史ロマン広場の全体模型
現在史跡内には、斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館、斎宮跡歴史ロマン広場(10分の1史跡全体模型)、さいくう平安の杜等、立派な施設が整備され、伊勢神宮と天皇との関係や古代の斎王の生活等を知り、体感できる場所として、伊勢神宮参拝の折にはぜひ立ち寄りたいところです。
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