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ツァールスコエ・セローとエカテリーナ宮殿 2015.07.10
ホテルを9時半に出発し、ピーテルの南約25kmのツァールスコエ・セローに向かう。ロシアの高速道路は最高速度規制が110km/hだが、日本同様+20km位で走るのでどの車も130km以上のスピードが出ている。しかも結構年季の入った車も多いので衝撃映像を集めたTV番組でロシアの交通事故が多いのに納得する。
⇔ ロシアの高速道路制限110km/h, ゆえに130~140km/hで走行。
公園宮殿ツァールスコエ・セローは、エカテリーナ公園とアレクサンドル公園という2つの巨大(300㏊)な公園に展開される公園芸術で、様々な宮殿は歴代皇帝の夏の住まいとして利用されてきた。その宮殿の代表格がエカテリーナ宮殿である。
(左)ツァールスコエ・セローの日本語本 (右)300ヘクタールに及ぶ広大なツァールスコエ・セロー
最初の宮殿は1724年ピヨートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設され、その名が宮殿名となっているが、その後何代にもわたって増改築がなされ、美術的全体像が出来上がったのは19世紀初頭とのこと。
宮殿への入口は宮殿教会の横のゲートから入るが、ゲート前の路上には各国の音楽を奏でて小遣い稼ぎをする演奏家たちがいて、幸い我々のグループには日本の音楽を奏でたので中国人と間違われなかったと一安心。安心できないのは空模様。黒い雲が迫ってきて時折大きな雷鳴が聞こえる。
(左)エカテリーナ宮殿正面 (右)エカテリーナ宮殿内部構成(右の宮殿教会の上が入口)
(左)入口切符売り場横で小遣い稼ぎの演奏家たち (右)宮殿教会の金色に輝く円屋根
(左)外壁300mとも言われる宮殿中庭を入口へ (中)宮殿正面入口 (右)宮殿の外壁装飾
早速、宮殿内部を見てみよう。現在30のホールが見物対象になっているが。最大の見どころは初期17の間で構成された「黄金のアンフィラーダ」。見どころは、特に「大広間」と「琥珀の間」の2つである。
まず、中央階段を2階に上がっていく。エルミタージュの大使の階段ほどではないが、白壁に様々な装飾や時計が見事である。
(左)正面階段 (右)正面階段北側壁の装飾時計
まず最初の見どころの一つ「大広間」。ここは、井上靖著「おろしあ国酔夢譚」の大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見した間として知られている。映画もここで撮影されたとか。大きな窓と鏡の連続性に風変わりな黄金の室内装飾、更にロシアの勝利をモチーフにした天井画、寄木細工の床等々、見事な大広間である。更に、これに美しい女帝(女帝とのツーショットは1枚につき200ルーブル=600円必要)まで加わると、当時の雰囲気が伝わってくる。しかし、この広間には長蛇の列が出来ていて、この広間の先の「琥珀の間」への入場クッションに使われもいる。
(左)大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見した大広間 (右)黄金に輝く彫刻装飾
(左)黄金のアンフィラーダの中心 860㎡の大広間 (右)天井画(ロシアの勝利)
(左)左壁側に次の間見学の順番待ち列 (右)女帝との記念ツーショットは200ルーブル
琥珀の間への間に、目覚める天使、眠れる天使の像や騎士の食堂の間、皇族の肖像画等がある。
(左)騎士の食堂の間 (中)眠れるキューピッド像 (右)白の主食堂
(左)エリザヴェータ・ペトローヴナの肖像画(1758) (右)エカテリーナ1世の肖像画(1726)
もう一つの見どころ「琥珀の間」は、部屋全体が琥珀で覆われた珍しい部屋。この琥珀は1716年プロイセン王がピヨートル大帝に贈ったものをエリザヴェータが冬宮からここに運び、装飾の手を加えて琥珀の間を作成したが、第2次大戦時ナチス・ドイツ軍が持ち去り行方不明となった。しかし、2003年5.7tの琥珀を用いて、琥珀細工、琥珀モザイク画が再現され、大きな話題を集め、今日の観光スポットとなった。
(左)琥珀の間(写真撮影禁止ゆえ部屋に入る扉の前で撮影) (右)モザイク装飾された琥珀の間(解説本より)
絵画の間やアレクサンドル1世の客間等を経て、宮殿の外、エカテリーナ公園側に出る。このツアーでは公園を散策する時間はないようだが、宮殿の真正面にフランス式庭園が広がり、その先にエルミタージュも遠望できる。
(左)絵画の間 (中左)アレクサンドル1世の肖像画 (中右)緑の食堂 (右)給仕の間 見事な寄木床
⇔ 戦時中ドイツナチスにより荒れ放題の宮殿
(左)宮殿を出てエカテリーナ庭園側に出る (中)宮殿正面のフランス式庭園 (右)庭園奥のエルミタージュの一部
雲行きが怪しくなってきた。小雨がパラつき出し、依然として時折雷鳴も聞こえる。バスの駐車場に向かう途中で大粒の雨になった。一時避難で全員土産物屋に入っての雨宿り。しかし、路上には合羽や雨傘をさして大勢の人が入場待ちしている。何と辛抱強い人達よ!と感心して見ているが、雨は更にバケツをひっくり返した状態に。これが30分近く続くと、さすがに列も縮小したが、それでも頑張る人がいるのには驚いた。
⇔ 雨宿りのお土産屋で買ったキイホルダー
昼食は、公園近くのお店で「ポルシチ」と「ピロシキ」それにご飯ものを食す。ピロシキは、大阪ミナミのグリコの看板で有名な戎橋南詰にロシア料理屋があり、ここのピロシキが美味くてよく買って帰ったが、日本では揚げパンのピロシキも本場では焼きパンだ。
(左・右)公園近くのレストランでランチ 店の名前は「ロシア紅茶?」 右写真がお店の入口です
(左)ビーツのスープ「ポルシチ」と焼きパンの「ピロシキ」 (右)メインのようです 名前不詳
雨も上がり、午後はあの噴水芸術で有名なペテルゴフヘ、いざ出発。
ツァールスコエ・セローとエカテリーナ宮殿 2015.07.10
ホテルを9時半に出発し、ピーテルの南約25kmのツァールスコエ・セローに向かう。ロシアの高速道路は最高速度規制が110km/hだが、日本同様+20km位で走るのでどの車も130km以上のスピードが出ている。しかも結構年季の入った車も多いので衝撃映像を集めたTV番組でロシアの交通事故が多いのに納得する。
⇔ ロシアの高速道路制限110km/h, ゆえに130~140km/hで走行。
公園宮殿ツァールスコエ・セローは、エカテリーナ公園とアレクサンドル公園という2つの巨大(300㏊)な公園に展開される公園芸術で、様々な宮殿は歴代皇帝の夏の住まいとして利用されてきた。その宮殿の代表格がエカテリーナ宮殿である。
(左)ツァールスコエ・セローの日本語本 (右)300ヘクタールに及ぶ広大なツァールスコエ・セロー
最初の宮殿は1724年ピヨートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設され、その名が宮殿名となっているが、その後何代にもわたって増改築がなされ、美術的全体像が出来上がったのは19世紀初頭とのこと。
宮殿への入口は宮殿教会の横のゲートから入るが、ゲート前の路上には各国の音楽を奏でて小遣い稼ぎをする演奏家たちがいて、幸い我々のグループには日本の音楽を奏でたので中国人と間違われなかったと一安心。安心できないのは空模様。黒い雲が迫ってきて時折大きな雷鳴が聞こえる。
(左)エカテリーナ宮殿正面 (右)エカテリーナ宮殿内部構成(右の宮殿教会の上が入口)
(左)入口切符売り場横で小遣い稼ぎの演奏家たち (右)宮殿教会の金色に輝く円屋根
(左)外壁300mとも言われる宮殿中庭を入口へ (中)宮殿正面入口 (右)宮殿の外壁装飾
早速、宮殿内部を見てみよう。現在30のホールが見物対象になっているが。最大の見どころは初期17の間で構成された「黄金のアンフィラーダ」。見どころは、特に「大広間」と「琥珀の間」の2つである。
まず、中央階段を2階に上がっていく。エルミタージュの大使の階段ほどではないが、白壁に様々な装飾や時計が見事である。
(左)正面階段 (右)正面階段北側壁の装飾時計
まず最初の見どころの一つ「大広間」。ここは、井上靖著「おろしあ国酔夢譚」の大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見した間として知られている。映画もここで撮影されたとか。大きな窓と鏡の連続性に風変わりな黄金の室内装飾、更にロシアの勝利をモチーフにした天井画、寄木細工の床等々、見事な大広間である。更に、これに美しい女帝(女帝とのツーショットは1枚につき200ルーブル=600円必要)まで加わると、当時の雰囲気が伝わってくる。しかし、この広間には長蛇の列が出来ていて、この広間の先の「琥珀の間」への入場クッションに使われもいる。
(左)大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見した大広間 (右)黄金に輝く彫刻装飾
(左)黄金のアンフィラーダの中心 860㎡の大広間 (右)天井画(ロシアの勝利)
(左)左壁側に次の間見学の順番待ち列 (右)女帝との記念ツーショットは200ルーブル
琥珀の間への間に、目覚める天使、眠れる天使の像や騎士の食堂の間、皇族の肖像画等がある。
(左)騎士の食堂の間 (中)眠れるキューピッド像 (右)白の主食堂
(左)エリザヴェータ・ペトローヴナの肖像画(1758) (右)エカテリーナ1世の肖像画(1726)
もう一つの見どころ「琥珀の間」は、部屋全体が琥珀で覆われた珍しい部屋。この琥珀は1716年プロイセン王がピヨートル大帝に贈ったものをエリザヴェータが冬宮からここに運び、装飾の手を加えて琥珀の間を作成したが、第2次大戦時ナチス・ドイツ軍が持ち去り行方不明となった。しかし、2003年5.7tの琥珀を用いて、琥珀細工、琥珀モザイク画が再現され、大きな話題を集め、今日の観光スポットとなった。
(左)琥珀の間(写真撮影禁止ゆえ部屋に入る扉の前で撮影) (右)モザイク装飾された琥珀の間(解説本より)
絵画の間やアレクサンドル1世の客間等を経て、宮殿の外、エカテリーナ公園側に出る。このツアーでは公園を散策する時間はないようだが、宮殿の真正面にフランス式庭園が広がり、その先にエルミタージュも遠望できる。
(左)絵画の間 (中左)アレクサンドル1世の肖像画 (中右)緑の食堂 (右)給仕の間 見事な寄木床
⇔ 戦時中ドイツナチスにより荒れ放題の宮殿
(左)宮殿を出てエカテリーナ庭園側に出る (中)宮殿正面のフランス式庭園 (右)庭園奥のエルミタージュの一部
雲行きが怪しくなってきた。小雨がパラつき出し、依然として時折雷鳴も聞こえる。バスの駐車場に向かう途中で大粒の雨になった。一時避難で全員土産物屋に入っての雨宿り。しかし、路上には合羽や雨傘をさして大勢の人が入場待ちしている。何と辛抱強い人達よ!と感心して見ているが、雨は更にバケツをひっくり返した状態に。これが30分近く続くと、さすがに列も縮小したが、それでも頑張る人がいるのには驚いた。
⇔ 雨宿りのお土産屋で買ったキイホルダー
昼食は、公園近くのお店で「ポルシチ」と「ピロシキ」それにご飯ものを食す。ピロシキは、大阪ミナミのグリコの看板で有名な戎橋南詰にロシア料理屋があり、ここのピロシキが美味くてよく買って帰ったが、日本では揚げパンのピロシキも本場では焼きパンだ。
(左・右)公園近くのレストランでランチ 店の名前は「ロシア紅茶?」 右写真がお店の入口です
(左)ビーツのスープ「ポルシチ」と焼きパンの「ピロシキ」 (右)メインのようです 名前不詳
雨も上がり、午後はあの噴水芸術で有名なペテルゴフヘ、いざ出発。
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