散歩者goo 

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昨日記121015月 (25/15 晴 情報についての雑感)

2012年10月16日 21時22分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、ジムやプールも休みなのでほぼ終日家に居た。
外出は、夕方にいったファストフードだけである。
日中は、なんとなくFBを開き、いろんな人のコメントやリンク先を見ていた。

今FBは、90弱の友達がいるが友達のコメントを読み、リンク先をたどると、終日読んでいることが出来る。
ツイッターにいたっては、1200人程フォローしているので、丁寧に読んでいると、いくら時間があっても足りない。
TVですら、録画しておけば、面白い番組がいくらでもある。

このように考えてみると、現代はよく言われる、情報の洪水の中にある。
しかも、このような情報の洪水に関係の無い人も多い。
例えば、多くの研究者の話を聞くと、いつも本を読んだり執筆したりしてよくTVを見たり、ネットを熱心にしている人は少ないようだ。

私は、携帯電話はほとんど使わなくて、スーパーの買い物のときにメモ機能を使う程度である。
ところが、自転車に乗る人や歩行者を見ても、電車の中でも、携帯やスマートフォンを操作している人は多い。
どちらかというと、若者や女性のほうが多いが、老若男女かかわり無く広く四六時中携帯を使っている。
考えれば、FBやTWやゲーム、出会い系サイト、友人とのメールのやり取り等、用途は無数にあるようだ。
しかしそのようなものが、必需品かというと、全く使わなくても生活している知識人も結構いるところを見ると、ある意味IT依存かも知れないと思うこともある。

しかし、このブログを書いている行為そのものもIT関連である。
ブログも、かなりの人が、携帯でやっているに違いないし、私も以前に少しだけ携帯を使って、ブログに送信したことがある。
広域、多数との双方向のコミュニケーションは、ITなしには考えられない。
そして、ITを使った人は、新しいコミュニケーションの世界に入ったといえる。
この変化は不可逆的である。
PCからスマートフォンの住み分けも、ハードの進化でより便利に変化するだろう。
そうした中で、われわれは、情報の洪水に流されないようにしないと、自分を見失いITに振り回されることになろう。
情報は、自分で必要な目的のみに限り能動的に自分で取捨選択しながら情報を探すようにし、無駄に情報関連で自分の貴重な時間を浪費すべき出ないだろうと思っている。



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嘘について

2012年10月16日 13時47分51秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
いまiPS細胞に絡んだ虚言?騒動が話題になっているが、実績と同時に、一部経歴すらも嘘であるところが分かってきている。

残念ながら、私の古い友達にもその可能性のある人がいたようだ。
一人は、二十数年前の1-2年間親しい友達であった人であり、当時私に対しては誠実であり、彼の母国の実家にも世話になったが、今は遠く離れているので実態が分からない。
FBに書かれた内容では、自称の彼の肩書きとFBで各国を移動している動きのレポートがミスマッチとか、海外から私に電話してくるのに、電話番号を教えろと言ったり、(声は本人の声)、彼の若いときの傾向から推察しても行動に不審な点が多くあり注意を払っている。
仕事として情報収集している可能性も考えられる。(日本に来た可能性もあり、リクエストであったか忘れたが、FBに貼られたリンクを開いたときに掲載されていた温泉旅館の写真が彼とよく似ていて驚いた。)

FBのお友達でなくても、会社で数年同僚だった人でも詐欺師のような人(知人は詐欺師と断定していた)がいたことも体験している。
甘い話、金に絡む話、すごすぎる話、似非科学や不安を煽る話、悩み相談等も要注意だ。
ネット上には1割以上、悪意の人がいると私は思っている。

SNSやさまざまな交流会を通じて、見知らぬ人と接することが多くなったが、人がどれだけ信用できるかということは、出会いの形が、ITがあろうが対面であろうが関係ないように思う。
ただITの場合は、ボディランゲージや声の調子が分からないので、その分だまされやすいかもしれない。

人を信頼できるかどうか見分ける能力は、結局各個人の持つ嗅覚的直感に頼るしかないのだろう。
すなわち、人はそれぞれの経験と知識に応じて、学習し人を見分ける能力を身に着ける。
多くの人と(商談や交渉で)接するほど、だまされたりする機会が多くなり、人を見分ける能力が付くかもしれない。
その意味では、若い人や会社勤めの経験の無い専業主婦や、判断力の衰えた老人は、知識や人生経験が少ないか判断力が低いため、悪意の人に対して言葉巧みにだまされやすく、悪徳商法の被害者も若者や主婦やお年寄りに多い。
その見分ける能力に必要なポイントは、話の内容が合理的か、内容や事柄が事実と違うところが無いか、本人のボディーランゲージ(目つき、表情、しぐさ、)声の調子や話し方等ではないかと思っている。

それ以外私の場合は、信頼性をチェックする時は、一般的によく行われる話の内容の細部の一貫性に注目する。
でっち上げの話をするときは、大きな話の筋は大体考えているので一貫性があるが、細部までは設定できないので、悪意の人の話はあいまいになる。(本当のことを話す場合は、細部まで一貫して詳細に話せる。)
更に日がたってもう一度その話に関して問い直すと、細部の設定が違っていたりするので、嘘を見破ることが出来る。
実際に、iPS騒動でも、以前の発言と新しい発言との細部を比較して記者が発言の食い違いを追及している。

人に嘘を付く行為は、経済的利益や社会的地位の向上や、自己満足や欲望の充足を目的としている悪意の場合が多いが、それ以外にスパイやおとり捜査のように調査のためにする場合もあるし、事を有利に運ぶための戦略的な「嘘も方便」の場合もあるだろう。
このようなものとは別に注意が必要なのは、精神的病気の場合もあるかも知れない。
しかし嘘は発見できても、嘘の背景に関しては、見分けられない。
従って、うそに関しては目的が何であれ、また病気が原因であろうとも、その人の信頼性=信用をなくし周囲の人に迷惑を掛けることになる。

前にも言ったように、信頼性を見分けること、その人話が信用できるかどうかは、嘘に気づくことである。
そのためにはその人の話の出来るだけ多くの情報を引き出し、全体の内容と細部に注意して批判的に聞いて判断することだ。
嘘の話の場合情報の量が多いほど、ボロ(矛盾)が出やすい。
一つ嘘をつく人は、他にも嘘をついている可能性がある。
(嘘と間違いや勘違いは違う。嘘はわざと架空の話や、間違った話をすることだ。)



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10月15日(月)のつぶやき

2012年10月16日 02時03分23秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter

昨日記121014日 (22/17曇 岡田よしたか展) goo.gl/uf4Ts


いかなる場合も平和外交を基本に問題解決に当たり、侵略行為をしないことは当然だが、想定外のいかなる事態へも対応する能力をしっかりと持つことも(自衛権として)必要だ。 : 離島奪還訓練、沖縄でも 日米が11月演習、中国を牽制 t.asahi.com/8ed0


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