昨日は予定も無く、スーパーに食材を購入に行った以外は、終日家にこもっていた。
午後近くのスーパーへ自転車で食材の買出しに出かけて家に戻る途中の十字路で北から東に曲がろうとするとき、やはり自転車で角を曲がって南へ行こうする中学時代の同級生に似た男と出会った。
よく見るとやはり、中学時代の同級生のF氏であった。
彼の家は、我が家から直線距離で約100m足らずの距離で、実際に路地を歩くと、少し遠回りになるが5分以内でいける距離だ。
彼とは小学校でも同じクラスになったことがあり、中学3年生のときも同じクラスだった。
彼も多分今まで結婚した話は聞いていないので、私と同じ独身である。
近くに風呂屋があったときは、たまに出会ったときには、話し込んで長湯したことがあったが、わざわざ呼び出して、呑みに行ったりするほどの友達付き合いでは無かった。
そんなわけで、折に触れ出会ったときは、お互いの消息や会社の話や同窓生の話をしたり、彼がどんな暮らしをしているか分かっていた。
その風呂屋も今は無くなったので、彼と出会うことも無くなった。
10年前ぐらいであろうか、中学時代の同級生H氏が突然私の家を訪ねてきたことがあった。
彼も小中学校とも同窓生で、高校卒業後は大手電鉄会社で出世して定年退職し、悠々自適の生活を送っていて、歩くことが趣味で一日中歩いても苦にならないという男だ。
H氏が私の家を訪問したのは、同窓会の知らせを私に伝えるのと、F氏の状況を見に行くためと言っていた。
彼はF氏の酒に問題があるというようなことを言っていて、たまにF氏宅に様子を見に行っていたようだ。
そんな話を聞いて、多少F氏のことを気にかけていた頃に、偶然近所のスーパーでF氏と出会ったが、彼は酒の臭いがプンプンさせていた。
そのとき彼に強く誘われて、近くの飲み屋で一杯軽く呑んだ。
その後5年ぐらい前に中学の同窓会に行ったときは、別の同級生からF氏がアル中状態に近いというような話を聞いた。
彼は、私と同じ一人暮らしなので、生活が乱れたり、体の調子が悪くなると、どのようになるか想像がつく。
ただ、近くに兄弟姉妹の親族がいれば、多少救われるだろうが。
そのような話を聞いていて、彼のことは気にはなっていたが、さりとて、私に彼の事を気にかけ、多少なりとも積極的に接触して、見守るような余裕は全く無い。
昨日偶然F氏と出会ったのは、5-10年ぶりになる。
同窓会でのうわさから時もたっているので、もしアル中であれば事態は悪化し、彼は病気で亡くなったかもしれないと思っていたので、彼と再会し元気な姿を見ることが出来てよかったと思った。
彼は以前見たときより、かなり健康そうな顔をしていた。
「酒どないしてんねん」
「酒 もうやめた。俺なあ、つい最近まで入院しててん」
「エー!何でや、そらあかんがな!」
「胆管結石取ってん」
「ほんで、治ったん?」
「うん、治ったけど、たまに通院してんねん」
「前のとこに、住んでんのんか?」
「つい最近引越ししてん」
「えー!ほんまかいな?どこへ?」
と中学生時代と同様の会話が10分から15分ほど続いた。
それで、連絡先を聞くと彼は、「まあええやん」と渋る。
大体の彼の家の場所は、話を聞いてわかったが、住所も電話番号もわからない状態で彼と別れると、以後会える機会はもう死ぬまでないだろうと思った。
そこで、同窓会の連絡のためにもとしつこく粘って、やっと彼と携帯の電話番号を交換することができた。
別に連絡先を聞いたからとて、私が彼の家に遊びに行くわけでもないが、少なくとも同窓会の幹事に電話番号を連絡しておけば、彼が同窓会に出る機会は多くなるし消息も分かる。
同窓会に行くと連絡先不明とか死亡が少しずつ増えていることに気付かされる。
前回元気に話し込んだ人が、次の同窓会には亡くなられている現実に度々遭遇する。
しかも先日、中学校の同窓会に参加したばかりで、幸い物故者の報告は無かったが、行方不明はいた。
そうしたこともあって、一期一会の言葉通り、いくら元気であってもいつ人は死ぬかもしれないし、明日は今と同じではないし、明日はわが身とは言い切れないことは事実である。
そのため、今を精一杯楽しく充実して生きるためにも、人の縁や人脈や友情はできる限り大切にしたいと思うようになってきた。
かといって、私は過去を振り返り昔はよかったと、いつも繰言を言いながら余生を送るつもりはない。
今の年金生活で、静かに同窓生達とお茶を飲み語り合う程度の日々是好日的生活なら全く問題ないが、新しい展開をするには経済的に、現状では無理があるだろう。
基本的には、今を楽しみ本を読み考えブログを書き、機会があれば働き、又は夢かもしれないが何か起業できればと思っている。(起業は誰でも簡単に出来るが、ニーズを捉えて売り上げや利益を上げ、存続発展させることは非常に難しい。)
これからも、出来る範囲で大いに工夫し、今を走り続けるつもりだ。
午後近くのスーパーへ自転車で食材の買出しに出かけて家に戻る途中の十字路で北から東に曲がろうとするとき、やはり自転車で角を曲がって南へ行こうする中学時代の同級生に似た男と出会った。
よく見るとやはり、中学時代の同級生のF氏であった。
彼の家は、我が家から直線距離で約100m足らずの距離で、実際に路地を歩くと、少し遠回りになるが5分以内でいける距離だ。
彼とは小学校でも同じクラスになったことがあり、中学3年生のときも同じクラスだった。
彼も多分今まで結婚した話は聞いていないので、私と同じ独身である。
近くに風呂屋があったときは、たまに出会ったときには、話し込んで長湯したことがあったが、わざわざ呼び出して、呑みに行ったりするほどの友達付き合いでは無かった。
そんなわけで、折に触れ出会ったときは、お互いの消息や会社の話や同窓生の話をしたり、彼がどんな暮らしをしているか分かっていた。
その風呂屋も今は無くなったので、彼と出会うことも無くなった。
10年前ぐらいであろうか、中学時代の同級生H氏が突然私の家を訪ねてきたことがあった。
彼も小中学校とも同窓生で、高校卒業後は大手電鉄会社で出世して定年退職し、悠々自適の生活を送っていて、歩くことが趣味で一日中歩いても苦にならないという男だ。
H氏が私の家を訪問したのは、同窓会の知らせを私に伝えるのと、F氏の状況を見に行くためと言っていた。
彼はF氏の酒に問題があるというようなことを言っていて、たまにF氏宅に様子を見に行っていたようだ。
そんな話を聞いて、多少F氏のことを気にかけていた頃に、偶然近所のスーパーでF氏と出会ったが、彼は酒の臭いがプンプンさせていた。
そのとき彼に強く誘われて、近くの飲み屋で一杯軽く呑んだ。
その後5年ぐらい前に中学の同窓会に行ったときは、別の同級生からF氏がアル中状態に近いというような話を聞いた。
彼は、私と同じ一人暮らしなので、生活が乱れたり、体の調子が悪くなると、どのようになるか想像がつく。
ただ、近くに兄弟姉妹の親族がいれば、多少救われるだろうが。
そのような話を聞いていて、彼のことは気にはなっていたが、さりとて、私に彼の事を気にかけ、多少なりとも積極的に接触して、見守るような余裕は全く無い。
昨日偶然F氏と出会ったのは、5-10年ぶりになる。
同窓会でのうわさから時もたっているので、もしアル中であれば事態は悪化し、彼は病気で亡くなったかもしれないと思っていたので、彼と再会し元気な姿を見ることが出来てよかったと思った。
彼は以前見たときより、かなり健康そうな顔をしていた。
「酒どないしてんねん」
「酒 もうやめた。俺なあ、つい最近まで入院しててん」
「エー!何でや、そらあかんがな!」
「胆管結石取ってん」
「ほんで、治ったん?」
「うん、治ったけど、たまに通院してんねん」
「前のとこに、住んでんのんか?」
「つい最近引越ししてん」
「えー!ほんまかいな?どこへ?」
と中学生時代と同様の会話が10分から15分ほど続いた。
それで、連絡先を聞くと彼は、「まあええやん」と渋る。
大体の彼の家の場所は、話を聞いてわかったが、住所も電話番号もわからない状態で彼と別れると、以後会える機会はもう死ぬまでないだろうと思った。
そこで、同窓会の連絡のためにもとしつこく粘って、やっと彼と携帯の電話番号を交換することができた。
別に連絡先を聞いたからとて、私が彼の家に遊びに行くわけでもないが、少なくとも同窓会の幹事に電話番号を連絡しておけば、彼が同窓会に出る機会は多くなるし消息も分かる。
同窓会に行くと連絡先不明とか死亡が少しずつ増えていることに気付かされる。
前回元気に話し込んだ人が、次の同窓会には亡くなられている現実に度々遭遇する。
しかも先日、中学校の同窓会に参加したばかりで、幸い物故者の報告は無かったが、行方不明はいた。
そうしたこともあって、一期一会の言葉通り、いくら元気であってもいつ人は死ぬかもしれないし、明日は今と同じではないし、明日はわが身とは言い切れないことは事実である。
そのため、今を精一杯楽しく充実して生きるためにも、人の縁や人脈や友情はできる限り大切にしたいと思うようになってきた。
かといって、私は過去を振り返り昔はよかったと、いつも繰言を言いながら余生を送るつもりはない。
今の年金生活で、静かに同窓生達とお茶を飲み語り合う程度の日々是好日的生活なら全く問題ないが、新しい展開をするには経済的に、現状では無理があるだろう。
基本的には、今を楽しみ本を読み考えブログを書き、機会があれば働き、又は夢かもしれないが何か起業できればと思っている。(起業は誰でも簡単に出来るが、ニーズを捉えて売り上げや利益を上げ、存続発展させることは非常に難しい。)
これからも、出来る範囲で大いに工夫し、今を走り続けるつもりだ。