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7月12日は、午後から食材の買い出しに出かけた。
その後、西天満のギャラリーを回る。
休廊や展覧会が2週目のギャラリーもあり、ちょっと物足らなかった。
今後多少距離が長くなり、体力が必要になるが、靭公園のギャラリーまで足を延ばすことも検討したい。
ギャラリー白では、作家の福田新之助さんから、作品に関連した話をお伺いすることが出来て面白かった。
福田氏の作品は以前から何度か見ていて、ドローイングの作品の時もお話を伺ったが、今回のものを含め一貫してルオーの作品と共通する宗教的な深い精神性を感じていた。
この日お話を伺って、その背景となるものが「存在と契約」というタイトルにあるように、人生に貫かれた精神的・宗教的コンセプトに裏打ちされたものであることが確認できたことは、収穫だった。
ギャラリーHOTの門田修充展は会期が19日までのため、作家は不在だった。
彼の作品は、今は無くなってしまった番画廊で見た。
その時は作家も居られて、作品について話をお伺いした。
その時とよく似た、ゾウリムシ状の巨大な金属製の造形物が生木のフレームに支えられて中空に浮かんでいた。
体の表面に出ている、多くのロープを引っ張ると、ゴトゴトと音がする。
なんとなくユーモラスな作品であるが、強いメッセージも含まれていることを前回聞いた。
この日の画廊の担当者が、A氏だったので、FBで再三報告されていた韓国でのA氏の展覧会の模様を聞いた。
会場は日本人が経営する喫茶店ということで、今も展覧会は継続中で、興味深かった。
反響は、まずまずという。
帰りは、いつものように天満橋のカフェで、本を読んだ。
今、芭蕉関係の本を読んでいて、先日NHK Eテレの「100分de名著」の「おくの細道」全4回の再放送を録画したばかりである。
まだ読んでいないがNHKカルチャーラジオの1212年4月から3か月放送された、「芭蕉はいつから芭蕉になったか」のテキストを持っているので、今の本を読了次第、このテキストを読む予定である。
ただ、今読んでいる本だけでも新鮮な驚きがあった。
「古池や 蛙飛び込む みずのおと」
が、芭蕉の俳句の始りという。
その、意味は構造的にも非常に深い。(切れ字の持つ意味と写実の関係)
そして、この句の成立過程を示す実証的資料も存在する。(支考「葛の松原」)
外国人研究者が議論していたような、複数の蛙が飛び込むようなことはあり得ない。
それと関連して、連句や歌仙のことも知った。
徘徊から俳句の成立とか
「芭蕉はいつから芭蕉になったか」については、何回か朝に講座を聞きかじっていて、更にテキストを軽く拾い読みしたので、俳諧から俳句への流れもなんとなくキーワードは覚えていて、俳句の成立と芭蕉の句に非常に興味がある。
古池に始まる、蕉風開眼の意味を知れば、俳句の見え方が全く違うものになる。
「かるみ」の意味も含め、芭蕉と「わびさび」の世界観も、一般に言われるステレオタイプ的に単純なものか疑問に思えてくる。
ここでは「かるみ」が重要な意味を持つ可能性がある。
西行の詫びと、同じなのだろうか。
「かるみ」が加わると、そこに野太いものが見えてくる。
関西の風土も関係するのだろうか。
日本の精神構造の一つの柱である「わびさび」の原点や成立にもは強い関心を持っている。
少なくとも、古墳時代や飛鳥時代には、多分「わびさび」の概念はなかったと考えている。
今後もボチボチと調べていきたい。