森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日本認知運動療法研究会ベーシックコース in Kochi

2007年06月10日 09時37分54秒 | 過去ログ

 

 

日本認知運動療法研究会認定 認知運動療法ベーシックコース(高知)

日程 2007年8月24日(金)~26日(日)
会場

高知医療学院

真夏の高知、真夏の太平洋、そして龍馬も眺めた地平線を高知医療学院で体感してみませんか? 台風直撃が心配ですが・・・ 

今年は「よさこい祭り」から、ずっと休む・・かも・・、たぶん一度は、おそらくJOBで高知を離れると思うが・・・    時にはこころの洗浄も必要だと思う。そういうギャップがないと創造性が断たれる。

大学に着任して、夏休みをちゃんととったことがないのでとろうと思う。

踊り子応募宮田塾、よろしくお願いします。


 


Trailblaze研究会

2007年06月10日 07時10分58秒 | 過去ログ

 

Trailblaze研究会

テーマ:脳科学をリハビリテーションにどのように応用するか

講 師:畿央大学 森岡  周

日 時:14:30~16:00
     16:15~17:45
     18:00~19:00 三部構成

場 所:福岡和白リハビリテーション学院

 

すでに定員(150 or 200名)に達しているようです。


 


記憶に残る旅とそうでない旅

2007年06月10日 07時02分18秒 | 過去ログ

カナダから帰国しました。写真はAIR CANADAの機材ですが、これは関空の写真です。行きはプライベートTVで、なんと音楽アルバムも選択できた。Janisのアルバムなどもあった。Great!

いつもの前の広い席へ。

しかし、帰りは機材が異なり、オーストラリア便以来の大型TVで映画を流すというもの。人間は贅沢になるものだが、逆に映画を連発で流されると観るのかも。選ぶという自由意志がより多くなると、人間の行動は逆に少なくなるかもしれない。

おそらく、大型TVで流したほうが、より多くの映画を観て、個人TV(座席前の)の場合が本数が少ないんじゃないのかな。

多様性の多さも考え物だ。今の現代も多様性の時代である。下流社会やニート問題も根本的には「なんとかなる」という悪い意味での多様性をもたらせてきた。一人でも生きていけるという。この問題が根本にあり、将来的にもっと違ったこころ(脳)の問題が発生する予感がする。

自分はというと、帰りの10時間のフライトのほとんどを新著の校正にそそいだ。

さてさて、バンクーバーは世界一住みやすい町という噂だった。ワーキングホリデイなどが多く、アジア人が相当に多い。オーストラリアに似た感じがする。バンクーバーはブリティッシュコロンビア州というように、UK色が濃い。オーストラリアもUK占領だし、そのあたりはよく似ている。地元食もなく、つまりUK・・・(イギリス人の舌がよく疑われるが)、fish and chips程度かな。結局は「中華」「イタリアン」「和」をはしごした。あとは、大衆なレストランで「かたそうな」肉を頬張るしかなさそうだったので。

ウオータフロントあたりはきれいで、そのParkはきれいだった。2時間ほど歩いて、いい運動になったが、記憶に残るといえば、全面ガラス張りの建物の多さかな。それも時とともに消えていくだろう。

外国が頻繁になると、情動経験が付与されないと、長期記憶への固定化は難しいらしい。誰といったかの記憶しかのこらない。ひとの記憶は比較的強固だ。それだけ、人間の脳はコミュニケーションに使われているということ。高校生や大学生の自我が存在するものが関係性で悩むのは、それだけ、そのコミュニケーションに脳がとられているからだ。そうすると、感情が喚起される。いろんな衝突もあろうと思うが、それは脳を使っている証拠、だんだん、組織化されていくよ。それが大人への第一歩だが、感動する脳も失われるので要注意!

記憶は結局は認知的には使われないと意味が無い。お金と同じ(HDでなくてRAM)なのだが、何か、ストーリー性が付与されると、比較的のこるのかな。

県立広島大のKo氏のバンクーバー事件(腹がよじれるぐらいの面白さ)は、何回もこれから話題に上ると思うので、それは使われ続け、脳の連合野に格納されていくのだろう。

 

また、旅行前には「準備」をし、「予測」を作ることも大事かな。習慣化されるとそれもない。

 

いずれにしても、僕の海馬は、この感覚・知覚・経験をどうよりわけしたのだろう。連合野への情報伝達は、何箇所かしかないんだろうな。

 

自分にとってはどうか?という視点でしか、記憶は残らないからな。そのとき、情動が喚起すれば、「楽しい」経験として残る。けど、人間は「不愉快」あるいは「恐怖」体験の記憶が残ってしまうんだ。ヘイスティングで何も起こらなかったので、記憶には残らないと思うが、何かあれば、それはトラウマ的記憶となるんだろう。この記憶化は生きていくために爬虫類のころから持っていたものだから、相当にしつこい。恐怖体験はその後、その危険を回避するために、どうしても残り続ける。あとは、脳の奥底に潜在化するしかない。顕在化し続けたら、違う対象に対して注意が向けられない。そういうカウンセリングが必要だと思う。

こんなときも、現代「脳科学」の根拠ある知識が必要だ。旧来の「心理」だけでは、そのこころの闇に接近できないかもしれない。行動・運動・言動前に脳なんだ。それは環境、感覚、知覚、想像、妄想などなど、内的世界なんだ。そのクライアントの脳をいかにスケルトン化するかが、セラピーを促進させるのかもしれない。

 

11年前、留学のとき、イギリス・ヒースロー空港に降り立って、ホテルを探さないといけないという、なんとなくの怖さ(生きていくための)が付与された、その空間と時間は今でも鮮明によみがえらせることができるし、そのとき、しゃべった英語が通じたことも「うれしい」体験で記憶に残っている。

大人になると記憶が減退することは、概念化・習慣化問題であり、いつも、子供のようにはしゃぎ、感じ取れば、それは防げるのかもしれない。

前頭葉の内側部と外側部の機能はある程度分化されている。NintendoDSなどで、認知作業(連合野同士のネットワーク形成)をするのも良い?が、内側部と扁桃体・海馬との双方向のネットワーク作りも、心豊かに生きていくためには重要だ。

 

ま、久し振りに英語圏で英語(最近は英語圏以外で、その母国語、あるいは英語を使ったので発音に苦労することはあまりなかった)を使ったので、発音の難しさを痛感した。痛み感じる、この体験があることは、目標ができるし、自分がいま何をすべきかを覚醒させてくれる。

 

笑い話が、帰りの飛行機の中で、座席で操作するリモコンをキャビンアテンダントに対して「これ、のきますか?」という質問をし、「意味がよくわかりません」といわれ、方言なんだと気づいたことかな、耳のなかでは大音量のロックがなっていたので、感覚的・空間的注意がそっちにとられ、しばらく、いい直せなかった。反応が遅れながら、「これ、はずれますか?」と問いなおせた。そうすると、通じた。

言語とは面白いものだ。

 

さて、open campusで体験授業を今日はしないといけない。