今日はぶらぶらと大学の冬木記念ホールへ。
ぶらぶらとは失礼かもしれないが、ぶらぶらだからしょうがない。
11時過ぎにホールに入り、自分が呼ばれるのを待つ。
呼ばれ、壇上へ。
尾崎会長より総評。
総評を聞いていると、自分の学術業績が紹介された。
まあ、業績は過去のものなので、どうのこうのはないが、自分の歴史みたいなもので、愛おしいことは愛おしい。
原著、総説含め、奈良に来て3年で50数本はまずまずかな。
PTになって16年だが、それで学術論文は140本程度なので、割合からすると、奈良での仕事がはかどっているのも事実のようだ。著書もいくつかあるし。
いずれにしても、奈良県理学療法士会の役員の皆様にお礼申し上げます。
全国などで賞もいただいたが、そこでは純粋に研究内容で勝負で、顔が見えない。
奈良だと顔が見える。その分、感情も沸き立ち、主観も少なからずとも入ると思う。
そうすれば、全国規模の賞に意味あるというが、逆に「主観」が付きまとうなかで、賞をいただけるということは、人(わたくし)をも見てくれているので、それは人間としてヒュマニティックにうれしいものである。
これからも「子供」のように、知りたい欲求まっしぐらに進んでいこうと思う。
まだまだ「伝授」する年でもない。
この業界の階層性は見事に崩れているので、若年寄が多い。
若者向けの学会志向性がどうも気になる。
中堅クラスが、自らの欲求のもと、学会を企画すればよいと心底思うのに。
それが時代の進化だと思う。
新人のために!といい続けていませんか?
背中を見せて育てましょう。
確かに管理職や家庭を持ったりすると、時間的制約は致し方ない。
ただ、僕自身が感じていることは、それは別腹なのだ。
100%のなかに、勉強や研究を無理やり位置づけてしまうと、やはりそれは意識の外に追いやられてしまうかのしれない。
思考のなかでは、研究も臨床も教育も同じであるには違いないが、実践では、それは別腹にしておくほうがよい。
そうすれば、それぞれの幹が出来るだけ100%へ向かって伸びていく。
その幹(趣味や家庭も含めて)が数本あって、最終的には感覚のように統合され、「森」となればよい。
それが定年あるいは天寿を全うするときであれば、人生薔薇色(La vie en Rose)じゃないでしょうか。
100%のなかに無理につめてしまうと、風船のように割れてしまうかもしれない。
人生とはそういうものかもしれない。
写真は今日いただいた記念品。
照明の関係で中の天使がまったく見えないのが残念・・・明日、チャレンジしてみよう。
明日は和歌山です。
今、何人かの近畿学会の抄録を修正改変し終わった。