森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

別腹

2007年06月24日 23時45分12秒 | 過去ログ


今日はぶらぶらと大学の冬木記念ホールへ。
ぶらぶらとは失礼かもしれないが、ぶらぶらだからしょうがない。

11時過ぎにホールに入り、自分が呼ばれるのを待つ。
呼ばれ、壇上へ。

尾崎会長より総評。

総評を聞いていると、自分の学術業績が紹介された。
まあ、業績は過去のものなので、どうのこうのはないが、自分の歴史みたいなもので、愛おしいことは愛おしい。

原著、総説含め、奈良に来て3年で50数本はまずまずかな。
PTになって16年だが、それで学術論文は140本程度なので、割合からすると、奈良での仕事がはかどっているのも事実のようだ。著書もいくつかあるし。

いずれにしても、奈良県理学療法士会の役員の皆様にお礼申し上げます。
全国などで賞もいただいたが、そこでは純粋に研究内容で勝負で、顔が見えない。
奈良だと顔が見える。その分、感情も沸き立ち、主観も少なからずとも入ると思う。
そうすれば、全国規模の賞に意味あるというが、逆に「主観」が付きまとうなかで、賞をいただけるということは、人(わたくし)をも見てくれているので、それは人間としてヒュマニティックにうれしいものである。


これからも「子供」のように、知りたい欲求まっしぐらに進んでいこうと思う。
まだまだ「伝授」する年でもない。
この業界の階層性は見事に崩れているので、若年寄が多い。
若者向けの学会志向性がどうも気になる。
中堅クラスが、自らの欲求のもと、学会を企画すればよいと心底思うのに。
それが時代の進化だと思う。

新人のために!といい続けていませんか?

背中を見せて育てましょう。

確かに管理職や家庭を持ったりすると、時間的制約は致し方ない。
ただ、僕自身が感じていることは、それは別腹なのだ。

100%のなかに、勉強や研究を無理やり位置づけてしまうと、やはりそれは意識の外に追いやられてしまうかのしれない。

思考のなかでは、研究も臨床も教育も同じであるには違いないが、実践では、それは別腹にしておくほうがよい。

そうすれば、それぞれの幹が出来るだけ100%へ向かって伸びていく。

その幹(趣味や家庭も含めて)が数本あって、最終的には感覚のように統合され、「森」となればよい。
それが定年あるいは天寿を全うするときであれば、人生薔薇色(La vie en Rose)じゃないでしょうか。

100%のなかに無理につめてしまうと、風船のように割れてしまうかもしれない。

人生とはそういうものかもしれない。


写真は今日いただいた記念品。

照明の関係で中の天使がまったく見えないのが残念・・・明日、チャレンジしてみよう。


明日は和歌山です。

今、何人かの近畿学会の抄録を修正改変し終わった。






感覚に国境はない

2007年06月24日 11時03分15秒 | 過去ログ
よく、音楽に国境はない、とか、芸術に国境はないとか、言うが、それは「五感」に国境がないということになる。

つまり、「身体」に国境はない、ともいえる。

論理的な言語には国境は少なからずともあるが、感覚的な表現(言語も含む)にはないのかもしれない。

昨日、「美の巨人たち」のシャガールの絵をみて、Les Frèresの演奏を聴いて、そして、マグリットの美術本を読みながら、そう考えた。

さて、今、大学に来ました。

今から奈良県理学療法士学会に出席します。

奈良県理学療法士会学術奨励賞(会長賞)の授与のために!
奈良県理学療法士会初の賞らしいです。

ありがたいことです。

つながりを大事にしたいものですね。