今日は岡山に行くのを取りやめて、大学でいくつかの書類を整理する。
来週頭には近畿理学療法学術大会の締切だが、院生や共同研究者の抄録を見て、作成しないといけないが、どうも乗らないというか、おそらく予測ができているのだろう。
休肝日を設けないといけないが、どうやら今週は水曜のみになりそうだ。
昨日は「宴会」→おじさん、「飲み会」→若い成人、という話題になった。
「宴会」にしろ、「飲み会」にしろ、「人間」が織り成すもの。
「ひと」とコミュニケーションする、という習慣は古代人までさかのぼる。 「祭りごと」とは、人間のなす、脳の機能であり、ワザである。
先日、出版された「脳のリハビリテーション:整形外科編」のあとがきの最後にSacksの言葉が引用されている。
「人形を診る医学」の冷たさは無知をうみ、「人間を診る医学」のあたたかさこそ洞察を可能にする、と。
「形(フォーム)」ばかりにこだわり、本質が見えていない「理学療法士Physical Therapist」におくりたい。せめて、Physiotherapistであってほしい。
患者を患者さん、そして患者様と呼ぶように、形だけ変えて、心はもとのままの医療者にもこの言葉をおくりたい。
outputだけ変えても、本質は変わっていない・・・ 「理学」や「作業」という言葉がどうもひっかかる。
子どもの発達をみていたら、理学療法士の古典的な介入手法に問題があるのではないかと気づく場合が多々あるはずなのに。