日曜は奈良県言語聴覚士会の特別講演で話す。
運動と言語というテーマで、主に、脳の進化と言語の獲得、言語に関わる脳の局在と神経ネットワーク、運動制御に影響する内言語、ミラーニューロンシステムと他者コミュニケーション、他者コミュニケーションにおけるワーキングメモリ機能の中身で話す。
とりたてて、神経ネットワークと運動制御に関わる言語を最近の知見を交えて話した。39野、40野、22野、44野、45野、それぞれが別々に機能しても何の意味はない、そして、その前の情報処理過程、例えば、7野や5野がないとはじまらない。
一方で、身体とのかかわりにおける言語とは名詞のみを指して折らず、動詞、形容詞など、あるいは比喩など、が相互作用する。
その発生は、失語と失行の関連性の根拠の仮説となる。その実証作業が必要だ。
いずれにしても、神経科学は、新たな展開へと進みつつある。言語の領域も旧来の統語論だけの縛りに生きててもしょうがない。
それは、運動に関わる理学療法士にも言える。からだ、ことば、こころ、を別離に考えてもしょうがない。
その切り離しが科学性をときにうしなわさせる。
あらたな、チームとは、その考え方を受け入れる余裕があるかだ。頭がかたいとそれはできないかもしれない。
夜遅くまで懇親し、仮眠をとり、新著の校正を朝4時より行う。
さて、昨日から高校訪問で高知に来ている。 今日は19年前の恩師に遭遇した。
そして、相変わらず、母校の「追手前」の存在感は変わらず。
変わらない、それにも意味がある。 変わるだけだと、ニューロンのネットワークが混乱する。 変化しないという存在感も重要だと思う。
よきもあしきも変わらず。
しかし、めまぐるしさが記憶をうしなわさせる。
バンクーバーの記憶はもうない。