本日は朝から会議、実習終了後、その単位の認定会議兼学生の症例発表だ。
いろいろあろうが、真摯に受け止め、未来を生きてもらいたい。
患者さんに未来を与える、そんな仕事につこうとしているんだから。
昼からは日野原先生の講演を聞こうと思ったのだが、結局は会議が長引き、気がつけばPM3時。
日野原先生と京大時代の旧友(90歳代)に会っていただいた。
老いてなおも賢くなる脳。老いてカチカチになる脳。
日野原先生の身体は傾いていたが、その表情は豊かだった。
うちの講演を15時半に終え、そのまま京都へ移動され、さらに講演らしい。
昨年の養老先生は岐阜の講演を終え、うちへ、であった。 そのエネルギーはすごい。
忙しいということはいいことなんだ。
暇だと、余計なことを考え、心身を抑鬱させる場合がある。
暇は、本来、身体と脳にとって豊かなことなのだが、前頭葉をいらないところで賦活させるから、抑うつになる。
暇なときは、無にすること。そして、感じること。それがいい、絶対にいい。
他人のことばかり気にするから、腹が立つんだ。まあ、それが人間なんだけどね。
「コミュニケーション脳」
前頭葉はそのためにあるといっても過言でない。
15時過ぎから総合幼児教育研究会の方々と談話。
脳について紹介したが、僧侶のかたらしいので、子供の「身体性」について意見交換した(メルロポンティとヴァレラを出せば、西田幾多郎で返された)。
「芸術する脳」 それが今後の「教育」テーマになろう。
千住明さんの京都造形芸術大学の子ども芸術大学の話になった。
就学時前教育。鉄は熱きうちに打て・・・ではないが、本来の日本の文化とは何か、現代人が忘れかけているもの、それを教育に生かさないといけない。
日本人は概して語らず、しかし、その身体性は豊かだ。
実に自然と文化が調和している。この欧米にない身体観が育まれない教育となっている。
そうでないと創造性は極めて乏しい。
私でよければ、またかかわらせていただきますと、申した。
老いて賢くでなく、子供の感受性をいかに作るかだ。
それが大学生になったときのボキャブラリーになる。
それが最近の学生と関わり、極めて乏しいことが気になる。
それでも生きていける。
情報を自らが得ようとしなくても勝手に受け身に入る、
そして、それが入らなくても生きていける、という社会構造の悪い意味での多様性が現代若者をダメにしている。
今後は日本の国力をも脅かすと思う。
「教育改革」と政府は声高々にいうが、その構造のねじれは相当に根深い。ある危機的状況に陥らないともはやそのねじれはとれない。
すなわち、すべて解体することだ。
付け焼刃的改革ではもう難しいところまで来ている。
子どもたちは外に向かったメッセージでなく、すべてうちに向かっているからだ。
それでも肉体の塊として生きていけることを子供たちは学んでしまった・・・
学部の空間認知に関する研究指導を行い、さっきまで平成記念の河村先生と今後の勉強会の方向性を話し合った。
今日も何もできず・・・ 小倉リハの90枚の解答用紙を片目に見ながら、溜息がでる・・・
早く研究に向かいたい。
早く総説に向かいたい。
早く原著に向かいたい。
早く新著に向かいたい。
理学療法の総説論文が掲載されました。特に新しいことは書いていません。僕の本質は第三者には見えない。