森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

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2007年08月04日 18時08分50秒 | 過去ログ

 

偏差値はほんまに高くないが、世界的(アメリカ的)な大学がここにあるかもしれない。

COE、GP、研究力。世界的な教授陣で田舎の大学はあふれている。そして、よさこい・・・関係ないか・・・

地元民は・・というかもしれないが、中は中で何も縛られない自由があるのかもしれない。自由は創造性の源だ。官僚的な管理をしはじめたら大学研究はほころびをみせる。小さな大学の生き方がここにあるかもしれない。

カリフォルニア工科大は、その世界的な見本なのかもしれない。

 


精神力

2007年08月04日 07時02分39秒 | 過去ログ


昨日は検査に行き、そのあともっぱら採点タイム。
実に前期は7クラスもっているので、半端な採点でない。
そのうち7月試験は4クラスであるが、一つ一つが多すぎる。
リハビリの学校なら30名がベストなのかもしれない。
気になる点は、漢字力と文章表現力、そして、相手に対する思いやりか。
答案ひとつひとつに注意を払う。
きたない答案より、きれいな答案がいいに決まっている。
内容で勝負できなければ、そのあたりでカモフラージュすることだ。
レポートが手書きからワープロに変わり、カモフラージュできているから、実はその内容のレベルが停滞・低下しているのかもしれない。
先日の学会抄録も査読の段階では???のものも多かったが、刷り上れば、形になっていると人間の目はだまされる。
記憶がそうさせているのかもしれない。
一種の錯覚とバイアスだ。

最近、人間とはなぜ自分の意見(経験)を押し付けるのかということを考えている。
それが、経験だし、感情なんだが、人を攻撃する前に、自分の行動(歴史)を省みるということを自分の脳から忘却している。
実は他人を攻撃していることは、自分の弱さを攻撃しているのではないかと思う。
討論という名の下、そのようなことを考えた。
少々、自分が疲れ気味なのかもしれないが、そういう人間関係性にはあまりかかわりたくないと思い始めた。

政治的に勝負せずに、学問のみで勝負したい。
いや、勝負という言葉はおかしい。
ようは楽しみたいのである。

Life is beautiful.

人生にとって何が幸せで大切かを最近切に感じる。
そんなことが、新著にも少し現れていると感じられた読者はいますか?
もっと大きく生きたいものです。

いつも空想にひたる、本来は大学教員の仕事はそうであるに違いないが、結果至上主義が小中学校の教諭のみならず、最高学府の大学にまで侵食している。

とぼやいてもしょうがない。
それ自体が私の内に向けた志向だから、それを外に向け、ポジティブに変えていかなければならない。
いつになっても悩む、それが仕事なんだし、それが人間らしさで、その悩むことから生まれる解決力、そして、ひらめきに遭遇したときの感動は、とっても幸せなんだから。


さてさて、学生のみなさん、いつも残って、夜11時までも残って、教室で勉強していますね。
巷の教員はよく勉強しているね。
というかもしれません。

私は言いません。

その行為がきたる臨床実習のとき、凶とでるかもしれない不安がよぎるからです。
勉強はなんぼだって、やればいいのですが、その環境設定(そういう環境がないとできない)に大きな問題があるのです。

精神力。

他人のがんばりをみないと、自分ができない。
そんな悪循環に陥っていませんか。

勉強というものは他人の感覚刺激が入らずともやるものです。

感覚刺激がないと動けない、そんな機械になっちゃいますよ。
そうなれば、問題解決能力を失うのです。

最終的には自分ひとりの力で壁をこわしていかないといけません。
(本来、友達との勉強は情報を共有し、それを修正していくプロセスである。
これは同じ感覚刺激であっても、それに対する注意が異なるから情報の捉え方が違うので、それを意見交換から共有し、お互いに修正する脳間操作系のシステムである。エピソード記憶も多く付与されるが、意味記憶の量としては少ない。)


ひとりになったとき、自分に負けないそういう精神力を鍛えてください。
精神力という言葉は昔は心理学で語られ、科学でないと考えられてきましたが、脳科学が発展することで、その人間たらしめるものが、トピックスになっています。





紀伊国屋でも平積みされはじめました。

さわってみてください!というのがいいね。
この軽さを体験できれば、自分の、そして他人の脳をもっと大事にしてくれるのかな。

そういうメタファーがこめられているのだが。

実際に作るともっとわかるはず!
とも書いていただいております。

みなさん、もう作りましたか???