森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

1ランク上の「快」を求めて

2008年04月19日 08時10分48秒 | 過去ログ
風邪症状というべきか、感冒様症状というべきか、
もう1週間以上続いている。
にあわせて、学内講義がタイトに入っており、
2週目に入ったこの段階で、
疲労が出てきた。
年々、時間がたってから、それが起こる。

よくこの業界の先輩方に、
自己の経験から、助言をいただくが、
その状況がわかるような年になった。
「健康」とは「人間」にとって、
目に見えないかげがえのないもの、
数値目標というが、
からだのサインはその前から発している。
それを自然に感じ、
無理をしない世の中が、「やさしい」「ゆたかな」世の中だ。
今は時間(スピード)がもとめられ、
「できる」視点が重視され、
自分自身を「感じ」「わかる」プロセスがあまりにも短い。


水曜日は、教育学部、人間環境デザイン学科の学生たちに「感覚の発達」、
そして、赤ちゃんの感覚が研ぎ澄まされている事実を、
「発達脳科学」で語った。
選択科目なので、少しずつ、噂、評判などで、聴講者が増えている。
うれしい限りだ。

その後、大学院の講義を21時過ぎまで行う。
ネット授業だから、いわゆる対面講義形式にならざるをえず、
ディスカスできず、さらには、一方的に「しゃべり続け」は
講義を夜に行うのと同じで、からだに「こたえる」。
昨年は「緊張感」から、そのようなことは感じなかったが、
今年はそれを感じる。
このまま、ズルズルといけば、「マンネリ」となるのだろう。
「マンネリが最大の敵」

木曜は、大学院の必修授業である「美しく生きるための健康科学総合特論」
で「扁桃体」「側坐核」「腹側被蓋野」の働きを話し、
生きるため、そして研究をするための「情動」の重要性を話した。
「快」「不快」のはざまで生まれる「快」という情動。
大人の脳はそうなんだろう。
最終的に二年後に論文が認められたときの「快」感覚のために、
今は、1ランク上での仕事を求め、進んでもらいたい。
1ランク上であると、完了の時には「快」が生まれるはずだ。

その日は、星城大学より越智先生が来ており、
研究の話などをしたのちに、金子学部長と懇親する。
金子学部長は畿央大学着任前は、星城大学であった。
証明していく真摯な態度にあらためて、その態度に感動した。
「マンネリ」の打破を学部長もいわれた。
70歳まえだが、いまだに世界に論文を発信し、
自らが提唱した仮説の検証に時間を惜しんでいない。

提唱すれば、証明していく。
それが研究的態度である。
花火だけ打ち上げてもよくない。

その後、福本先生、前岡先生が来て、
午前様となった。
風邪のせいか、飲酒が進まない。
無理は厳禁と思い、あまり飲まずにいた。

昨日はいつもの岡山。
この新幹線も4年目か、と思い、
回想した。
少し気持ちの余裕を感じた。

教育学の授業では、
「普遍性」をキーワードにリハビリテーション学の教育形態の意味性を考えた。
「普遍的であるもの」「そうでないもの」、そうでないものが圧倒的に多いが、
「そうでないもの」について「ブレインストーミング」する意味について考えた。

一人で学習するもの、他人と学習するもの(批判的吟味)と区別して、
まずは勉強すべきだ。
なんでも討論しなくてもよい。
人に聞かずとも、書物をよめばすむ、普遍的(名称)なものは、
それで済ませばよい。

しかし、仮説の段階(治療など)は、
議論を重ね、その証明作業をともにすべきだ。
それが「生涯教育」となる。

そんなことを、「脳科学」もふまえて、「教育学」として語った。

あけて今日、今から、大学に戻り、
大学院生たちの中間発表を聞く。
今日はM1とM2の懇親も踏まえて合宿となる。

今日・明日しか空いておらず、みごとにそのスケジュールにおさまった・・・

もう日と踏ん張りしましょう。