風邪症状というべきか、感冒様症状というべきか、
もう1週間以上続いている。
にあわせて、学内講義がタイトに入っており、
2週目に入ったこの段階で、
疲労が出てきた。
年々、時間がたってから、それが起こる。
よくこの業界の先輩方に、
自己の経験から、助言をいただくが、
その状況がわかるような年になった。
「健康」とは「人間」にとって、
目に見えないかげがえのないもの、
数値目標というが、
からだのサインはその前から発している。
それを自然に感じ、
無理をしない世の中が、「やさしい」「ゆたかな」世の中だ。
今は時間(スピード)がもとめられ、
「できる」視点が重視され、
自分自身を「感じ」「わかる」プロセスがあまりにも短い。
水曜日は、教育学部、人間環境デザイン学科の学生たちに「感覚の発達」、
そして、赤ちゃんの感覚が研ぎ澄まされている事実を、
「発達脳科学」で語った。
選択科目なので、少しずつ、噂、評判などで、聴講者が増えている。
うれしい限りだ。
その後、大学院の講義を21時過ぎまで行う。
ネット授業だから、いわゆる対面講義形式にならざるをえず、
ディスカスできず、さらには、一方的に「しゃべり続け」は
講義を夜に行うのと同じで、からだに「こたえる」。
昨年は「緊張感」から、そのようなことは感じなかったが、
今年はそれを感じる。
このまま、ズルズルといけば、「マンネリ」となるのだろう。
「マンネリが最大の敵」
木曜は、大学院の必修授業である「美しく生きるための健康科学総合特論」
で「扁桃体」「側坐核」「腹側被蓋野」の働きを話し、
生きるため、そして研究をするための「情動」の重要性を話した。
「快」「不快」のはざまで生まれる「快」という情動。
大人の脳はそうなんだろう。
最終的に二年後に論文が認められたときの「快」感覚のために、
今は、1ランク上での仕事を求め、進んでもらいたい。
1ランク上であると、完了の時には「快」が生まれるはずだ。
その日は、星城大学より越智先生が来ており、
研究の話などをしたのちに、金子学部長と懇親する。
金子学部長は畿央大学着任前は、星城大学であった。
証明していく真摯な態度にあらためて、その態度に感動した。
「マンネリ」の打破を学部長もいわれた。
70歳まえだが、いまだに世界に論文を発信し、
自らが提唱した仮説の検証に時間を惜しんでいない。
提唱すれば、証明していく。
それが研究的態度である。
花火だけ打ち上げてもよくない。
その後、福本先生、前岡先生が来て、
午前様となった。
風邪のせいか、飲酒が進まない。
無理は厳禁と思い、あまり飲まずにいた。
昨日はいつもの岡山。
この新幹線も4年目か、と思い、
回想した。
少し気持ちの余裕を感じた。
教育学の授業では、
「普遍性」をキーワードにリハビリテーション学の教育形態の意味性を考えた。
「普遍的であるもの」「そうでないもの」、そうでないものが圧倒的に多いが、
「そうでないもの」について「ブレインストーミング」する意味について考えた。
一人で学習するもの、他人と学習するもの(批判的吟味)と区別して、
まずは勉強すべきだ。
なんでも討論しなくてもよい。
人に聞かずとも、書物をよめばすむ、普遍的(名称)なものは、
それで済ませばよい。
しかし、仮説の段階(治療など)は、
議論を重ね、その証明作業をともにすべきだ。
それが「生涯教育」となる。
そんなことを、「脳科学」もふまえて、「教育学」として語った。
あけて今日、今から、大学に戻り、
大学院生たちの中間発表を聞く。
今日はM1とM2の懇親も踏まえて合宿となる。
今日・明日しか空いておらず、みごとにそのスケジュールにおさまった・・・
もう日と踏ん張りしましょう。
もう1週間以上続いている。
にあわせて、学内講義がタイトに入っており、
2週目に入ったこの段階で、
疲労が出てきた。
年々、時間がたってから、それが起こる。
よくこの業界の先輩方に、
自己の経験から、助言をいただくが、
その状況がわかるような年になった。
「健康」とは「人間」にとって、
目に見えないかげがえのないもの、
数値目標というが、
からだのサインはその前から発している。
それを自然に感じ、
無理をしない世の中が、「やさしい」「ゆたかな」世の中だ。
今は時間(スピード)がもとめられ、
「できる」視点が重視され、
自分自身を「感じ」「わかる」プロセスがあまりにも短い。
水曜日は、教育学部、人間環境デザイン学科の学生たちに「感覚の発達」、
そして、赤ちゃんの感覚が研ぎ澄まされている事実を、
「発達脳科学」で語った。
選択科目なので、少しずつ、噂、評判などで、聴講者が増えている。
うれしい限りだ。
その後、大学院の講義を21時過ぎまで行う。
ネット授業だから、いわゆる対面講義形式にならざるをえず、
ディスカスできず、さらには、一方的に「しゃべり続け」は
講義を夜に行うのと同じで、からだに「こたえる」。
昨年は「緊張感」から、そのようなことは感じなかったが、
今年はそれを感じる。
このまま、ズルズルといけば、「マンネリ」となるのだろう。
「マンネリが最大の敵」
木曜は、大学院の必修授業である「美しく生きるための健康科学総合特論」
で「扁桃体」「側坐核」「腹側被蓋野」の働きを話し、
生きるため、そして研究をするための「情動」の重要性を話した。
「快」「不快」のはざまで生まれる「快」という情動。
大人の脳はそうなんだろう。
最終的に二年後に論文が認められたときの「快」感覚のために、
今は、1ランク上での仕事を求め、進んでもらいたい。
1ランク上であると、完了の時には「快」が生まれるはずだ。
その日は、星城大学より越智先生が来ており、
研究の話などをしたのちに、金子学部長と懇親する。
金子学部長は畿央大学着任前は、星城大学であった。
証明していく真摯な態度にあらためて、その態度に感動した。
「マンネリ」の打破を学部長もいわれた。
70歳まえだが、いまだに世界に論文を発信し、
自らが提唱した仮説の検証に時間を惜しんでいない。
提唱すれば、証明していく。
それが研究的態度である。
花火だけ打ち上げてもよくない。
その後、福本先生、前岡先生が来て、
午前様となった。
風邪のせいか、飲酒が進まない。
無理は厳禁と思い、あまり飲まずにいた。
昨日はいつもの岡山。
この新幹線も4年目か、と思い、
回想した。
少し気持ちの余裕を感じた。
教育学の授業では、
「普遍性」をキーワードにリハビリテーション学の教育形態の意味性を考えた。
「普遍的であるもの」「そうでないもの」、そうでないものが圧倒的に多いが、
「そうでないもの」について「ブレインストーミング」する意味について考えた。
一人で学習するもの、他人と学習するもの(批判的吟味)と区別して、
まずは勉強すべきだ。
なんでも討論しなくてもよい。
人に聞かずとも、書物をよめばすむ、普遍的(名称)なものは、
それで済ませばよい。
しかし、仮説の段階(治療など)は、
議論を重ね、その証明作業をともにすべきだ。
それが「生涯教育」となる。
そんなことを、「脳科学」もふまえて、「教育学」として語った。
あけて今日、今から、大学に戻り、
大学院生たちの中間発表を聞く。
今日はM1とM2の懇親も踏まえて合宿となる。
今日・明日しか空いておらず、みごとにそのスケジュールにおさまった・・・
もう日と踏ん張りしましょう。