森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

陽性と陰性の間に存在する私(自己)

2009年04月25日 16時25分42秒 | 過去ログ
眼は外に向かった私、体は内に向かった私

神経系の発達が未熟な時期には、
一つの運動神経細胞が多くの筋細胞を興奮させ収縮させ、
運動としては粗大なものしか出現しない。

言動も同じである。

しかしシナプス間の競合によって形態的にも除去されることが明らかになっている。
このシナプス除去の過程は末梢神経、脊髄、脳幹、視床、大脳皮質において普遍的に行われるものであり、余剰回路が除去され、一つ一つの運動神経細胞が制御する筋細胞が少なくなることで、自発的かつ細かな運動が可能になるといわれている。


今、行っている実習生の前頭葉も同じである。


外野(SVや教員)はあくまでも外野である。




ポジティブとネガティブの間に存在する自分。

間に意味がある。

一長一短ということばの間に本質がある。

しょせん、大人は、無理に「自分の形」にあてはめようとしているのに違いない。

これは教員、指導者にも同じことがいえるが、

学生も大人であり、

学生も他人を批判したり、否定したり、
教員も他のものを批判したり、否定したり、
指導者も他の指導者や学校を批判したり、否定したり、

それは、自己を肯定する手続きにすぎない。


1ランク上から見ないと、見えないものがある。


人間は自然(自然現象)なんだから。

無理に統制してしまえば、それは人工的な人間になる。


人間としての振る舞いをしているのなら、
それを評価することが教育には大切である。


ドーパミン神経細胞は「行動を起こすときに得られる期待される報酬の量」と「行動をとった結果,実際に得られた報酬の量」の誤差(予測誤差)に応じて興奮し,興奮の度合いに比例して,行動を起こすのに関与した神経結合のシナプス伝達効率を向上させる(Schultz, 2007).


いきなりエベレストに登らせないように。


PTらしさとか、OTらしさとかいうが、
「そんなもん、よくわからん」

もし、そのらしさがあるのであれば、
注意散漫で多動な私には、
そのらしさから逸脱するであろう。

そんなことを、考えていた。

今から大学院生の新入歓迎会である。

明日は研究打合せで福岡である。

それなりに動いていることが、
いらないことを考えなくて済む。





マスコミ

2009年04月25日 11時34分46秒 | 過去ログ
竹内薫さん に同じ感覚を抱いた。
そんな記事より、大阪で起こった小学4年生の事件の現代背景について考え、
そして「豚インフルエンザ」について情報提供すべきである。

このブログでは珍しい時事ネタであった。
竹内薫さんの紹介をかねて。
竹内さんは、茂木健一郎さん と同じ釜の飯を東大で食った仲である。