森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

グレーの標準偏差

2009年10月20日 17時51分35秒 | 過去ログ
日曜日は奈良から滋賀まで小旅行.
関西圏内であるが,2時間ほどかかる近江へ.

能登川駅で降り,畿央の教え子の宇野さんに迎えにきていただき,
近江温泉病院へ.

滋賀医療専門学校の隣であることに驚く.
よく高速道路からみていた.
のどかな日本の原風景のような場所だ.

講義前に挨拶をして,
脳科学からみたリハビリテーションの展開を話す.
高知医療時代の教え子でもある喜多さんにも久しぶりに会う.
私の最初の卒業生だ.

できる限り,病院スタッフなので,
学会・研修会講演で進めるようには話さず,
枝を豊富にしながら,臨床に置き換えながら話した.
それゆえ,脳科学のいろんな視点に脱線したことはいなめないが,
人を知るための脳科学であるために,
ただ単に機能回復や理学療法,作業療法などのための脳科学でないことを知ってもらいたかった.

脳を学ぶ前に,まずは自分を知ること,
自分の興味を知ること,自分の立ち位置を知ること,
そんなことが実は大事なのである.

脳を知ることは,自分を知ること.
自分を分析しようと生涯こころみ,反省する.
そんなことも大事である.

井の中の蛙にならないためにも.

うちの大学院生たちもよくやっているが,
職場に帰れば,いろんな批判を浴びているようだ.
「大学院に行って何になるんだ?」なんかや
「大学院で偉くなったと思うなよ!」など.
そういう意見に対して,情動反応を起こすのではなく,
そういう意見(出力)もどっかの情報処理によって生まれたものであることを理解し,
なんらかの擦れ違いがあるからこそ,と思わなければならない.
批判,否定するものだけが必ずしも悪いわけでない.

どこかの関係性(間主観性)でそういう情動が出力されたのであることから,
自分の振り返らないともいけない.

ただ,PTはそういう情動反応を示すものが特に多い.
体育会系システムが歪をつくってきたのだろう.

肩書きがつく立派な人たちも幼稚な部分も少なからずとも存在する.
若くして,役職がつくと,知らないうちに自分の知らない世界のものを否定している.
それは意図的でないと思うから,悪気はないと思うが,
無意識であるからこそ,逆に根深い.

人間関係とは実に面白い.
高度な霊長類しかない感情がわきたつから.
尊厳,嫉妬などの人間関係のもつ感情は高次脳機能である.

講義は16時半まで行い,
17時15分ぐらいの電車に飛び乗り,
20時前に奈良に帰りついた.

風邪は治らず,
鼻声のフィードバックは聴覚のみならず,体性感覚でもそのふがいなさを感じ取ることができる.

そのまま倒れるように眠り,
月曜日は大学院の授業を本気で行い,
院生の研究計画を聞き,いつもの日々を過ごした.
若田君の道具操作のイメージに関する研究,
そして,末吉さんの注意と脊髄・脳の興奮性の関係に関する研究を聞き,
大学を後にした.

本日はAM,一番近い学校である白鳳女子短期大学の特別講義を行った.
PT学科に対してであるが,
40名すべて女性であり,まあまあ新鮮であった.
脳をことを平易に解説し,
どのように臨床を組み立てるかについて話した.
目が輝いていた者も多く,まずまずの講義だったと思う.
畿央の学生にはしない内容を話した.

外面はよい先生である.

内ではなかなか自分の専門をしゃべれない.
そういう科目がないために・・・「もったいない?」

どこの学校であれ,いずれPT・OT・STになるんだから,
自分の学校だけを特別扱いできない.
未来のセラピストに未来を託す義務が自分にはある.
「必ず時代を良くしてもらいたいという」

13時過ぎに白鳳の講師で,私の研究室の博士課程の藤田君に大学まで送ってもらい,
「理学療法探求」原稿を仕上げ,郵送し,
そして院生の事務的な仕事を行い,
今から,博士論文審査基準に関する会議である.
結構,この会議は今まで難航している.
文系と理系が入り乱れる「健康科学」ではなかなか基準を見出せない.

原型は決めないといけないが,フレキシブルさは残す.
グレーとはいわれるが,それが人間同士であるのかもしれない.

石井さんのブログと吉良さんのブログに登場していることを複数のPTから聞いた。
恥ずかしいお言葉ありがとうございます。


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