住蓮房・安楽房と松虫姫と鈴虫姫のその瞬間の
決断に至る気持ちを察しながら土曜日は本堂、書院を歩いた。
また本来ならが拝観謝絶のこのお寺でこのよに1日を過ごさせてもらう
喜びに対して感謝した。
「承元の法難」でも調べて
この歴史の事実を考えてください。
私は小学5年の時に、
滋賀、京都、奈良、大阪の寺院を自分でピックアップしながら
旅したことがある。
その当時は日本史を徹底的に調べる少年であり、
その時々のロマンを感じていた。
もちろん、歴史の先生になろうと思った時もあるが、
次第に、自分で脚本を書き、演じるということを
小学生ながらにしていた。
屋島に修学旅行に行けば、
屋島から壇ノ浦にいたる源氏・平家の戦いを
原稿用紙に書き、
セリフを配置し、
友人に演じさせ、
生徒・先生全員の前で
30分ぐらいかな~そんな演劇をした。
それだけでなく、学校でも結構書いて演じた記憶がある。
そのときはもちろん源義経が主人公であるが、
自分は伊勢三郎義盛を演じたと思う。
マニアックである。
新緑あふれる住蓮山安楽寺
ウグイスが自然に奏でる住蓮山安楽寺
宣伝・プレスをしていなかったため、
30名たらずの参加であったが、
そのあと、茶話会などで、
日本のこころを感じられたのではないだろうか。
カップルで参加された若い者もいたので、
高尚な、そしてクオリアあふれる感覚をいだいたのではないだろうか。
こんな時をどう感じるか。
それが創造性の源である。
なぜ哲学の道というのか。
思いにふけるこの時々を感じる。
生きている感覚
幸せと思う感覚
この一人称感覚を大切にしてもらいたいし、
語りも一人称で語ってもらいたい。
同僚の瓜谷先生も来ていたが、
彼から発せられることばは
とても一人称視点で問題提起されていた。
「そうだ、京都行こう」のyoutubeでも見て、
日本の四季を感じてください。
関西ではこの宣伝はやっていません・・・
JR東海なので。
しかし、サウンドミュージックのマイフェバリットシングス
の編曲は素晴らしい。
大原の里ver.は鳥肌がたった。
奈良ver. があるのを知った。
「うましうるわし奈良」
「いまふたたびの奈良へ。」
荘厳な御本尊を背にして
古谷さんとの対談は
「祈りのかたち。」と題して
進んだ。
「渋谷のスクランブル交差点であなたは祈ることができますか?」
というサブテーマがあるのだが、
自然に恵みをいただいている
そのことを現代の人たちは忘れている。
人のしあわせとは?
家族とは?
など、話が進み、
2時間という長丁場で途中疲労も
うかがえたが、それでも、この空間・時間は
御本尊のお力をかりて
人間の本質へと進んだのではないかと思う。
願う。待つ。
私、
明日の私。
見せかけだけのエコではない。
茶話会はみんなの言葉がきけてよかった。
それにしても古谷さんは、
自分と違って、語りが上手で「明確」である
ことを改めて感じた。
とってもクレバーな方であり、
クレバーなゆえに、飛び出したのだろう
と想像膨らむ。
自分は、煙にまく語りであると反省した。
相手と話すということで
自分を知る。
「患者と話す」プロジェクトは「患者に話す」ではない。
学生教育している教員も「学生に話す」ことはしても、
そして面談と題して、みせかけの「学生と話す」空間・時間をつくっても
しょせん一方向であると思う。
それでは一人称を開けないのではないか?
待つという勇気も必要であり、
それを無駄と感じるものは教育者にはなれないと思う。
そのような「そぎ落とした」人間を結局はつくっている。
時間ばかり気にしている人もそうだと思う。
それでは研究・臨床の創造性なんか浮かぶはずがない。
自分で感じることができないのだから。
結局は受け売りになってしまう。
一人称経験がいかに重要か
再認識した。
僕の臨床の一人称経験
それが今を作っている。
いくらRCTでデータを出されたとしても、
その脳のなかの一人称記憶は払拭できない。
なぜなら自分の体でその瞬間を生きているからである。
そのことは今年の卒業生に最期の講義で伝えた。
自分の目で見て、触って、確認する。
その人間らしさを、現代の医療は消しているのではないか。
僕はその危険性を常に感じている。
自分の眼を養う。
この長い旅に今も出ている。
帰りは野宮神社から天竜寺に抜けてきた。
秋の住蓮山安楽寺はまた違った風情である。