森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

人生という名のもとの航海

2009年04月20日 08時34分26秒 | 過去ログ


住蓮房・安楽房と松虫姫と鈴虫姫のその瞬間の
決断に至る気持ちを察しながら土曜日は本堂、書院を歩いた。
また本来ならが拝観謝絶のこのお寺でこのよに1日を過ごさせてもらう
喜びに対して感謝した。
「承元の法難」でも調べて
この歴史の事実を考えてください。





私は小学5年の時に、
滋賀、京都、奈良、大阪の寺院を自分でピックアップしながら
旅したことがある。
その当時は日本史を徹底的に調べる少年であり、
その時々のロマンを感じていた。
もちろん、歴史の先生になろうと思った時もあるが、
次第に、自分で脚本を書き、演じるということを
小学生ながらにしていた。
屋島に修学旅行に行けば、
屋島から壇ノ浦にいたる源氏・平家の戦いを
原稿用紙に書き、
セリフを配置し、
友人に演じさせ、
生徒・先生全員の前で
30分ぐらいかな~そんな演劇をした。
それだけでなく、学校でも結構書いて演じた記憶がある。
そのときはもちろん源義経が主人公であるが、
自分は伊勢三郎義盛を演じたと思う。
マニアックである。



新緑あふれる住蓮山安楽寺
ウグイスが自然に奏でる住蓮山安楽寺
宣伝・プレスをしていなかったため、
30名たらずの参加であったが、
そのあと、茶話会などで、
日本のこころを感じられたのではないだろうか。
カップルで参加された若い者もいたので、
高尚な、そしてクオリアあふれる感覚をいだいたのではないだろうか。

こんな時をどう感じるか。
それが創造性の源である。
なぜ哲学の道というのか。
思いにふけるこの時々を感じる。

生きている感覚
幸せと思う感覚
この一人称感覚を大切にしてもらいたいし、
語りも一人称で語ってもらいたい。

同僚の瓜谷先生も来ていたが、
彼から発せられることばは
とても一人称視点で問題提起されていた。


そうだ、京都行こう」のyoutubeでも見て、
日本の四季を感じてください。
関西ではこの宣伝はやっていません・・・
JR東海なので。

しかし、サウンドミュージックのマイフェバリットシングス
の編曲は素晴らしい。
大原の里ver.は鳥肌がたった。


奈良ver. があるのを知った。
「うましうるわし奈良」
「いまふたたびの奈良へ。」

荘厳な御本尊を背にして
古谷さんとの対談は
「祈りのかたち。」と題して
進んだ。



「渋谷のスクランブル交差点であなたは祈ることができますか?」
というサブテーマがあるのだが、
自然に恵みをいただいている
そのことを現代の人たちは忘れている。
人のしあわせとは?
家族とは?
など、話が進み、
2時間という長丁場で途中疲労も
うかがえたが、それでも、この空間・時間は
御本尊のお力をかりて
人間の本質へと進んだのではないかと思う。

願う。待つ。
私、

明日の私。

見せかけだけのエコではない。

茶話会はみんなの言葉がきけてよかった。
それにしても古谷さんは、
自分と違って、語りが上手で「明確」である
ことを改めて感じた。
とってもクレバーな方であり、
クレバーなゆえに、飛び出したのだろう
と想像膨らむ。

自分は、煙にまく語りであると反省した。

相手と話すということで
自分を知る。

「患者と話す」プロジェクトは「患者に話す」ではない。

学生教育している教員も「学生に話す」ことはしても、
そして面談と題して、みせかけの「学生と話す」空間・時間をつくっても
しょせん一方向であると思う。

それでは一人称を開けないのではないか?
待つという勇気も必要であり、
それを無駄と感じるものは教育者にはなれないと思う。
そのような「そぎ落とした」人間を結局はつくっている。
時間ばかり気にしている人もそうだと思う。
それでは研究・臨床の創造性なんか浮かぶはずがない。
自分で感じることができないのだから。
結局は受け売りになってしまう。

一人称経験がいかに重要か
再認識した。

僕の臨床の一人称経験
それが今を作っている。
いくらRCTでデータを出されたとしても、
その脳のなかの一人称記憶は払拭できない。
なぜなら自分の体でその瞬間を生きているからである。

そのことは今年の卒業生に最期の講義で伝えた。
自分の目で見て、触って、確認する。
その人間らしさを、現代の医療は消しているのではないか。

僕はその危険性を常に感じている。

自分の眼を養う。
この長い旅に今も出ている。




帰りは野宮神社から天竜寺に抜けてきた。


秋の住蓮山安楽寺はまた違った風情である。







静けさのなかの和の美

2009年04月17日 23時38分35秒 | 過去ログ
金曜日は終日、京都で過ごす。
時間がゆるやかに流れ、
対談という仕事はするが、
こういう身体感は本来人間が持ちえる
ものだろう。

世の中は、出力ばかりで
時間を消費する傾向にあるが、
時間がもったいないという感覚は
この空間にはない。

対談は沖縄での生活へと進み、
生きるとはどういうことかと話が展開した。







哲学の道を歩き、
ギャラリーをのぞき、
田舎の原風景を感じ、
自らのルーツを回想した。



私にはこの川のせせらぎが
少年時代を回想させる。
川辺でくらした生活が
脳のなかに刻み込まれている。








ルーツとはなにか。
私にとってのルーツとは。
人間の回想はいかに親身な愛すべきものなのか。

リハビリは単なる機能訓練でもないし、
動作練習でもないし、環境設定・援助でもない。

患者と話し、ロマンティックリハビリテーションをつくる。
そのプロセスがリハビリである。


マルチモダル生活

2009年04月16日 23時58分37秒 | 過去ログ
木曜日は朝早くに奈良をたち、
一路、京都安楽寺へ



哲学の道をあがり、東山ぞいの静かな空間
時間がとまったような感覚をいだく。
この静けさにふけるという感じは
現代生活からは考えられぬものであり
そこには空気を感じることができる。



安楽寺は「そうだ京都にいこう」でも紹介された
普段は拝観遮断のお寺である。







古谷さんとの対談はうみんちゅの仕事、
そして生活へと進み、
翌日にそのことをさらに細部に話す約束をして
14時に京都をあとにした。



法然院まで走り、
タクシーにのり出町柳へ
電車に飛び乗り、
教授会など会議を3つして。
18時より本年度はじめての「美しく生きるための健康科学特論」の授業へ。
大学院3期生の必須科目の最初の授業である。

これからの研究生活のことをオリエンテーションし、
来週にわたすための建学の精神について話した。

その後、リサーチミーティングに顔出し、
その後、月曜日のフォーラムの打ち合わせについて
富永・信迫の両氏と21時過ぎまで話した。

21時過ぎより、大学院生たちのお願いしている業績リストを確認し、
お礼をいい、
23時に終了し。
大学院生たちと遅い夕食に向かった。

マルチモダルな統合というよりは
ワーキングメモリによる使い分けな一日であった。
これも人生において統合されるのであろうか。

明日も京都である。

いつもの時間

2009年04月16日 01時13分31秒 | 過去ログ
火曜日より系統授業がはじまり、
かなりのハードスケジュールになっている。
新3年生の神経系理学療法学では
高次脳機能に関連する序章をはなした後
ゼミの案内をした。
今年からゼミ配置が速まり、
3年の段階でできるだけデータ採取を行うよう
その配慮のためである。
グループによるクロスオーバーな研究も考慮にいれながら
横のつながりからブレークスルーにつながる仕事へと展開したい。

大学ゼミ生はもはや仲間であり
研究は仕事になる。
自主性を意識するが
多少なりとも今年からはテーマを統制したい。

神経系についで発達系理学療法学の授業を行う。
新2年生の顔つきが1年生に比べるとよい。
「笑顔」がひきつっていない。
自然な笑顔がでている。
1年の成長を感じることができる。

子供の発達のうち、胎児期の発達を話した。
神経管の発生
神経幹細胞
シナプス形成
ミエリン化など、
を各領域の違いから話した。

学部生の授業を終え、
18時半より村田病院の富永先生と河野先生と
今度の7月に開催される学会の演題レフリー依頼に追われながら、
そのあと、19時半より大学院の授業をスタートする。
神経リハビリテーション特論では、
これからの研究スケジュールについてまずは説明した。
みんなのよい研究が進むよう、祈念したい。
21時過ぎにおわり、
そのあと再度演題の仕事をして、
22時過ぎに終わる。

そのあと、大学院生の佐藤、熊谷と研究の確認や、
月曜日に開催するフォーラムの確認を行った。

遅い、そして昼食もとらない1日となった。
授業初日からそれはないと思いながら、
人前で話すのはハードと思いながら、
楽しい、とも思った。


本日は朝一番で看護医療学科の講義
「感情体験の脳科学」をスタートする。
本講義がなぜ開講されたのかの意味を伝え、
選択してくれた者の真剣なまなざしがこころに響いた。
3年後の看護をまかすことができそうだ!と直感がわく。
こころを持っている。

そのあと、間髪入れずに
教育学部の講義
「発達脳科学」がはじまる。
こちらのほうは教育学部だけでなく、
デザイン学科の学生もいることから
もっと自由度をましながら、
みんなのニーズを聞き、
それに回答するかたちで授業を進めていきたい。
シラバスはしょせんマニュアルであり
その通りにはいかないこともある。


授業を終え、
午後からは冬木学園教育改善プロジェクトの会議に出て、
8月末に開催される「やまとフォーラム」の企画や
関西中央高校とのコラボレーションについて意見交換した。
17時過ぎに6月に開催されるイタリアでの国際姿勢歩行学会の宿を
冷水先生ときめ、
Googleマップのストリートを見ながら感動する。
のぞき見な感じだが、世界はすごいと感じた。
こんな時代がくるんだと思い、
Googleのメンバーに尊敬の念をいだく。

19時頃平成記念病院の河村先生と院生の佐藤君が来て、
月曜のフォーラムの確認をして、
家に送ってもらう。

家に帰り着き、
PCに向かいながら、科研費の交付申請書を今完成させた。

明日より京都である。
明日は早朝に京都に向かい
安楽寺で10時より対談(土曜日の公開対談のうちあわせをかねて)を14時まで行い、
そのあと、電車にとびのり、
16時20分の教授会、大学院委員会に戻るように帰ってくる。
そして18時より大学院の必須科目の授業
「美しく生きるための健康科学総合特論」がまっている。

明日もハードだ。
悩む時間さえなくなってしまった。
それでいいのだと思う。
生きている感覚があるから。

「止まってなんかいられない」


電車のなかで対談で利用する「写真」をみて「イメージ」をふくらませるようにしたい。

追伸:水池先生、gait & posture アクセプトおめでとう! そろそろ、交流研究会を開催したいと思っています。


講演ロードスタート

2009年04月14日 08時48分49秒 | 過去ログ
土曜日,今年度はじめての講演のために宮崎に向かう.
宮崎は2月以来,2か月ぶりであり,
前回は野球のキャンプ初日に宮崎空港をあとにした.

宮崎空港では,コーディネーターの河野先生,岩坂先生,上田先生,看護師の渡辺さんらがお出迎え.
その後,地鶏を食べながら,軽く打ち合わせをして,
延岡に向かう.

宮崎空港にはJRが乗り入れており,
駅と空港が直結で,
外国を感じる.
スキポール空港やシャルルドゴール空港など.
日本はバス移動が多い.

延岡に向けて1時間半ほど揺られながら,
上田脳神経外科のメンバーと移動.
小旅行な感じでとても新鮮であった.

延岡につき,メンバーらと懇親会をして,
意見交換を行う.
田中先生とのロック談義が花咲かせる.
高知大出身らしく,今度高知のライブにきてもらいたい.

0時ごろお開きさせてもらい,
翌日の講演にそなえる.
そなえるといっても寝るだけだが.

5時に起き,スライドを調整し,
一路,九州保健福祉大学に向かう.
のどか,のどか,いや~自然.
こんな環境にあるのかと思い,
この年なら過ごしやすいが,
血気盛んな20代前半ならどう思うか.

久しぶりに小脳の機能,
誤差学習モデルを話すと新鮮だ.
その後,情動と記憶に触れ,
最後に高次脳機能障害として失認,失行の神経科学モデルとそのモデルに基づいた治療仮説を話した.

そののち,走るようにJRに乗り,
18時45分の伊丹行きに乗り,
21時過ぎに奈良についた.

久し振りといっても1か月ぶりの講演であったため,
疲労はピークになり,倒れるように寝てしまった.

じっと5時間ほど立って講演するのも慣れているが,
少しブランクがあると身体が悲鳴をあげる.
身体は正直になるときがある.

宮崎の今回の講演は楽しいという感覚が久しぶりに起こった.
これも人間関係なんだろう.

昨日は,不二精油の方々とリサーチミーティングを行い,
夜は,下田の料亭?で株式会社Okamotoの社長さん,
同僚の福本先生,前岡先生らと,
靴下開発の日本ならびに米国の特許取得のお祝いを行った.

広陵町は靴下生産日本一.
地場産業との産学連携などを行っている次第である.
アメリカのエンパイヤーステートビル内にも支店があるらしい.
商品開発というものは競争原理がはたらき,
大変だと思うが,やりがいのある仕事だと思う.
PTやOTは法に守られており,
そのような志向性がしらないうちにわかなくなり,
創造性の源を失っているのではないだろうか.
と,話をうかがいながらそう感じた.

私がなぜ奈良の大学を選んだのかを,
話してしまった.


研究者の血(知)

2009年04月10日 07時57分16秒 | 過去ログ
ここ数日間は更新できずにいた。
とりいって何かを感じるまでもなく何気なくすごしていたからである。
感覚を研ぎ澄ますであったり、思考のトレーニングをしていなかったまでのことであろう。
体調が徐々に復調しつつあるが、
やはり長時間のタイプは少々こたえる。
来週から授業が始まるので今週中に、
依頼されていた「リハビリテーションのための人間発達学(大城昌平先生編集)」
の神経系の発達の章の原稿を終了させようと思ったが、
以前のような情報収集力と決断力と創造性と、そして何よりも書くスピードがおちている。
身体の健康が尊い。
頸部のいたみと相談しながら、書いている。

連続して科研費の獲得に成功したことから、
いろんな意味で、文化的活動や、あるいは、ロマンティックリハビリテーションを振興する意味で、
患者さんたちをまわらせてもらっているが、
やはり、「研究者の血」というべきか、
そういうものが研究費獲得からみずからのメタ認知できる。
最近はすっかり測定機器に触れない毎日であり
同僚たちに苦労をかけているが、
これに懲りずに今後も一緒に研究をしてもらいたい。

さらなる展開を考えつつ、
いろんな側面をもたなければならない自分自身を操作しうる自分を育成していくことが今後必要である。

昨日より、本格的に「インキュベーションラボ」を展開させる意味で、
本学の松尾准教授を中心に、冷水助教、前岡助教と、
博士課程の3名(谷口、信迫、藤田)を加えて、
「ニューロリハビリテーション」に関連する研究を一気に3年間である程度のめどはつけたい。
共同の研究室を獲得し、
そこに機器などを集結させ、
運動、行動、行為、認知などをキーワードに脳機能リサーチを進めようと思う。
その両輪で著作、一般書などを仕上げていきたいと思う。
時間というものを有効に活用しないといけない。

修士の院生たちも適宜参加してもらう。

よきネットワークを構築させていきたい。
これには本学のみならず、他学との共同研究が必須となり、
私は、そういう管理的なこともしていかなければならない。


他学の研究者(真面目にやっている者)からのメールはいつも深夜であり、
よくがんばっているなあ、とつくづく感心する。


私ももう38歳、まだ38歳という人もいるが、
まだやりたいことがたくさんあるので、
間に合うのかと少々心配になりつつあるこの頃である。

一生というもののはかなさを感じる。


神経リハビリテーション学研究室に12名の修士1年生を迎えました。
これで、大学学部4年生が9名、修士1年生が12名、修士2年生が7名、博士1年生が3名の29名が研究室で学んでいます。
これにもうすぐ配置される学部3年生が5名前後加わると思います。
すっかり大所帯であり、
共同研究のインキュベーションラボ展開の3名の研究室を加えると
相当数のメンバーによる仕事ができると思い、
ワクワクしています。


理学療法MOOK16 脳科学と理学療法

2009年04月07日 09時32分00秒 | 過去ログ
理学療法MOOK16
「脳科学と理学療法」

編 集
大西秀明(新潟医療福祉大学)
森岡 周(畿央大学)


第一章  脳科学の進歩と理学療法
1.脳科学の進歩に期待するもの  埼玉医科大学 黒川幸雄
2.脳科学の進歩と理学療法の接点-過去から現在  新潟医療福祉大学 大西秀明
3.脳科学の進歩と理学療法の接点-現在から未来  畿央大学 森岡 周 

第二章  脳科学の進歩:基礎編
1.学習と記憶の分子生物学的機構  神戸学院大学 坂本年将
2.運動による脳の生化学的反応  新潟医療福祉大学 川中健太郎
3.脳の可塑性  名古屋大学 石田和人
4.神経回路網の再編成  札幌医科大学 金子文成
5.大脳皮質における感覚情報処理と運動制御の神経基盤  畿央大学 森岡 周 
6.身体像の生成と運動学習の脳内機構  ATR 脳情報研究所 内藤栄一
7.歩行における中枢神経機構  畿央大学 冷水 誠 

第三章 脳科学の進歩:研究編
1.fNIRS  森ノ宮病院 三浦雅史,畠中めぐみ,宮井一郎
2.fMRI  植草学園大学 村上仁之
3.PET  東北大学 藤本 敏彦,田代 学,伊藤正敏
4.MEG  新潟医療福祉大学 大西秀明
5.TMS  神奈川県立保健福祉大学 菅原憲一

第四章 脳科学の進歩:臨床編
1.臨床導入としての認知理論  兵庫医療大学 香川真二 
2.臨床導入としての運動学習理論  新潟医療福祉大学 久保雅義
3.臨床導入としての運動イメージ  畿央大学 高取克彦
4.片麻痺の脳科学と臨床  畿央大学 松尾 篤
5.失調症の脳科学と臨床  星城大学 越智 亮 
6.失行症の脳科学と臨床  東大阪山路病院 信迫悟志
7.失認症の脳科学と臨床  村田病院 富永孝紀 
8.パーキンソン病の脳科学と臨床  神戸学院大学 松尾善美,鎌田理之,阿倍和夫
9.痛みの脳科学と臨床  畿央大学 前岡 浩,瓜谷大輔,森岡 周 



新年度実習生諸君

2009年04月06日 08時41分43秒 | 過去ログ
歩き出したわたしを あなたはそばで見守っている
これでいいんだと 間違いじゃないんだと
言える日は まだ先遠く
それでも 踏み出すのは
これがわたしへの マルだから
答えはすぐ出るものじゃないけれど
いつか笑って話せると 強く信じている

空 by JUJU


4期生のみんな.
今日から実習ですね.

いつかきっと笑い話になるよ.
笑い話になるよう(なれるよう),1歩を踏み出してください.
大学の教員たちは静かに見守ります.


まずは,からだで現場を感じる.
これにつきる.
自分自身のからだの受容器(目,耳,口,手足など)から感じてください.

感じたあとには,考え,昨日の記憶を使い「情報」として脳に記録(経験)してください.

経験(予測)となるには,からだと脳をつなげる作業が必要です.

そのプロセスを毎日,毎日行ってください.

いつか「見え始める」という地点に到達すると思います.

今度はまた大きな壁が立ち,また見えなくなりますが,
人生はその繰り返しです.

そのつど,成長する自分を確認してください.

人の評価ばかり気にせず(メタ認知として利用),
自分の評価を!