今度は日本が手を差し伸べる番です、
1890年(明治23年)9月16日夜半、
明治天皇に謁見、オスマン帝国の勲章を届けた帰路、
和歌山県串本沖でオスマン・トルコの軍艦「エルトゥールル」号が嵐のため遭難、600名以上の乗員が海に投げ出されました、
この乗員の一部が紀伊大島地区に漂着、住民は嵐の中、献身的に救助看護にあたり69人の命が助けられました、
明治天皇も政府を挙げての支援を命じ、生存者は手厚い看護を受け、4カ月後に日本の軍艦により母国へ送り届けられました、
その後、日本国内でトルコへの義捐金を募る運動も起きています、
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1985年(昭和60年)、イラン・イラク戦争に巻込まれ帰国困難な日本人200名以上がイランの首都テヘランに取り残されてしまいました、
各国が自国民を航空機で救出する中、日本は救援機を送れませんでした、
当時の自衛隊は海外派遣原則不可、日本航空も安全確保が出来ないと救援機を出せません、
そんな時、トルコ政府が救援機を派遣、日本人215名を救い出してくれました、
政府間の正式調整は無く、駐イラン大使と民間商社マンの懇願によりイラン政府が自主的に動いてくれたのです、
当時、テヘランにはトルコ人も多く残っていましたが、日本人を優先して救出するという英断でした、
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この決断を生んだのが、「エルトゥールル」号遭難救助への恩返しです、
トルコ政府は95年も前の恩を忘れていなかったのです、
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1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災と大きな地震による災害が起こる日本、
大きな地震災害の度に、トルコは災害救助隊や義捐金を提供してくれています、
それは「エルトゥールル」号事件から綿々と続く両国の友情と、お互いへの思いやりの歴史が支えているのです、
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そして今、日本がトルコに手を差し伸べる番です、
2023年2月6日、トルコを震源とするM7.8の大地震が発生、
トルコと隣国シリアと合わせて東日本大震災を上回る3万3000人以上が死亡(2月13日現在)、
世界各国から救助隊、医療支援隊がトルコへ入り、現在も懸命な救助救援活動が続けられています、
日本からも緊急救助隊をはじめ、様々な団体がトルコへ入っています、
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微力ながら、国内にいるワタシたちにも出来ることもあります、
NHKニュースサイト「日本からできること」 ⇒ 記事はこちらから、
寄付できる団体の一覧も記事後半に出ています、
1世紀以上にわたって続く、トルコと日本の友情と思いやり、恩返しの歴史、
今またその次のページを開くときが来ています、
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