近親者の葬儀が富山市内であったので行ってきた。
私の母親の弟にあたる人物で、小さい時にはそれなりに交流もあっただけに、亡くなったことの知らせは私にもショックだった。
私の両親の世代だと「きょうだい」は今よりは多くて、母親も男女合わせて6人きょうだいの家庭で育った。
故人は長く病気の状態にはあったようだが、年齢的にはいちばん下だったから、今日会場にそろった残り5人の心情は推し量るに余りあるものがあった。
故人はエレキギターを趣味としていて、会場の入り口には愛用のストラトキャスターが飾られており、葬儀の前後にはやはり故人が愛したベンチャーズのライブ音源が小さくではあるが流れていた。
故人も含め母方のきょうだいは仲も良く性格的にとても明るいから、心の底には悲しい気持ちはあってもワンワン泣くような人はいなかった。
さすがに直接の子供や孫には涙は見られたが、ベンチャーズのかかる会場には葬式特有の湿っぽさや暗さはあまりなかった。
私の父親は「オレの時は加山雄三にしてくれ」などと冗談めかして言っていたが、ある意味明るく送り出すことが故人のためになるのならそれもまたいいだろう。
今日はお寺さんの話も印象に残った。
2月だったか不慮の事故で亡くなった近親者の通夜の時には、正式な作法をうるさく言い募るばかりのお坊さんの話で半分ウンザリしたものだが、今回は違っていた。
ザックリ言ってしまえば「清めの塩という習慣は亡くなった人に失礼」ということである。
斎場から帰ったら体に塩をふるという慣習というか振る舞いは、亡くなった人を「ケガレ」とみなすことであるとの内容だった。
確かに、亡くなるまでは一緒に生きてきた人を、亡くなったとたんにそういうものにしてしまうのは、故人の人生そのものを否定・侮辱することにつながる。
清めの塩に限らず、何とはナシにやっている日頃の振る舞いで、単に通例に流されているだけのものもあるかもしれないと考えると、いい話を聞いたものだと思った。
こういう場に顔を出せば当然懐かしい顔もあり、同世代の人間も多くいた。
ただ、お互いガキンチョの時以来ということになると、パッと見では分からなかったり、分かっても気恥ずかしさが先に立って不自然な感じになったりする。
顔を見れたことそのものは非常に嬉しい気持ちがしたが、深く話し込むにはお互い離れている時間が長すぎた。
縁起でもない話だが、親の世代からはこれからイヤでもお別れの機会が多くなる。
お別れの場で顔を合わせるたび、私たちの世代がより結束していくような流れになっていけばいいのだと思う。
いつも書いていることだが、まだ若いからといって何が起きないとも限らないのが今の時代である。
いつ何が起きてもいいように、一日一日を大切に悔いなく過ごしていくことしかない。
それが、今生かされている者としての努めであるし、そこだけは忘れずにやっていきたいものだ。
私の母親の弟にあたる人物で、小さい時にはそれなりに交流もあっただけに、亡くなったことの知らせは私にもショックだった。
私の両親の世代だと「きょうだい」は今よりは多くて、母親も男女合わせて6人きょうだいの家庭で育った。
故人は長く病気の状態にはあったようだが、年齢的にはいちばん下だったから、今日会場にそろった残り5人の心情は推し量るに余りあるものがあった。
故人はエレキギターを趣味としていて、会場の入り口には愛用のストラトキャスターが飾られており、葬儀の前後にはやはり故人が愛したベンチャーズのライブ音源が小さくではあるが流れていた。
故人も含め母方のきょうだいは仲も良く性格的にとても明るいから、心の底には悲しい気持ちはあってもワンワン泣くような人はいなかった。
さすがに直接の子供や孫には涙は見られたが、ベンチャーズのかかる会場には葬式特有の湿っぽさや暗さはあまりなかった。
私の父親は「オレの時は加山雄三にしてくれ」などと冗談めかして言っていたが、ある意味明るく送り出すことが故人のためになるのならそれもまたいいだろう。
今日はお寺さんの話も印象に残った。
2月だったか不慮の事故で亡くなった近親者の通夜の時には、正式な作法をうるさく言い募るばかりのお坊さんの話で半分ウンザリしたものだが、今回は違っていた。
ザックリ言ってしまえば「清めの塩という習慣は亡くなった人に失礼」ということである。
斎場から帰ったら体に塩をふるという慣習というか振る舞いは、亡くなった人を「ケガレ」とみなすことであるとの内容だった。
確かに、亡くなるまでは一緒に生きてきた人を、亡くなったとたんにそういうものにしてしまうのは、故人の人生そのものを否定・侮辱することにつながる。
清めの塩に限らず、何とはナシにやっている日頃の振る舞いで、単に通例に流されているだけのものもあるかもしれないと考えると、いい話を聞いたものだと思った。
こういう場に顔を出せば当然懐かしい顔もあり、同世代の人間も多くいた。
ただ、お互いガキンチョの時以来ということになると、パッと見では分からなかったり、分かっても気恥ずかしさが先に立って不自然な感じになったりする。
顔を見れたことそのものは非常に嬉しい気持ちがしたが、深く話し込むにはお互い離れている時間が長すぎた。
縁起でもない話だが、親の世代からはこれからイヤでもお別れの機会が多くなる。
お別れの場で顔を合わせるたび、私たちの世代がより結束していくような流れになっていけばいいのだと思う。
いつも書いていることだが、まだ若いからといって何が起きないとも限らないのが今の時代である。
いつ何が起きてもいいように、一日一日を大切に悔いなく過ごしていくことしかない。
それが、今生かされている者としての努めであるし、そこだけは忘れずにやっていきたいものだ。