blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

無理やり感

2016-10-04 23:09:30 | 日記
9月のアタマ頃から、最寄りのスーパーの店員さんたちがハロウィンをイメージした帽子をかぶるようになった。
今はまだ10月の初旬だからこれは月末まで続くのだろう。
素材が軽そうに見えるので、作業中に頭から落ちないか心配になる。

欧米発祥のイベントとしては、我が国ではハロウィンはバレンタインデーやクリスマスよりも「後発」である。
バレンタインもクリスマスも我が国においては宗教的な裏付けもなく単なる商業イベントでしかないわけだが、ハロウィンは本当にここ数年の間に急に一般にも浸透してきたように感じる。
もちろんハロウィンとてただの商業イベントに過ぎないという認識は私の中では変わらない。
日本的な暦の中で、夏休み商戦とクリスマス商戦の間を何とか埋めるツールとして利用されているのが我が国におけるハロウィンの姿と言って差し支えはないのだろう。

過去にも同じようなことは書いているが、ハロウィンは我が国では商業イベントや仮装パーティー以上の盛り上がりはなく、国民的なイベントには結局はなりえないと思っている。
もともとは子供の遊びのレベルとはいえ「交換条件」が前提のイベントは、無条件の愛情を表現する場としてのバレンタインやクリスマスとは性格が違う。
若干の無理やり感をハロウィンに感じるのは、そういった「くれくれ文化」は我が国にはあまりなじまない気がするからだ。

年に一回、顔に色を塗って奇抜な格好をして別人になってみんなで騒ごうよと思うなら、我が国は自由だから誰も止めるものはいないし好きにすればいい。
世の中にはせめてその時だけでも別人になりたいと願っている人間も多いから、例えば都市の中心部に足を運べばイヤでもそういう集まりは目にすることになると思う。
私のような酒飲みは、季節やイベントを問わずいつでも仕事仕様からあっという間に遊び仕様(別人)に飛ぶことができるので年に一回というのはスパンが長すぎて待ちきれない。
それより何よりみんなと一緒でないとたかが別人になることも難しい人間と群れて騒ぐなどまっぴらゴメンである。

この節、俗世の憂さを離れて別人になりたい場面など年に一回どころか何十回もあるはずで、ハロウィンのような大掛かりなイベントしか頼れるものがないというのは、私から見ればずいぶん平和な日常を送っておられる方なのだろう。
せっかくの機会なのだから、我が国のGDPに少しでも貢献していただければ私としてはそれで良い。

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