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筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

トモダチって PART2

2018-07-27 23:04:10 | 日記
前回のエントリーでは、若い頃、私の周囲は私を利用しようとする人間ばかりであったと書いた。
都合のいい時だけ友達を騙り、私から奪うだけ奪って最後には捨てられる。
ただ、そんな目にばかり遭ったのは彼らが悪いのではなく、そういう接し方をされるような生き方をした私自身が悪いのである。
時を経て、そのような生き方から脱皮していくにつれ、ただただ私を使おうとする向きは自然と私から離れていった。
高校を出て30年近くにもなろうかという今年、小学校から付き合いのあった人間との関係までぶった切れるような性格にまで変わってしまった私にあえて会おうとする当時の「トモダチ」はいないだろう。
今度顔を合わせるとしたら、どちらかが先に死んでその亡き骸を拝む時かなという感じか。

わざわざ同じテーマでPART2を書こうと考えたのは、昔の人間ではなく、今現在付き合いのある人間についても書こうと思ったからだ。
先週一緒に遊んでくれた某君を除けば、当地はもちろん地元にもサシで酒を飲めるような存在はないに等しい。
友人が少ないから、今日のような日は街に出ていわゆる「お店の子」と話すことが多くなる。
話している時はお酒も入っていることもあるが、おそらく今まで経験したことがないような、何がきっかけでここまで仲良くなれたのか分からないと感じるくらいに会話が弾む相手もいるから、お店通いもまったくのムダであったとは思っていない。

ただ、そんな楽しい時間が過ごせるのもあくまで彼女たちの土俵であるお店の中だからである。
なじみのお店は、私にとっては不釣り合いなほどの魅力的な女性たちばかりだが、こちらから映画やコンサート、お店から徒歩1分の居酒屋に至るまで、とにかく「お店ではない」ところに誘っても絶対についてはこない。
かつて富山にいた時「ラーメン行こうぜー」と50回は口にしながら、4年間ついに1度として実現させることがなかった某氏について書いた記憶があるが、それと同様、彼女たちの「行ってみた〜い」とか「楽しそ〜」とか「今度行こ〜」などというのは100%「言っているだけ」である。
客はあくまで収入源であって、お金にならないところに時間を取られるようなマネは絶対にしない。

そうやって考えてみると、富山から通算して8年近く浮遊していた夢の世界から今まさに醒めようという瞬間が近づいているのかもしれない。
もちろんそう思ったからには、当地でのなじみのお店はもちろんのこと、地元に帰った時にもそのような類のお店に足を運ぶことはなくなるだろう。
自分は客だから、メールや電話一本であっさりバイバイしても責められる筋合いはない。
ただ、せめてせめて3年近くにもなった付き合いに感謝するなら、あいさつ程度に訪問し、その日で最後とは告げずに店を出て、事後に伝えるのが角が立たなくていいのか。などと考えたりもする。

トモダチなどいなくてもこの世は生きていける。
私自身が私という人間を信じることができる限りにおいて。

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