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blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

忘れないため

2018-07-29 12:36:31 | 休日
金曜夜は早々に寝落ちして、目が覚めてもいつものように飲みに出る気にならないほど疲れていた。
翌日の土曜、つまり昨日という日は、台風の接近もあり特に大きな動きのない静かなものにするはずであった。
たった一つのFacebook(以下FB)上の書き込みを見るまでは。

昨日は地元にいる同級生(以下A君)の誕生日だった。
多数のお祝いのメッセージの中に、先週私と時間をともにしてくれた当地在住のB君のものもあった。
私はFB上ではA君とは友達になっていなかったが、B君とは友達だったのでそのメッセージを見ることができた。
そのコメント欄には、A君の言葉で「私(筆者)との付き合いはほどほどに」とB君に指図するような内容があった。
何だと思って読み進めると、私が別の友達(以下C君)と仲違いした例を出してご丁寧な説明が加えられていた。

なぜアタマの回転もいいA君がタイムラインという誰でも見られる場所に私の悪口を投下したのかは分からない。
直接のFB友達ではないから私には見られないだろうとでも思ったか。
残念ながら、SNSの使い方としては今回に限っては脇が甘すぎたと言わざるを得ない。

スクールカーストという言葉は最近表に出るようになってきた気がする。
学校時代の力関係は卒業後も生き続け、同窓会や誰かの結婚式など同級生が多く集まる場所で微妙な影響力を発揮する。
A君は明るいキャラクターで友人も多く人望も発言力もあり、間違いなくスクールカーストでは上位の存在であった。
A君自身がそれを意識したかどうかは知らないし、単なる親切心で私には深入りするなとB君にアドバイスするつもりで書いたのかもしれない。
どちらにしろ、先週土曜夜から一緒に楽しみ日曜もフルに遊んだばかりのB君と私の関係を、遠い富山から制御しようなど思い上がりも甚だしい。
書き込みのやりとりからB君は結局A君に付くのかと勘違いして、危うくB君との関係までなくなりそうになったほどだから、文字通り余計なお世話ということになった。

なお、書き込みには、C君の言葉として、私に精神的に寄りかかられすぎて疲れたとあった。
それが事実なら、私の未熟さ、依存心が原因であり、全面的に私が悪い。
小学校からの長い付き合いがあったためか、私の方が「C君の一番の友達は自分なんだよ」的な雰囲気を出し、周囲もそこにやや遠慮していた感はある。
しかし、学校が進み環境が変われば、それまでよりもさらに気の合う友人に巡り合うのは自然なことだ。
私自身は彼以上と思える友達が学校が進んでもできず、ますます彼に依存する感じになったので、実はC君にとっては中学・高校あたりですでに私から寄りかかられている感覚はあったのではないだろうか。
C君がいつの時点でA君に「疲れた」とこぼしたのかは知らないし、C君本人にそこを突っ込むとなぜか激怒して、A君の書き込みがフェイクだとでも言わんばかりに取り乱すからそれ以上は踏み込めなかった。
それこそアタマも良く運動もできて羨ましさすら感じていた彼がめったに見せない様子になったので、もうこれ以上本人には聞けない。

C君の結婚式、友人代表でスピーチしたのは他ならぬA君だった。
そんな、彼にとって最も大事な存在と言えるA君とのやりとりさえ頑なに否定しようとするのは、私の推測が当たらずとも遠からじということなのか。
つまり、表面的には35年間続いてきた関係も、10歳で出会って20代を迎える前には実質終わっていたと。
C君がそれを認めることは、自らが壮大なウソの歴史を紡いだことと同義になるから、取り乱すほどに頑なになると。
ちなみに、私とA君、私とB君、A君とB君の三者間では個別に話は付き、私とB君はこれまで通り付き合っていける。
あとはA君がC君をどう収めるかだが、こればかりは新郎と友人代表というこれ以上ない深い関係に期待するよりない。

本来それこそこんなスペースに書くべきではない話題を書いたのは、昨日感じた辛さや虚しさ、屈辱感や悲しさを忘れたくなく、記録として残しておきたいからである。
今からさらに輪をかけて当事者たちに関わるつもりはないことを付言してエントリーを閉じたい。

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