blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

内輪の中に内輪あり

2017-11-16 19:58:06 | 日記
私の今の住まいは会社を通じて紹介を受けたアパートである。
見た目まったく古くは見えないし、本来の賃料を考えると薄給の私の身の丈には明らかに合わない恵まれた物件だ。
会社から相当の補助を受けているから住めているのであって、マトモなら生活するだけでやっとである。
つくづく有り難さは感じながら、浮いた部分が時にストレス解消の名目で無駄な方向に行くという情けない状況は、2年を経過し土地にも慣れた今からでも改善しなくてはならない。

古くもないが新しくもない物件であることは、例えば蛍光灯などに今や消滅した「National」のロゴが入っていることなどで分かるとはだいぶ前に書いた。
その絡みで、先月から徐々に外装の洗浄や防水など種々の工事が始まっている。
今日あたりは帰宅して塗料のニオイが若干ながらしており、今が作業の真っ最中であることをうかがわせる。
もちろん管理のしっかりしたハウスメーカーだからこそ、このような工事も行われるのであって、住んでいる者としては喜んで協力しないことには失礼千万である。

仕事の方は相変わらず淡々と日々過ぎている。
一部予定の変更もあって手すきの時間が今日は少なく退屈な時間帯はあまりなかったのは有り難い。
全体としての仕事量は戻っているとは言えない中で、個人的には仕事をした気になれた一日であった。

私が属するチームは10人にも満たない小勢、他の部署は知らないが、笑いが絶えないという意味では大変良い環境である。
笑いがあるということは元になる話題があって会話があるということ、隣の席どうしでも会話のない部署もあると聞いている中ではこれもまた素晴らしい。
ただ、毎日流れている中で「話題が尽きなくて」笑いにつながっているのとは少し違う。
「毎日同じような話題」なのに同じように盛り上がって最後は同じようなオチが付いて終了するという、素晴らしい中にも不思議な部分はある。
その同じような話題は、だいたいは同じ人間が口火を切り、周囲がそれを茶化すなりいじるなりの繰り返しで、話にオチをつける人間もだいたい決まっていて、どんなオチかも毎日のことなのでだいたい読める。
毎日同じ組み合わせのプロレスを見せられているような感じで、お世辞にも建設的とは言えないやりとりが毎日続く。

どうにもこうにもそういったやりとりに「内輪ノリ」的なものを感じてしまうこともあって、私はクスリとも笑うことができずに、いち早くチームの部屋から出て何かを始めるか、内部の提出物に手をつけるか、帰り近くなら時間が過ぎるのをひたすら待つ。
無理になじむ必要は感じていない。
もともと、みな同じユニフォームを身につけていながらも「内輪の中の内輪」があることは当地に来た時から感じてきた。
そういう集団が存在するのは、以前我が事業所の土地にあった別会社を我が社が吸収合併した歴史があるからだ。
我が社にも問題まったくなしとは言わないが、「内輪の中の内輪」の人間は旧組織の思い出話と我が社への悪口が非常に多い。
私くらいのドの付く中途入社ならともかく、いわゆる生え抜き、特に若い社員は合併当時のことなど知らないし、ベテランであっても富山から流れてきた人間はなぜかあまりいい言われ方をされていない。

内輪の内輪で楽しくやりたいならそれでもよい、しかし、自分たちが内輪と認めたくない人間も大勢同じ船に乗っていることは忘れてほしくないのである。
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