今日出勤したら、S課長が話しかけてきて「車の位置をちゃんと決めてくれよ」と言ってきた。
言われる理由がまったく分からないので聞き直したら、どうやらいつも自分が車を置いている場所に私の車があったからのようだ。
私はいつもS氏より早く出てきているし、各人がどこに車を置くか決まっているという話も聞いていなかった。
その日の気分で好きなところに置いていただけなのに、今頃になってイヤミを言われてはたまらない。
朝からこういう頭ごなしの物言いをされては気分が悪い。
要はそういう話は「最初に言ってくれ」ということである。
このS氏が社長の目の敵になっていることは書いてきたが、実際にどんな人間かがまだ見えていなかった。
毎日あまりの言われようなので同情するような感覚もあったが、最近はそんなものもなくなってきた。
わずかな時間での印象ながら、どうも仕事に対する「こだわり」が希薄なようである。
どこの会社でも毎日の仕事を報告する書類があるはずだ。
私も、となりのYさんも、毎日「日報」を書いてS氏に出しているが、それらはなぜかS氏のデスクの左側にそのままたまっていっている。
たまるということは「上に(もしくは社内に)伝わらない」ということである。
伝えるための日報なのに、ためるとは何事か。
ためるくらいだから、もちろん満足に見てもいない。
これでは無視されているのと同じであるし、形だけなら書かないほうがマシだ。
報告の過程で直の上司を「飛ばす」のは本来嫌いなのだが、大事な報告は直で社長に上げるしかないのかもしれない。
私自身も若い時分は「こだわりのなさ」を再三再四指摘された。
以前の記事で「思想軸」という言葉(造語?)を使ったが、「こだわりがない=軸がない」ということである。
軸がないものはフラフラと落ち着かない。
落ち着かないから他人に容易に振り回される。
「こだわり」がなければ、どんな簡単な仕事でもきれいにはできないし、人にモノ一つ言えないだろう。
たとえ何歳になろうと、思想軸のない人間に豊かな毎日はやって来ない。
ちっぽけでもいい、何か自分の中に軸が持てれば少しずつ毎日が変わる。
私はそういう感覚をつかむのが実は大変遅かった。
その分、1日1日を大事にという思いは強い。
毎日「生きた心地」がして初めて豊かな人生と言えるのだろう。
言われる理由がまったく分からないので聞き直したら、どうやらいつも自分が車を置いている場所に私の車があったからのようだ。
私はいつもS氏より早く出てきているし、各人がどこに車を置くか決まっているという話も聞いていなかった。
その日の気分で好きなところに置いていただけなのに、今頃になってイヤミを言われてはたまらない。
朝からこういう頭ごなしの物言いをされては気分が悪い。
要はそういう話は「最初に言ってくれ」ということである。
このS氏が社長の目の敵になっていることは書いてきたが、実際にどんな人間かがまだ見えていなかった。
毎日あまりの言われようなので同情するような感覚もあったが、最近はそんなものもなくなってきた。
わずかな時間での印象ながら、どうも仕事に対する「こだわり」が希薄なようである。
どこの会社でも毎日の仕事を報告する書類があるはずだ。
私も、となりのYさんも、毎日「日報」を書いてS氏に出しているが、それらはなぜかS氏のデスクの左側にそのままたまっていっている。
たまるということは「上に(もしくは社内に)伝わらない」ということである。
伝えるための日報なのに、ためるとは何事か。
ためるくらいだから、もちろん満足に見てもいない。
これでは無視されているのと同じであるし、形だけなら書かないほうがマシだ。
報告の過程で直の上司を「飛ばす」のは本来嫌いなのだが、大事な報告は直で社長に上げるしかないのかもしれない。
私自身も若い時分は「こだわりのなさ」を再三再四指摘された。
以前の記事で「思想軸」という言葉(造語?)を使ったが、「こだわりがない=軸がない」ということである。
軸がないものはフラフラと落ち着かない。
落ち着かないから他人に容易に振り回される。
「こだわり」がなければ、どんな簡単な仕事でもきれいにはできないし、人にモノ一つ言えないだろう。
たとえ何歳になろうと、思想軸のない人間に豊かな毎日はやって来ない。
ちっぽけでもいい、何か自分の中に軸が持てれば少しずつ毎日が変わる。
私はそういう感覚をつかむのが実は大変遅かった。
その分、1日1日を大事にという思いは強い。
毎日「生きた心地」がして初めて豊かな人生と言えるのだろう。