初詣 麻賀多神社に初詣して東洋一の樹齢約1400年大杉を見てから宗吾霊堂に初詣
麻賀多神社
麻賀多神社 旧佐倉藩の総鎮守 千七百年余前、印旛国造(当時の大和朝廷の地方長官)であった伊都許利命(イツコリノミコト)が、現在の地に麻賀多神社大神として崇め、麻賀多十八社の本宮です。
大杉の由緒
今から約千三百七十年前(聖徳太子時代)現在の稷山に新 たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と称された、此の大杉は其の当時に 植えられたもので太さ八m高さ四十m 餘りで其のお姿は誠に威容 其のものであります。
正に東日本一と 云われる此の大杉(御神木)は遠い遠い 昔の日本の歴史を物語ると共にかつ多くの伝説を秘めた此の年輪の 雄大さは千古不動の御神威と 御神徳が示されて居ります 今日では 特に不老長寿祈願の御神木として 崇拝され昔から多くの祈願が行なわれ 大願成就前には稍えより霊光が輝き 神のお告げが
太さ9m、高さ40mです。
宗吾霊堂に初詣
東勝寺(宗吾霊堂)宗吾霊堂は、桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した際に、戦没者供養のために建立された寺院です。歌舞伎で知られる義民佐倉宗吾は、今から350数年前の承応元年(1652年)に、佐倉藩主暴政のため、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(現在の成田市)の名主の木内惣五郎は、当時禁じられていた四代将軍徳川家綱への直訴を決行し、大勢の農民を救いました。しかし翌年8月に、その罪をとがめられて、木内惣五郎と4人の子供たちは処刑されました。その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれています。