写真で綴る気ままなすぎさん

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災難を乗り越えた 上野大仏さま

2017年01月08日 18時37分36秒 | 重要文化財 建造物・民浴など

上野の大仏さま
上野公園の上野精養軒の手前に「大仏山」と呼ばれた丘にある。
今からおよそ400年前の1631年・・・大仏様の高さは約6mだったそうです
上野の大仏様は度々罹災しましたが、その都度復興されて、関東大震災によって首が落ち・・・
第二次大戦時には軍の供出令により胴体を徴用されて、顔のみが残された。
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。

・・・・・・・・・・・「上野大仏 - Wikipedia 」より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
寛永8年(1631年)、 越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立。 
正保4年(1647年)、 地震により倒壊。 
万治年間(1658年 - 1661年)、遊行僧浄雲が金銅像として再興。再興は明暦年間(1655年 - 1658年)説がある。 
元禄11年(1698年)、公弁が露座であった大仏に仏殿(覆堂)を建立。 
天保12年(1841年)、火災により大仏、仏殿が損傷する。 
天保14年(1843年)、堀直央の寄進により大仏を新鋳再建、仏殿を修復。 
安政2年(1855年)、安政大地震により、頭部が破損。再び堀直央の寄進により修復。 
明治8年(1875年)、上野恩賜公園の整備に際し仏殿を撤去。露座に戻る。 
大正12年(1923年)、関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、
         資金の目処が立たず再建計画は放棄される。 
昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され、消滅する。 
昭和42年(1967年)、関東大震災の50回忌にあたり、上野観光連盟が願主となり大仏再建を願う祈願塔を建立。 
昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置。
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災難を乗り越えた大仏は、現在では顔を残す事から「これ以上落ちない」という、
「合格大仏」として親しまれている。

関東大震災前の上野大仏
 

パゴダ(仏塔)

上野精養軒の前のパゴダ(仏塔)への入口です。

平和を願う上野大仏
大仏様のお顔をやさしくふれてください 
 
上野大仏は、お顔を触れていいとは知らなかった( ^ω^)・・・ 


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