写真で綴る気ままなすぎさん

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江戸の名所 神田 柳森神社

2016年06月27日 08時26分44秒 | 八十八か所札所・観音札所など

江戸の名所 神田 柳森神社

昨日、秋葉原駅からスマホを買う為に・・・神田川 を歩いていたら・・・・


目に点いたのが「江戸の名所 柳森神社」

柳森神社 入口
長禄2年(1457年)、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして
京都の伏見稲荷大明神を勧請し、この地にたくさんの柳の木を植えた事から「柳森神社」という名前になったそうです。

 

中へ入ってみました。 
★江戸時代には商売繁盛の神として非常に賑わい、柳町小柳町元柳町向柳町柳原河岸などと当神社に由来する町名がありました。
 神田川土堤一帯に柳の木を多数植え繁茂したるに依り柳原の名と共に柳森神社の起源となった・・・・
其の後江戸城を中心に年を追って江戸八百八町は繁栄しこの柳森神社も商売繁盛の神として非常に賑わいを極めた・・・・(境内掲示板より)

 福寿神 たぬき尊像

 「おたぬきさん」として愛されている「福寿神」が境内に鎮座している。

福寿社には江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の母・桂昌院が信仰していた福寿神(狸)の像が祀られています。

力石群
13個の力石群・・・千代田区の有形民俗文化財に指定。
かつて若者達が力自慢を競ったという力石・・・・
境内にあるものは、大正時代、当時有名だった力士が使っていたとされています。

「力石」とは、一定重量の大小の円形または楕円形の石で、若者達が力試しに用いたと記録されている。
古来、わが国民間信仰では石にかかわる信仰は多い。また、「力石」に於ける伝承の一つとして、
「道切」説もあるが、「巨人伝説の大草鞋」同様と考えられる。
しかしこれらは、石神等に関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、
呪い等であったようである。(疫病は道を伝って来ると信じられていた。)
この境内にある「力石」は、大正年間(1912~1926)、当時この道の力士として有名であった
神田徳三こと飯田徳三とその一派が使っていた力石の一部と伝える。
なお、江戸後期に素人の力持ち仲間で有名な者に、神田明神下の酒屋で
内田屋金蔵、神田鎌倉河岸豊島屋の徳治(次)郎の二人が共に大関格であったとの記録がある。
これ等「力石」は、江戸・東京の若者たちの生活と娯楽等の一端を知るうえで貴重な資料である。
・・・平成二年三月 千代田区教育委員会・・・・・

柳森神社は、日本橋の椙森神社、新橋の烏森神社とともに江戸三森と称されているそうです。

柳森神社 東京都千代田区神田須田町2-25-1
拝観時間:境内自由
アクセス:JR秋葉原駅から徒歩約5分



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