私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

思考の連鎖がただ在るだけ(2)

2014年01月17日 09時23分10秒 | 私の成り立ち
◇思考の連鎖がただ在るだけ(2)◇

思考の連鎖について、もう少し書いておきたいと思います。
もう大分理解はまとまったのだろうとは思っているのですが、まだ理解は進んでるようで、少しずつ明らかになる部分があるのです(笑)。

先日の記事で、個の意識の目覚めと全体意識の目覚めに伴って、「私」という個の意識が消えるのだと書きました。
また、通常の意味での「私という意識」は考えであり幻であり、「私という考え」を含む思考の連鎖が起きていたのだと書きました。

上の私の切り口は、個の意識と全体意識という観点からのものでしたが、別の切り口も存在するようです。

それは例えば、主体と客体という切り口です(ニュアンスの違いだけであり、ほぼ同じことですが、笑)。

個と全体の両意識の目覚めにより「私」という個の意識が消えるのに伴い、主体と客体の統合が起きているようです。
例えば、リンゴに意識のスポットが向けられてリンゴという考えが起こっているとき、そこにはリンゴという考えだけがあり、通常の意味での「私」は存在せず、敢えて言えば、そのリンゴという考えそのものが私なのだということです。

主体と客体が統合されていますから、まさに唯一の存在ということになります。
様々な有り様に変容する唯一の存在ということになります。
存在と言っても、通常感覚の意識はありませんし、意思もありません。
ただただ存在の変容が繰り広げられているだけなのです。

この唯一の存在は、「私」という個の意識の考えとの関連で存在しています。
そのため、個の意識のそれぞれに一つずつ唯一の存在が在ることになります。
私(慧空)には、私という考えに関連した唯一の存在があり、あなたには、あなたという考えに関連した唯一の存在があります。

この唯一の存在を、先人たちは真我と呼んだりするようです。


私とは、思考の連鎖である。

私とは、意識である。

私とは、ただ在る存在である。

私とは、変化である。

私とは、私である。

私とは、真我である。


これらは、すべて同じことを言っているものです。


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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (4)
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