私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

雑記(スカイプ雑談会、仕事など)

2015年05月30日 08時58分44秒 | その他
◇雑記(スカイプ雑談会、仕事など)◇

スカイプ雑談会について。
本日(30日)の夜8時から10時のスカイプ雑談会は、予定通りやります。
今回が最初なので、人数を少し抑え気味でやろうと思って居て、定員を10名くらいに考えていますが、そんなには希望される方がいらっしゃらないと思っています(笑)。

現在のところ、私を含めて参加者は5、6人くらいです。
まだ十分に余裕がありますし、仮に定員の10名を超えても問題はないですから、
もし希望される方は遠慮なく、ご連絡いただきたいと思います。

気軽にざっくばらんに何でも喋りたいと思いますし、みさんさんにも、喋っていただきたいと思っています。
自分は話しは余りしないけど、話を聞いているだけでいいから、参加したいという方も歓迎です。
ですから、話すのが苦手な方も大丈夫です。(^^)

スカイプ雑談会のご案内はこちらをご参照ください。

開催時間20時の直前まで参加のご希望をお受けいたします。


私の就職活動の状況について少し書きますね。
先日からここに書いてますように、現在、ある障害者福祉施設に対する就職活動中です。
面接と簡単な研修試験が終わったところです。
また来週に、今後のことについて具体的な相談のため、施設にお伺いすることになっています。
感触としては、どうやら、まずはアルバイトか何かの形で、暫く働いてみるということになりそうな感じです。
それでお互い問題がなければ、正規採用ということになるのかなと思っています。

ただ、やっぱり身体はとてもしんどいのです。
昨日なんかもめちゃくちゃしんどくて、椅子に座っているだけで、意識が何度も落ちてしまうような感じです。
単純に落ちると言ってもとても微妙な感じでして、うっすらと眠りに入っているようでもあり、意識が何かと繋がるような一種のトランス状態になっているようでもあり、呼吸も止まってしまって涅槃に落ちているようなときもあり、それらがランダムに入り交じっている感じなのです。

でも、料理をつくろうと思ったりして、いざ身体が動き出すと、しんどいながらも意外に動いてしまうのが不思議なのです。
今日もこれから、子供の学校の参観に行きます(しんどいのにまじかという感じですが)。
そして、その後、ボランティアで学校の校庭の溝掃除をやる予定です。
どうも頼まれると断れないのです。
どうしてだか、断れないのです。(T_T)、(^o^)
内面的に複雑で、しかもどうにもならない感じなんです。

そんな感じ、今日は一日、盛りだくさんなのです。
(夜の雑談会、大丈夫かな...(^_^;))

それでは、みなんさん、よい週末をお過ごしください(^^)/
(雑談会に参加される方は、夜8時にお会いしましょう(^^)/)


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは6月28日(日)です(上のリンクを参照ください)

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknownさんへ (慧空)
2015-05-30 22:38:16
>前世で仏教と関わりがあったのかもしれまへんなぁ…それが今世に遺されたカルマの一つになってたりして~ですね。

そうかもしれません。(^o^)
ただ、上座部系はそれなりに評価してます。
破壊衝動が起こるのは禅を含む大乗系に対してです。
返信する
Unknown (Unknown)
2015-05-30 20:36:22
彗空さんの仏教に対するその衝動はマニアックですね~
前世で仏教と関わりがあったのかもしれまへんなぁ…それが今世に遺されたカルマの一つになってたりして~ですね。
返信する
Unknownさんへ (慧空)
2015-05-30 13:36:45
コメントありがとうございます。

>お釈迦様が出家者のために、サンガをつくられた理由がわかった感じがします。

深い悟りに入ると、社会生活が崩壊するだけでなく、一人で生きていくことも難しくなり、場合によっては、放っておくと死んでしまい兼ねない人がいるのではないかと思います。
私としては、お釈迦さまのサンガは最初はそういうふうにして出来て行ったのではないかと思います。
文献の記載がどこまで正確なものなのかは分かりませんが、サンガに入ってもずっとそこに留まるのではなく、一人で生きていけるようになれば、サンガを出て一人で暮らすようになる人が多かったというような記述をどこかで読んだ覚えがあります。

しかし、私はサンガは否定的に考えています。
なぜなら、サンガは依存の温床になるからです。
お釈迦さんのサンガも、最初はそれなりにうまく機能していたのかもしれませんが、後半は依存の温床となり、どうしようもなくなっていたんだろうと思います。

私は、依存が嫌いです。
ですから、サンガも不要と思っています。
深い悟りに至って、社会の中で暮らせないのなら、野に出てルンペンになればいいだと思っています。
また、生きていけなくなるのなら、死んでいけばいいんだと思っています(ちょっと言い過ぎで、イザとなればそこまでドライになれるか疑問が残りますが、笑)。
とにかく、私は依存が嫌いなのです。
なぜなら、依存こそが囚われの元凶(言葉が悪いですが、笑)ですから。

>在家で解脱されて

せっかく、好意的に書いて頂いているのにこんなことを書くのは申し訳ないですし、またひねくれ者だと思われるしょうが(笑)、
Unknownさんは、どうして私が解脱者だと思われ、それを信用されるのでしょうか。
解脱者かどうかは解脱者じゃないと分からないはずです。
安易に私のことを信用されずに、私のことも含めて、すべてのことを疑って頂きたいと思います。
そして、疑いながら、自覚をして頂きたいと思います。
安易な信用は、依存に繋がります。

>でも大丈夫ですよ

はい、私は例え何があってもへっちゃらです。
ご心配には及びません。(^o^)
返信する
Unknown (Unknown)
2015-05-30 10:55:06
 お釈迦様が出家者のために、サンガをつくられた理由がわかった感じがします。

 在家で解脱されて家族と肉体を支えられるのは、物理的にキツイですから。

 でも大丈夫ですよ、飾りけのない本物、真実の道ですから、必ずサンガが、あなた様を生かしますよ!
返信する

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