summer diary

日記らしきページ

お遍路・・・一旦休憩

2018年03月13日 | Weblog

 昨日は本当に暖かく、いつも通りに冬支度でグロムに乗り、お遍路へ出発。 午前中は走行中の体感は丁度良い感じ。ただ、昼近くになってくるとグロムから降りるとたちまち汗が出るぐらいに暑くなってきた。 ライダージャケットの中には冬のコンプレッション、ハイネックシャツ、フリースシャツの重ね着をしているので、真冬と同じぐらいの着こなしだ。 昨日は予報は15度ぐらいだが、実際には20度近くまで上昇した。 20度を超えるぐらいの気温になると、ジャケットの下は2枚程度の冬シャツで十分だろう。 1枚多く着ているし、その1枚はフリースの厚手のシャツだからかなりの保温力がある。 暖かい陽ざしの下では暑くない方がおかしいぐらいの着こなしだった訳だ。 もちろん、パンツも同じで、冬の中綿パンツ2枚に重ね着、その下にはさらに厚手のコンプレッションを履き、パンツの上にはレッグウォーマーも着用しているのだから、これも真冬と同じ出で立ちである。 暑くない訳ないだろうな~~。 それでも、お遍路を終えて、帰宅するときにはやはりこれぐらいで丁度良いと感じた。 1時間以上をノンストップで走っているとやはり身体に当たる風に体温を奪われる。 昨日は帰宅時に風もかなり吹いていたので、さらに体温を失うことになった。 が、真冬並みの着こなしなので、まったく寒さを感じることも無く快適に走行することが出来た。 基本的にはバイクから降りてからはジャケットは脱ぐ事にしているのだけど、これま意外と面倒なのだ。 参拝する時間自体はそれほどかからないので、ジャケットをわざわざ脱ぐのも面倒になってくる。 もちろん、昨日ぐらいの気温になったら脱いだ方が良いと思っているのだけど。 以前は毎回バイクから降りるとジャケットは脱いでいた。 でも、今はジャケットの盗難(お寺の駐車場で盗難?とも思うけど、やはり最近はそうした心配も懸念されるほどにいろんな人もいるので)などの心配もあり、不用意にバイクに置いて行くのはちょっと心配だ。

今日はハローワークに原チャリ(エイプ50)で行こうと思っている。 この2か月間の間は乗って居ないし、時々はエンジンを掛ける必要がある。 以前は半年間エンジンを掛けない時もあり、エンジン始動まで相当時間が掛かり、流石に苦労したのだ。 今日も10分程度の暖機運転でも何度もエンジンは停止して、ちょっと苦労した。

今日は本当に暖かく、最高の天気になった。 ポカポカと暖かい陽ざしに包まれて、本当に心地いい気持ちになる。 静かな時間をのんびりと過ごすことが出来る幸せに感謝したいぐらいだ。 ハローワークに提出した書類の代わりに、さらに就職先の事業者に記述してもらい、提出する書類を渡されて、ちょっとウンザリ。 まだ、書類がいるのか?? もちろん、お金の話なので、しっかりとした確認事項が要るのは解るけど、その点に関しては本人じゃなくて、事業主との連絡で済むのではないのか? もちろん、郵送で構わないので、就業してから平日に休みを取ってまでハローワークに行く必要はない。 それでも、当たり前の内容を書類にする必要はないだろう。 そんなことはハローワークの職員の仕事だろう? 書類さえ揃っていればいいのか? 逆に言えば、だからこそ、書類だけで審査を通過するようなシステムが悪用されるケースがあるのではないのか? 就業先に実際に連絡して確認する方がよほど信憑性があるだろう。 

この点に関してはもちろん、職員の業務を簡略化することもあるのかもしれないけど、それを失業者本人に依存するのもどうかと思う。 我々は真面目に税金を納めて、そうした手続きなどを役所などへの手続を依頼していると言ってもいいのだ。 だからこそ、そうした業務自体をしっかりと公的な所管部署が処理することが仕事であるはずなのだ。 まっ、いろいろあるけど、所謂、お役所はお金は取るけど、出さない仕組みになっているので。 税金の無駄遣いは当たり前だし、さらに税金を取るのは当たり前だと思っているのが現状なのだ。 やれやれ・・・。 もちろん、不正な給付自体は問題だし、悪質な手法で給付金などを受け取るような詐欺師も居るだろう。だからこそなんだけど、単なる書類申請だけで手続を簡略化することに問題があるのだ。 本人や事業主での書類の作成なんてその気になればいくらでも帳尻を合わすのは簡単だ。 そうではなく、実際にどうのような状態であるのかをしっかりと審査する体制を作り、書類等の簡略化をしても不正が出来ない仕組みを作ることが本来、市民に対する役割で有るのではないか。 それをするための税金だし、本来、税金はそうした税金を納めている市民が平和に暮らすことが出来るための物だろう。 何のために税金を払っているのだろう? 実際に自分ではできないもろもろの案件を解決するための物であるべきで、それ以外の物に対して税金の必要性を感じることが出来ないのが本来だろう。