好きな事 嫌いな事

普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

越えていく

2008-03-24 09:20:09 | ひとりごと。
昨夜、NHK「篤姫」見たのですが、いよいよ篤姫が生まれ故郷の薩摩を船出するところで終わりました。


教育係:松坂慶子の老女「幾島」に対して言うセリフがよかった。

私はそなたが嫌いである、ゆえにそなたに誓う。
嫌いな者に誓いを破ったと言われたくはないから。
「・・・薩摩を思うて泣くのはこれで最後じゃ。」
そして、遠くなっていく桜島を船べりからじっと見つめて、一粒二粒と涙をこぼす。


篤姫がまだ小さかったころ、母君(樋口可南子)と一緒に同じ海を見ていた時に言われた言葉:
「・・・人はみな、役割を持って生まれてきているのですよ。」
それを、思い出しつつ、決意を新たにする。

「・・・母上。わたくしは役割を果たしに参ります。」


二度と薩摩の地を踏むことはなかった篤姫、
なんだか、戦いに臨む凛々しい若武者、のまなざしでもありました。



役割を自覚し、それをまっとうしようと決意したときに、新しい道がまっすぐに伸びているのがわかる。
いろいろな選択肢がある中で、「その道」だけ、白く光っている。

このドラマで、「女の道は一本道、引き返すことは恥」という決めセリフ(?)がありますが、

男でも女でも人生は一度限り、さらに、よく40代~50代になると、
「人生の折り返し地点」などと言われたりするけれど、
私はそれはないと思う。
なぜなら、「ゴール」がわかっているから「折り返し地点」がわかるわけで、
ゴールがわからないのに、折り返しも何もわからないと思う。
平均余命などからそのように言われるのだろうけど、
誰しも100まで生きられるとは限らない。

人生は引き返すことのできない、まっすぐな道。
いつか必ずくる「ゴール」。


自分の役割を自覚し、命ある限りそれを真っ当する。
私の場合は、何かと言えば まず第一に「母親=おかあさん=ママちゃん」であること、
うちの娘たちはなぜか「ママ」と言ったり「ママちゃん」と言ったり。

その他、妻とか娘とか姉とかいろいろな役割もあるけれど、それはシーン別に対処するとして、
絶対的なことは、「ママ。」これを、ぶれないようにしたい。



小1のこぐまちゃん、今日で修了式、皆勤で1年間がんばりました。
「1年生がんばったごほうびに、何が欲しいか」という話をしたら
1も2もなく

「・・・シール!!!!」

お安い御用です。

ということで、シール買いに行って、お昼はレストランで好きなもの食べさせてあげましょう(*^。^*) 
本当によくがんばったね、ありがとうこぐまちゃん。


 篤姫と比べるのはおこがましいけれど、娘たちには、私を越えていって欲しいと思う。
私は、小さいころはよく熱だして学校休んだりした覚えがあるので、
その意味では「越えて」くれている。ありがたいことです。


画像は、昨日遊びにいった広い公園、菜の花畑が満開、まさに春爛漫。
でも、どこまでも続くと思われる菜の花畑も、ずっと歩いていくと
「この先立ち入り禁止:芝生養生中」などの看板が^^;
まさに「ゴール」があるのです。
モンシロチョウをおいかけたり、影踏みをしたりして楽しそうな子供たちを見ながら、
このまま、家族の「健康」第一に、家庭を維持していきたいと、
私も決意を新たにしたのでした(^_^)v


  ・・・影踏みのワザ「しゃがむ。」頭の部分の影を踏まれそうになった時に有効です(^_-)-☆。


(^^)/~~~
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