以前、働いていた職場でのこと。
その日、
「おはようございまーす」と出社したところ、職場が、なんとなく、ざわついている。
みんな、落ち着きがない。
「何かあったんですか?」と、聞いたところ、
「林先生(仮名)が亡くなった」とのこと。
「えっ」と驚いたけれど、林先生は実はもう半年前から病気で入院なさっており、症状も思わしくない、ということは聞いて知っていた。
でも、まだ40代後半で、小学生のお子様もいらっしゃる。やはり、驚いたしショックだった。
もう昔のことだから書くが、都内の大学の、オープンカレッジ(社会人コース)のパソコン講座を、林先生が主催し、私はそのアシスタントをしていた。
2年ほどご一緒した。気難しいところもあったけれど、気さくで、明るくて、とても尊敬できる方だった。
教務課のAさんが「林先生は、アシスタントは○○君(私)で、っておっしゃるんですよ。」と、教えてくれたことがある。
えっ気に入られてる・・・じゃ、もっとしっかりやらなければ、と思ったことがある。
仲間内では、林先生のアシは大変、と言われていたのだが。まあ、ホンネを言えば大変だった。
講習中に「ど忘れ」をなさって、例えばワードの罫線、(どう思う?ワードの罫線。使いづらくない?)
忘れたんじゃなくて説明がめんどうだと私にふっていた先生である。
「ええと・・・じゃ、ここは○○君(私なんです)、ちょっと説明して」と、いきなりふられることもしばしば。私も鍛えられました^^;
林先生と組めるなんてチャンス、だと思っていたけど いろいろなピンチもあった。
チャンスから逃げてはだめだけどピンチから逃げたらもっとだめよ!
(By 「ニュースキャスター」より あ~あ今日で終わっちゃった!)
ま、そんなことはよくて・・・
で、その日は一日、ざわついた中で仕事が終わり、私も気が抜けたようになっていた。
そのうち復帰なさると伝え聞いたのを信じていただけに、やはりショックだった。(実は、林先生はガンだったのです)
帰り道、ずっと先生のことを考えていた。いろいろ教えてもらったことなど、思い出していた。
早口でヘンなジョークを言ったり、ちっとも笑えなかったな。
講座の内容が難しくて、生徒さんがみんな固まってしまったことがあった。
そしたら、「あ、難しいですか。でもまあ、こんなことできなくったって生きていけるんです。」と、
フォローになるような、ならないようなことを言ってみたり、
質問多そうだと「質問は○○君に聞いてください。」と言って即帰ったり!
ちょっと待って!と呼び戻したり!
あれやこれや、思い出して、涙ぐんでしまった。
もう、会えないんだ、林先生。もう、二度と一緒に、仕事できないんですね。
私、先生と一緒に働くの、好きでした。楽しかったです。
大勢いるインストの中から、ずっとアシにつけてもらえて、嬉しかったです。
お見舞い行けばよかったな。もう一度、会いたかったな。
渋谷駅から、帰りの山手線に乗る。いろいろ思い出してしまって、並んでいる時も、ほろほろと、どうしても涙が出る。
ハンカチで押さえてごまかす。いかにも、「コンタクトがずれました」感じを装う。
でも、どうにも泣けてきて仕方ない。
電車が来る。乗り込んで、入り口付近に立つ。割とすいている。発車のベルが鳴る。
そのとき、
かけこみ乗車をしてきた人がいた。
男の人である。
それは、
林先生だった。
おどろいた。・・・心臓止まりそうになった!だって、林先生が、乗ってきたんだよ!
いつも、この時期に着ている(そうだった、夏だった、)ベージュの上着、ちょっとよれよれのシャツ。
こげ茶色のカバン。そうだ、これは先生のカバンだ。使い込んだ感じ。
ちょっと長髪な髪型。めがね。私より、少し背が高い・・・背格好も、何もかも、林先生だ。
その人、は乗り込むとすぐ窓のほうを向いてしまったので、私からは顔などははっきり見えなくなってしまったが、でも至近距離である。
思わず、「先生!」と、呼びかけようとしてしまった。
先生が、そこにいる。立って、電車に乗っている。窓の外を見ている。
私は、「先生が会いに来てくれた」、と思った。はっきりと、そう思った。
胸がいっぱいになった・・・
先生、お別れいえなくてごめんなさい。
もう一度、会いたかったです。一緒に働きたかったです。
でも、会いにきてくださったんですね。先生、どうもありがとうございました。
私、これからもがんばります。
そんなことを、胸のうちで一生懸命思っていた。
目の前にいる、「その人」に向かって、一生懸命、自分の思いを話しかけていた。
「その人」は、代々木で降りていった。
私はホームの雑踏に消えて行くその人の背中をずっと目で追っていた。
私の心の中に、何かあたたかいもの、が残ったように思った。
新宿で乗り換える。私はもう、泣いてはいなかった。
思えば、代々木といえば予備校のメッカであるから、「先生」仕様の人がたくさん集まるところではあるし、似たような背格好の人も大勢いるわけで、単なる偶然か、私の思い入れが強く、さほど似ていなかったのにそう見えてしまったとか、
理由はいろいろつけられるだろうけれど、
しかし、私としては「他人のそら似」で終わらせたくはない、出来事なのだ。
渋谷から代々木まで、たった二駅の間だったけれど、確かに私はあの時あの電車に、林先生と一緒に乗っていた。
今でも、「林先生が会いに来てくれた」のだ、と、ずっと信じている。
・・・先生、私もひとり立ちしました。明日も、がんばってきます。
ではまた!
その日、
「おはようございまーす」と出社したところ、職場が、なんとなく、ざわついている。
みんな、落ち着きがない。
「何かあったんですか?」と、聞いたところ、
「林先生(仮名)が亡くなった」とのこと。
「えっ」と驚いたけれど、林先生は実はもう半年前から病気で入院なさっており、症状も思わしくない、ということは聞いて知っていた。
でも、まだ40代後半で、小学生のお子様もいらっしゃる。やはり、驚いたしショックだった。
もう昔のことだから書くが、都内の大学の、オープンカレッジ(社会人コース)のパソコン講座を、林先生が主催し、私はそのアシスタントをしていた。
2年ほどご一緒した。気難しいところもあったけれど、気さくで、明るくて、とても尊敬できる方だった。
教務課のAさんが「林先生は、アシスタントは○○君(私)で、っておっしゃるんですよ。」と、教えてくれたことがある。
えっ気に入られてる・・・じゃ、もっとしっかりやらなければ、と思ったことがある。
仲間内では、林先生のアシは大変、と言われていたのだが。まあ、ホンネを言えば大変だった。
講習中に「ど忘れ」をなさって、例えばワードの罫線、(どう思う?ワードの罫線。使いづらくない?)
忘れたんじゃなくて説明がめんどうだと私にふっていた先生である。
「ええと・・・じゃ、ここは○○君(私なんです)、ちょっと説明して」と、いきなりふられることもしばしば。私も鍛えられました^^;
林先生と組めるなんてチャンス、だと思っていたけど いろいろなピンチもあった。
チャンスから逃げてはだめだけどピンチから逃げたらもっとだめよ!
(By 「ニュースキャスター」より あ~あ今日で終わっちゃった!)
ま、そんなことはよくて・・・
で、その日は一日、ざわついた中で仕事が終わり、私も気が抜けたようになっていた。
そのうち復帰なさると伝え聞いたのを信じていただけに、やはりショックだった。(実は、林先生はガンだったのです)
帰り道、ずっと先生のことを考えていた。いろいろ教えてもらったことなど、思い出していた。
早口でヘンなジョークを言ったり、ちっとも笑えなかったな。
講座の内容が難しくて、生徒さんがみんな固まってしまったことがあった。
そしたら、「あ、難しいですか。でもまあ、こんなことできなくったって生きていけるんです。」と、
フォローになるような、ならないようなことを言ってみたり、
質問多そうだと「質問は○○君に聞いてください。」と言って即帰ったり!
ちょっと待って!と呼び戻したり!
あれやこれや、思い出して、涙ぐんでしまった。
もう、会えないんだ、林先生。もう、二度と一緒に、仕事できないんですね。
私、先生と一緒に働くの、好きでした。楽しかったです。
大勢いるインストの中から、ずっとアシにつけてもらえて、嬉しかったです。
お見舞い行けばよかったな。もう一度、会いたかったな。
渋谷駅から、帰りの山手線に乗る。いろいろ思い出してしまって、並んでいる時も、ほろほろと、どうしても涙が出る。
ハンカチで押さえてごまかす。いかにも、「コンタクトがずれました」感じを装う。
でも、どうにも泣けてきて仕方ない。
電車が来る。乗り込んで、入り口付近に立つ。割とすいている。発車のベルが鳴る。
そのとき、
かけこみ乗車をしてきた人がいた。
男の人である。
それは、
林先生だった。
おどろいた。・・・心臓止まりそうになった!だって、林先生が、乗ってきたんだよ!
いつも、この時期に着ている(そうだった、夏だった、)ベージュの上着、ちょっとよれよれのシャツ。
こげ茶色のカバン。そうだ、これは先生のカバンだ。使い込んだ感じ。
ちょっと長髪な髪型。めがね。私より、少し背が高い・・・背格好も、何もかも、林先生だ。
その人、は乗り込むとすぐ窓のほうを向いてしまったので、私からは顔などははっきり見えなくなってしまったが、でも至近距離である。
思わず、「先生!」と、呼びかけようとしてしまった。
先生が、そこにいる。立って、電車に乗っている。窓の外を見ている。
私は、「先生が会いに来てくれた」、と思った。はっきりと、そう思った。
胸がいっぱいになった・・・
先生、お別れいえなくてごめんなさい。
もう一度、会いたかったです。一緒に働きたかったです。
でも、会いにきてくださったんですね。先生、どうもありがとうございました。
私、これからもがんばります。
そんなことを、胸のうちで一生懸命思っていた。
目の前にいる、「その人」に向かって、一生懸命、自分の思いを話しかけていた。
「その人」は、代々木で降りていった。
私はホームの雑踏に消えて行くその人の背中をずっと目で追っていた。
私の心の中に、何かあたたかいもの、が残ったように思った。
新宿で乗り換える。私はもう、泣いてはいなかった。
思えば、代々木といえば予備校のメッカであるから、「先生」仕様の人がたくさん集まるところではあるし、似たような背格好の人も大勢いるわけで、単なる偶然か、私の思い入れが強く、さほど似ていなかったのにそう見えてしまったとか、
理由はいろいろつけられるだろうけれど、
しかし、私としては「他人のそら似」で終わらせたくはない、出来事なのだ。
渋谷から代々木まで、たった二駅の間だったけれど、確かに私はあの時あの電車に、林先生と一緒に乗っていた。
今でも、「林先生が会いに来てくれた」のだ、と、ずっと信じている。
・・・先生、私もひとり立ちしました。明日も、がんばってきます。
ではまた!
このお話は素敵なお話ですね。なんとなくショートストーリーのようで心に残りました。
林先生は誰かの姿を借りて、ヤマザキさんにお別れを言いにきたのですよ、きっと。
もう前の記事のことですが、お子さんが赤い服を着た女の子を見たってあったでしょう。アレも、本当に見たんですよね。その時は不安な気持ちが見させたのかなとも思いましたが、今は違うと思っているんですよ。
もう、ヤマザキさん・・私の「オカルト倶楽部」に入れて差し上げます、なんて。
「素敵なお話」と言っていただけて、嬉しかったです。
不思議だけど、素敵な出来事でした。kiriyさんの、富士山の話にもありましたが、「目にはみえないもの」、見えなくても確かに感じる、ということはありますよね。
いろんなことを感じられる、「感性」を持ち続けたい、と思います。
うちの娘ですが、先日、家の前の道路で遊んでいたのですが、
突然、「あ。今、黒い人があっちに行ったね。」・・・・・・。
だれ・・・・。「ここの道通って、あっちに行っちゃったね。」と、ずっとその方向を見つめている。・・・・^^;
親子ともども、「オカルト倶楽部」入会希望です(^^♪