気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

伊那北高校登場

2011-07-16 15:06:27 | 昭和レトロ
午後から、県大会3回戦・長野日大対伊那北の試合がテレビ中継されました。
長野日大は、シード校。
一昨年の夏の甲子園出場でベスト16、3年前のセンバツ甲子園ではベスト8の強豪校です。
対して伊那北は、ここのところ冴えません。
すっかり進学校オンリーになってしまいました。

伊那北高校は、私の実家から徒歩10分のところにあります。
私は頭が悪かったので、とても行けるような高校ではありませんでしたが、亡くなった親父はここのOBであります。
かつて、昭和30年代には、30年・31年・36年と夏の甲子園に3回出場している名門校なのであります。
親父は、昭和30年の甲子園初出場時に1年生。
2回目出場の31年は、2年生でベンチ入りしています。
この甲子園2回目出場の対静岡戦、球史に残る試合をしているのです。
高校野球の初ナイター

そう、永遠に記録に残る甲子園初ナイターに参加しているのでありました。
しかもこの試合、静岡に勝っているのです。

昭和36年の甲子園3回目出場の3年後の39年にうちの親父、伊那北の野球部監督に就任しました。
家業が忙しくなり、1年で退任してしまいましたけどね…。
そんな縁で、私は幼い頃から伊那北高校のグラウンドに通い、試合があると球場に見に行く草ファンになっていました。

でも、既に半世紀、甲子園出場がありません。
東京六大学リーグの慶應大学で活躍した御子柴一彦(当時エース)が高校1年生の秋に、北信越大会であともう1勝していればセンバツ確実だったのに、あのときは悔しかったですね。
しかし、あの北信越大会からももう30年近く経ちます。
ユニホーム左袖のところに縫いつけてある校章のワッペン、下部に星が3つありますよね。
これは、過去3回の甲子園出場を意味しています。



今日の試合、5回までは互角に戦っていたのに、6・7回で大量失点。
結局2対10のコールドゲームでした。
私のような、OBでもないのに応援している草ファンもいます。
是非、目の黒いうちにもう1回甲子園に出場してください。
親父も草葉の陰から応援していると思います。

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