北の富士さんの訃報には大変驚きました。
今朝、信濃毎日新聞の社会面を見ると、北の富士さんの訃報が載っていました。
それが初見。
全然知りませんでしたよ。
もう、NHKの大相撲中継の解説を休まれて2年近く経つと思います。
いつかきっと復帰して頂けるものと信じて疑いませんでしたが、ついに叶わなかったですね。
残念です。
私が相撲を見始めた頃、そう昭和47年(1972年)、北の富士さんは一人横綱で頑張っておられました。
前年に、ライバルの横綱玉の海が現役死してから、ちょっと元気が無くなったのが気掛かりではありましたが---。
北の富士さんと言ったら、貴ノ花との付き手かかばい手かで物議をかもした一戦が思い出されます。
いわゆる生き体・死に体の論議に行きつくルーツの取組。
結果は、かばい手となり北の富士さんが外掛けで勝ちました。
この一番を、貴ノ花の生き体を主張し、貴ノ花に軍配を挙げた25代木村庄之助は、翌日から謹慎。
場所後に辞任いたしました。
それだけ、凄い相撲だったのです。
子供心に、覚えていますもの。
九重親方としても、千代の富士と北勝海2人の横綱を育てました。
将来の理事長候補だったのですよ。
しかし、高砂一門は規模が小さい一門、そのため理事を2人擁立することが難しくなり、理事候補から外される不運に。
元々、当時の先代九重親方(横綱千代の山)と北の富士さんは出羽海部屋所属で、九重親方が出羽海一門を破門(当時は分家独立を許さず)されながらも北の富士さんを連れ独立。
高砂一門に拾って貰う形に。言ってみれば外様扱い。
そんな肩身の狭さもあった訳です。
その後、相撲協会を退職しました。
このときも、随分驚きましたね。
以降は、NHKの専属解説者になり、皆さんご存知の人気者になりました。
あー、でももう1回、北の富士さんの解説を聞きたかったですね。
向正面解説の舞の海さんとの掛け合いトークを聞きたかったです。
心からご冥福をお祈り申し上げます。