5月22日の南三陸町
9月18日に南三陸町に支援物資を届けた事に対する御礼状が届きました。
これを読んでいると初めてボランティアに行った時の
自分自身の被災地に対する想いが蘇ってきます。
ホロリとする御礼状を原文のまま紹介させて頂きます。
御礼状
この度は、平成二十三年三月十一日の東日本大震災
により、我が街が見る影も空しく多大な被害を受け、
大切な家族や家屋を失い、大きな悲しみにくれる毎日
を過ごしております。
しかしながら、日本全国の皆様からの心温まる物資の
提供や心遣いを賜り、私たちは決して一人ではない、
多くの支援を受けていることを再認識し、同時に感謝
と感激でいっぱいであります。
現在は、南三陸町の復興も心の復興もすべて時が解
決してくれるものと感じており、社会福祉協議会とし
て一歩ずつ前進する所存でおりますので、今後ともご
支援ご協力を賜りますようお願い申し上げ、お礼の言
葉に代えさせていただきます。
平成二十三年十月吉日
社会福祉法人 南三陸町社会福祉協議会
会 長 阿 部 東 夫
写真中央の鉄骨の骨組みだけになっている建物が防災センターです。
9月に結婚を控えていた女性が自分を犠牲にしてまで住民に津波が来るからと呼びかけておりました。
屋上のアンテナに押し上げられた佐藤町長は共に屋上に避難していた職員から「街の復興のためにもあなたは生き延びてください!」と復興を託されて今も健在である。
その町長をアンテナに押し上げた職員は犠牲になった。
現在はこの建物の前に献花台が設けられており
9月の被災地でも多くの人が献花に訪れておりました。
この防災センターは解体撤去すると町長は決定を下した。
悲しみにすがりついていては復興なんて出来ない!
そんな決意表明でもあると思うのです。
9月18日に南三陸町に支援物資を届けた事に対する御礼状が届きました。
これを読んでいると初めてボランティアに行った時の
自分自身の被災地に対する想いが蘇ってきます。
ホロリとする御礼状を原文のまま紹介させて頂きます。
御礼状
この度は、平成二十三年三月十一日の東日本大震災
により、我が街が見る影も空しく多大な被害を受け、
大切な家族や家屋を失い、大きな悲しみにくれる毎日
を過ごしております。
しかしながら、日本全国の皆様からの心温まる物資の
提供や心遣いを賜り、私たちは決して一人ではない、
多くの支援を受けていることを再認識し、同時に感謝
と感激でいっぱいであります。
現在は、南三陸町の復興も心の復興もすべて時が解
決してくれるものと感じており、社会福祉協議会とし
て一歩ずつ前進する所存でおりますので、今後ともご
支援ご協力を賜りますようお願い申し上げ、お礼の言
葉に代えさせていただきます。
平成二十三年十月吉日
社会福祉法人 南三陸町社会福祉協議会
会 長 阿 部 東 夫
写真中央の鉄骨の骨組みだけになっている建物が防災センターです。
9月に結婚を控えていた女性が自分を犠牲にしてまで住民に津波が来るからと呼びかけておりました。
屋上のアンテナに押し上げられた佐藤町長は共に屋上に避難していた職員から「街の復興のためにもあなたは生き延びてください!」と復興を託されて今も健在である。
その町長をアンテナに押し上げた職員は犠牲になった。
現在はこの建物の前に献花台が設けられており
9月の被災地でも多くの人が献花に訪れておりました。
この防災センターは解体撤去すると町長は決定を下した。
悲しみにすがりついていては復興なんて出来ない!
そんな決意表明でもあると思うのです。