Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

やはりPCはテレビにはかなわないのか

2024年07月31日 14時13分14秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々
 私のお寺の高齢者の人達は、皆さん、パソコンどころか、携帯スマホにも乗り遅れている人が多い。
 その多くは、目もやられているため、当然、余程の目利きでもない限り、新聞すら読めず活字には疎い人もいる。
 うちの母辺りは、目は大事に使ってきたせいか、施設でも眼鏡いらずで平気で本に目を通す時もある。
 今は安静中の母だが、いつも車椅子に乗っていて、それだけは元気そうだ。
 うちの母も、特にお寺の高齢者の皆さんも、最大の関心事は、今はテレビだ。
 これをフルに活用している。
 それも、若者達のような、果たして今の若者がテレビを重要視して観ているかはさて置き、テレビの情報の仕入れ方が実に上手い。
 奥さまである、女性の妻さんが、高齢の為、テレビ番組表に疎くても、その旦那さんが目がよくて、新聞のテレビ欄や、誰かの口コミ、それらを電話等で仕入れて、見るなんてお手のものだ。
 大体、曜日が頭に入っているから、今日は何の番組の日、とすぐ判る。
 私もこないだ、電子書籍で読んだ付け焼き刃的な知識を振りかざし、どうだとばかりに、これからの時代は高齢者に有利で、自動車免許制度も危うく、世の中、AIによる自動運転の時代が間もなく来るんだ、と本の知識のみで私が力説すると、その年上で、スマホは子どもに持たされているが、使えず、PCは夫がオフラインで、ネット環境にはなく、正月の年賀状等にパソコンは使うのみの旦那さんを持つ、その女性に言ってみた。
 すると、その話は折り込み済みで知っている。なんだい、○○君(私)、そんなこと今頃語っているのかい。私なんて、とっくに知っていたよ。それがインターネットでかき集めた、やっとの情報知識なのかい。だったら私は断然テレビだない。そんなネットだかパソコンだか暗くて健康にも悪そうで、○○君も健康を悪くするといけないから、そんなもの、ゴミ箱にでも捨ててきっせ。と、こうである。
 これは一面、正しい。実に正論で言い返す言葉もまるでない。
 パンドラの箱と同じで、現代の悪風の根源のようにも見えるネット。
 しかし、我が家の母は考えが違い、そこに有用性をもって見つめる、時代の先駆者的な目で、わたしがその時代の文明の利器を使う事に賛成だった。
 これをどう捉えるかは個人の自由だが、私は進歩的だった母も時代のテクノロジーに保守的なお寺の方々も、それぞれ一長一短、一利があると見ている。
 そんな母でさえも、今ではテレビ一択で、テレビのみを楽しむ生活だ。
 私には、そんな母が、とてもエレガントで優雅に見える。
 お寺の皆さんもおんなじだ。テレビが好きな人はとても素朴で素直な人が多い気がする。
 テレビ視聴民が、純朴であればある程、マスコミの一方的な情報が続けば、騙されやすいのではないのか、との疑念もあるのだが。一応はここでは論じないが。もしも、テレビが偏向すれば、争い、詰まりは、戦争すら起こす可能性をも、この国にも危機感を持って、気を付けて、批判的にテレビを視聴する。
 そうじゃないと、この国のマスコミの報道自由度は、70位という、こんなバカげた話があるのだろうか。それもこの稿では問わないが、押さえておかなければならないキーポイントかも知れない。
 一番、肩がこらず、見ていて心が安らぐのが、私はテレビだと思う。古い世代だと御思いでしょうが。
 言うなれば、昭和の頃からの媒体で、テレビはネット時代にも、日本では敢えて戦争を経験していない媒体だ。
 この平和が一日でも長く永続して欲しい。
 結局、結論は持ち越しで、どちらの意見も正しい、に私の意見は落ち着きたい。
以上。よしなに。wainai

「聖訓講話」総本山第六十五世日淳上人猊下御著述、合原・新井両御尊師の僧俗指導会での想い出。創価には全くない熱血御指導

2024年07月31日 11時31分16秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
「聖訓講話」総本山第六十五世日淳上人猊下御著述、合原・新井両御尊師の僧俗指導会での想い出。創価には全くない熱血御指導 「聖訓講話」日淳上人猊下の御本を御読みしております。昨日のお寺の上層部の方との電話での長時間の御指導を賜り、その事から思い出したのは、七、八年前の、僧俗指導会に於ける、合原歓道御尊師と、新井契道御尊師との、私への感動の熱血指導を思い出し思い出し、取り上げた。やはり日蓮正宗は、異常体質の創価学会とはハッキリと違い過ぎる。比べるのも勿体ない位だ。日蓮正宗の御僧侶方の一人の人を大事にして守り抜く心意気。これはまともだ、正統派だと実感した事を力説する。折伏には救いがある。ただの批判には救いは無い。楽器は無し。話中心。以上。よしなに。wainai