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片岡鶴太郎著「50代から本気で遊べば人生は愉しくなる」を読了

2024年10月07日 00時32分12秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 片岡鶴太郎著「50代から本気で遊べば人生は愉しくなる」を読んだ感想。
 実際に、鶴太郎氏が目一杯遊んでいたのが、成功した二十代後半から三十代にかけて。この頃が、飲んだり食ったり、最も体形も崩れて、だらしない体型の時だった。
 その後、一念発起して、ボクシングを、その当時のライセンス取得の年齢制限33歳までに取得しようと、体をシェイプアップさせて、減量化する。この人は何事も熱心に取り組むタチだ。
 この本の初めは、序章、ものまねからスタート。に始まる。それから、今現在の彼のストイックなまでの日常生活に触れる。ヨガから、絵を描く事、役者としての人生の生き様。それらを軽く切り取って見せる。
 それから、時系列が前後して、後年に至るまでのライフワークとなる、「画家」としてのそれもスタートがこの人は熱心に凝るタチなのだ。
 それにしても、自分に限界が訪れたと、鶴太郎氏ですら自覚せざるを得ない時が来る。
 時としてお笑いから人気俳優として成功するが、ドラマシリーズがほとんど間を置かずに終了する。
 芸人、俳優なんて、やって来た事は、一般人から見たら、売れなくなれば、それまでの芸能生活など、キャリアでも何でもない。根無し草の様なもの。何をしていいのかさえさっぱり判らない。
 そうして、鶴太郎氏は、不惑の四十歳を迎えようとしていた。不惑、四十にして惑わず。とんでもない言い草だと、鶴太郎氏は戸惑う。
 一種のノイローゼ、うつ状態というのか。心の動揺が激しく、何を見ても涙ぐむ状態に。自信喪失状態に。これが、冒頭の序章から、いきなり、第二章で読者に突き付けられる。あの、優等生芸人・万能者の如くの片岡鶴太郎氏にも、こんな時期があったのか?!という、一種、安心感、同情の芽も吹いて来ます。
 そして、劇的な一瞬が訪れる。隣家の赤い花。これが最初鶴太郎氏は判らなかった。
 そして、仕事は一応あるが、そのヒマな時に、その赤い花に見とれていた鶴太郎氏に、隣家の奥様が、たまたま用足しに出て来て、一言二言、挨拶を交わす。その時に、この花が椿だと教えられる。一重のヤブツバキだと。それが素直に、鶴太郎氏は「可愛い」と思う。それが片岡鶴太郎氏と赤い椿との出会いだった。
 その感動を、実際に見た鶴太郎氏は、どうしても、「絵」に表したいと望む。
 この、鶴太郎氏の凄い所、見習うべき点、所は、最良の師匠にすぐに見習いに伺う姿勢だ。
 最初に、お笑いの世界に飛び込んだ時も、女優の家の前に何時間も弟子入りの為に出待ちして断られ、最終的には、片岡鶴八師匠に弟子入りする。
 ボクシングも同じ。元世界ライトフライ級チャンピオンの渡嘉敷勝男さんや、スポーツインストラクターにチャック・ウィルソンさんを選ぶなど、ちゃんと自分の習いたい動機付けの基となる時に、師匠を選んでいる事が、この人の後の大成してゆく基礎の基礎として位置づけられる。
 絵も、結局、三人、それ以上の先生に習い、ヨーガも先生が特別にいたようだ。
 習うには慣れろ。先生、師匠を持つ事の利点を、この片岡鶴太郎氏ほど知悉している方はいない。
 それに、彼の場合は、「守破離」の、上達の段階がある事を良く知り抜いていました。
 師匠の教えや技を真似て身に付ける段階(守)、身に付けた師匠の教えや技を発展させる段階(破)、師匠から離れて自分独自の新しいものを生み出して、それを自分のものにする段階(離)。
 これを「はじめに」でも、最終の章でも、繰り返し片岡鶴太郎氏は、説得力を持って、読者に問い掛けます。

 私はこの本を読んで、師匠を持つ芸人さんは過去には沢山いましたが、現在では、弟子を取る芸人の師匠さんも少なくなって来て、こういった、師弟関係を結べた片岡鶴太郎さんのケースは、今では、レアケース、貴重な人生の糧だったと思います。「男はつらいよ」の渥美清さんは弟子を取らない事で有名で、この鶴太郎さんにとっては、願っても果たせなかった弟子入りの模様が、この本の、冒頭と最後に散りばめられています。そして、御本人との夢の対面も。
 しかし、現代でも、探せば、教えてくれる師匠というのは、何処かにはいるはずです。

 私は、個人的には、師匠は、ギターに於いても、かつてたしなんだ、ピアノにしても、それを言ったらキリがなく、カリンバにしろ、半年間だけの自身に取っての先生についた習得期間があった複音ハーモニカにしろ、全てに於いて言えるのですが、私は片岡鶴太郎氏式の、何でもちゃっかり、先生役の人に教わって習っちゃおう、という方式には、今現在、私は背を向けます。
 その時代時代に応じた、勉強の仕方、技術の習得法も、この現代生活にはあるという事です。
 それこそ、未来のそれら、お笑いにしろ、音楽楽器の技術習得にしろ、その頃には、りっぱに「AI」が師匠役を御指南して、立派に果たしているかも知れません。今までの、現実に即した、成功体験をもとにして、AIがどういう役割を未来の人類に果たしているのかは、これは想像する以外に現段階ではあり得ませんが、決して、絵空事とも言えません。 
 立派に、子供達を始め、大人に至るまで、教育システムがAIによって自動化されれば、その分の教育経費も浮いて、そこから新たな人材が輩出するやも知れません。
 しかし、これはあくまでも、未来予想図であって、やはり、人の手の柔らかさ、温かさ、ぬくもり、といったものは、人でなければ表せない人にとっての唯一の表現法なのかもしれず、未来はより、混沌として、五里霧中で暗中模索の最中なのであります。
 
 ともかく、習うよりは慣れよ、との言葉がこの稿で飛び出した、これは何事も肝心であり、趣味の世界では、ほぼ、常識的な言葉かもしれません。
 何事も、怖れているばかりでは、何事も前には進まない。とにかく、前へ、前へ。
 明治大のラグビーの手法は「前へ」であり、早稲田のそれは「横へ」が伝統のラグビーボールの選手達同士への渡し方である。
 私は明治の手法に習いたい。明治出身ではないのだが。法政は何だっけ。そんな作法すらない。ラグビーの早明戦は、六大学野球の早慶戦の再現版か。

 閑話休題。それはさておき。話がとんでもない方へ飛んで行った。とにかく、片岡鶴太郎氏の周りには、優秀な先生、師匠に恵まれて、それは立派な人生を歩む素地となっている。私も見習いたいが、打ち出の小槌、出るものがないと来ている。 

 最後に、片岡鶴太郎氏の、学校時代を振り返る。 
 もう、小学校5,6年時代から、「お笑い芸人になる」とハッキリと志望していたようである。彼の場合、東京西日暮里に生まれて、父親が落語好きで、良く父と一緒に寄席に通った。
 小5でテレビに出て、ものまねでいい所まで行くが、その番組がこれもいい所で終わるという憂き目に遭う。
 しかし、この時のADの横澤氏が、後の「オレたちひょうきん族」のプロデューサーとなり、再会を果たす。これが人生の面白い所だ。
 高校受験となるが、全く勉強はダメだった鶴太郎氏。家はお金がなく、私立はダメでどうしても都立へと家族からの要望が。
 中卒の最終学歴だけは何としても避けたかった鶴太郎氏は、勉強の仕方が判らない。教科書を開いても判らない事ばかり。
 教科書を中二、中一と開いても判らずに、小6の教科書にまで遡ると、何となく理解できた。
 夏休みに突入するや否や、神田神保町の三省堂書店に出向き、小6から中三までの国・数(算)・英の参考書と問題集を買い込んで、ひたむきに背水の陣で勉強に臨んだ片岡鶴太郎氏。
 どんどんとはかどり、小6から取り組んだお陰で「ああ、判る判る。解ける解ける」と問題をクリアしてゆく。やっとの事で、中一、更に中二から中三に入り、「そうか、先生が黒板に書いて教えていたのは、こういうことだったのか」と合点がいった。
 そして、復習して全て判ると、今度は素直に予習のスタイルへと代えていった。
 芸人になりたい。中卒で終わりたくない。高校受験に受かりたい。これで追い詰められた結果が、成功を生む。この学校時代の体験が大いに後の芸人生活の人生の下支えともなったと鶴太郎氏は言う。
 その後、劣等生だった彼が、90点満点中85点を取り、学年で十番以内に入る。担任教師にも、カンニングを疑われる程。
 そして、担任には学区の難関都立「上野高校」を勧められる。
 しかし、片岡鶴太郎氏は、最初から志望校が決まっていた。「都立竹台(たけのだい)高校」だった。
 ここは、元女子校で、きれいな女の子が多かった事も理由の一つだったが、本人も、動機はかなり不純だったと言う。しかし、それ以外にも理由があり、そこは卒業生に作家の有吉佐和子さん、音楽プロデューサーの加藤和彦さんという方々が揃い、文科系の濃い学校だった。
 後の後輩に、林家正蔵さんも輩出している。将来、芸能人になるならば、そうした校風が一番自分には合っているのではないか。
 そして、合格を果たした。後は遊ぼうと思い、大学進学は毛頭考えなかった。そして、芸人になる為にはどうしたらよいか、そればかり考える内に、同級生から「演劇部」に誘われ入部する。
 元々その学校では、本格的な演劇部であり、一年上の先輩に、後に「文学座」で活躍する梅沢昌代さん等がおり、偉大な先輩についてゆくのに必死であったと言う。
 演劇スタイルは不条理劇。そのなんたるかは知らずとも、次第に舞台上で声を出すのは無条件で面白いと思う。演じる事の楽しさを知る。
 そして高三には演劇部の部長にまでなる。高校生活では、芸人も役者も同義と気付く。ものまねも演じる事につながると肌身で感じた。

 ざっと、片岡鶴太郎氏の学生時代を振り返ったが、彼の人生は、この後が見逃せずに、面白くなってゆくのである。
 それは、あのひょうきんな芸人スタイル、俳優としての顔、ヨーガにいそしむ姿、ボクシングにストイックなまでに打ち込む精神性。そんな彼の一途な生き方が、この一冊には、封入されている。

 これを読んで、タイトルが、「50代から本気で遊べば人生は愉しくなる」の文字に踊った、私が期待した彼の生きた人生が、そのまま、生き写しで、私に迫って来るのを、この肌身で感じざるを得ない。
 それは、猛烈な、これから五十代、六十代と、人生を秋から冬へと向かう、黄昏の季節を前にした、人生模様、生き方の教科書としては、少し自分にはハードルが高すぎる感はある。
 しかし、同じ人間なのである、皆。他人に出来て、自分に出来ない筈は無い。
 
 彼の学生時代を振返ったシーンを読んでいて、その、学力向上のシーンについては、私も「腕に覚え在り」で、実際に、校内で二百人、二百五十人ごぼう抜きの、中学校時代の、高校受験での愉快な学習体験が私にもあり、とても共感した。他人事ながら、わたくし事として、懐かしく読ませて頂いた。
 
 私は思う。人の生き方は百人百様。千人、万人いれば、それなりの感慨を皆それぞれに持つのが当然だ。
 この世に、完全なる、完璧な生き方などは決してない。私は、途中、人うらやましくて、ヘンテコなる、AI万能論、のような変ちくりんな説を唱えたが、あんなもの、放って、捨てて置いた方が万人の為だ。AIなどに、人の肩代わりが出来ようか。 
 しかし、実際には、現実的には、音楽の世界でも、有効にAIが使われ始めている。 
 「ザ・ビートルズ」の最終の楽曲となった「Now and Then」。あの曲にも、実際には、亡きジョン・レノンの身代わりにと、AIが忍ばせるように使われているという。
 そんな時代に、もう、我々は、この世の異体験として、既に、この身近な世界の一部となって、AIが入り込んでいるのを、私達は忘れてはならない。

 例によって、話が大幅に脱線に次ぐ脱線で、文字数も長文と化した事を、非常に失敬で、申し訳なく思う。

以上。よしなに。wainai

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