実は先月末から今月初めにかけて、私はカトリック司祭による性犯罪を問題提起して、この拙著ブログにその事を書いた。それで何の問題もないと思っていた。
ところが、「オヤビッチャ」なるコメント投稿者が日蓮正宗の犯罪として、よそのネット記事からコピーアンドペースト(コピペ)してまで私のページ記事にそれらを乗っけていった。
この「オヤビッチャ」なる人物は、以前も私のブログに現れてはそれが初回だったが、私は嫌気がしてそのブログ記事を削除した。
今回も削除の憂き目にあったが、「オヤビッチャ」という単語を検索で辿ると、以前に他のブログで、やはり日蓮正宗を非難し、あろうことか「大御本尊」をニセモノ呼ばわりしている記事を目にした。
顕正会では、未だ大御本尊は尊崇の対象であり、顕正会の人間ではないことは分かる。キリスト教、新興宗教他で今、大御本尊を問題にする宗派はない。では何者か、と言えば、「弘安二年の御本尊は、受持の対象とはしない」と言い放った創価学会が一番疑わしい、創価学会側の人間、というのが自明の理だと薄々分かった。
仮に創価側の人間とすれば、何と嘆かわしい、そこまで、落ちる所まで堕ちたのか、と愕然とする他はない。こんなところにまで来て、それしかいう事がない、能がないのか、という創価学会の謀略・罪業の深さ、元々そんな悪党たちの吹き溜まりが創価なんだな、と目を見開いた。
創価の人は、程度が低く、とても同じ土俵で相争うつもりも毛頭なく、他の法華講の人に聞いても、この平成初めから今に至るまで、創価の週刊誌程度の、それ以下の興味関心を引かせようとする創価メディアのやり口は、それは目を覆う、地獄界の様相を呈していて、見苦しく、目を覆う、本当に程度が低く、付き合うとこちらまで境涯が下がる、与同罪を真に怖れるような有様で、皆、一様に、相手にするな、と異口同音に言われる。
「オヤビッチャ」とは、ネット経由で調べると、魚の一種の名前であり、何でそんな名前を付けたのか、魚釣りが趣味なのか知らぬが、そう言って名乗って人のホームページ、ブログに来てまで嫌がらせ行為をする、事実であろうと事実無根であろうと、その一つ一つを良く吟味検証もせずに十把一絡げに信じ切り、(おそらくその情報の出元は創価系のメディアのデマ謀略記事)、品のない、興味本位の情報に踊らされた、哀れな人種、人間以下の存在、所業と断ずるものである。
こんな事を繰り返している限り、未来永劫、宗門と創価の和合などあり得ない、と思う。
今日を最後に、この「オヤビッチャ」なる人物の当ブログ徘徊を禁ずる。相手にするのも汚らわしい。怒り心頭であり、その汚辱まみれの人間性・体質が、宗教法人創価学会の教えに感化され、出来上がったものと感ずる次第。
以下、当記事の発展昇華的記事、私の菩提寺、無量山寿海寺信徒、先輩の記事を明示する。ご参照あらんことを。