我が家にかつて、シェルティー犬の雌犬ラッキーがいた。
ラッキーは、私が気が滅入っている時は悲しそうに近づき慰め、大喜びしている時は一緒になって大喜びする、悲しみを半分にし、喜びを二倍にもする、そんな犬だった。
私がウツっぽく、頼りなく「ラッキー」と呼ぶと、遠くからでも必ず私の傍に近寄り、私に体を預ける。ラッキーの毛並みをなで、頭をなでると、何となく気が晴れ、勇気が湧いた。ドッグセラピーを知らず知らずの内にラッキーは私に教えていた。
ラッキーは外の人には臆病なのか正義感が溢れていたのか、徹底して吠えた。うちの家族だけにしか自分の愛情を示さない。ちょっと偏屈だが、家族はラッキーの信頼に応えるように接し続けた。
シェルティー犬は短命だと聞いたが、うちの犬も十数年で亡くなった。ラッキーが召された夜、その日一日の苦労を家族とねぎらい合った。
ラッキーは我が家に来て本当に幸せだったのか、と時々仕方ない事を考える。あれだけ私達になついていたんだから、幸せだったのかも、と最近は思う。あの犬をもっと幸せにしてあげたかったとも思う。
最近、ラッキーの夢を見た。ラッキーがいつものように私の足元で眠り、犬の重さで私の足がつる夢だ。その時は、ラッキー、また逢えたね、と思わず声を掛けたかった。そしてラッキーは夢もろとも去って行った。
ラッキーちゃん、ありがとう。